クナシリに向かって突き出したクチバシ

前回紹介した知床半島の羅臼は国後島の長大な姿を望める町だが、実のところ、羅臼は国後島にもっとも近い場所というわけではない。ではどこがいちばん近いのかといえば、それは野付半島である。つまり野付半島も、堂々"日本の端"というわけだ。

野付半島は、根室海峡に突き出した国内最大規模の砂嘴(さし)である。砂嘴とはそのまま読めば"砂のくちばし"。その言葉のとおり、巨大な鳥のくちばしのように海へ向かって丸まりながら突き出した奇妙な地形のことだ。見方によってはゼンマイか何かのシダ科植物のようにも見える。とにもかくにも地球が作り上げたユーモラスな芸術作品である。


しかし地図を見れば想像がつくように、その形はまさに砂が流れ出した姿そのもの。実際に砂の流出が年々激しくなっているため、将来的には半島自体が消えてしまう危険性も秘めているという。

半島は付け根側が根室支庁の標津町、先端側が別海町と、2つの町にまたがっている。半島の全長は28kmで、外側は根室海峡に面し(この部分だけをとくに野付水道と呼ぶ)、内側は半島と北海道本島に囲まれた野付湾となっている。この野付湾は、至るところに干潟が見られる野鳥の宝庫。ラムサール条約の登録湿地ともなっている貴重な自然の遺産だ。

この野付半島から国後島まで、もっとも近い部分ではわずか16kmしか離れていない。16kmというのはいったいどれくらいのものか。参考までに、東京駅から神奈川県の川崎駅までは直線距離で18km弱ある。野付半島から見る国後島は東京駅から見て神奈川県の入り口よりも近い場所に位置しているわけで、多摩川を越える手前といったところか。それはやはり、どう考えたって近いといわざるをえない。しかもそこが、人間は現在容易に渡ることのできない地なのだから。

野付半島からは、国後島の"日本にもっとも近い"姿を望むことができる。その印象は、まさに海越しに迫り来る感覚

根釧台地から野付半島へ

野付半島の最寄り空港は前回の羅臼と同じく、日本最東端の空港である中標津空港(根室中標津空港)である。今回は5月の上旬、この中標津空港からレンタカーを走らせた。広大な酪農地が続く根釧台地の爽快な道を走り、30分ほど北東へ行けば海に突き当たる。ここが標津の町。標津も当然ながら国後島に近く、目の前にはもう巨大な島影が浮かんでいて感動する。

日本最東端空港の中標津空港。もともとは日本初の木造空港ビルとして建設され、2008年4月のリニューアルオープン後も内部のウッディなつくりが心地よい。滑走路越しに知床へつながる美しい山並みを楽しめるのもポイント

根釧台地の真ん中に位置する中標津は、「これぞ北海道!」ともいうべきダイナミックな光景を楽しめる土地だ。なかでも郊外にある開陽台はライダー憧れの場所ともいわれ、その展望台から南方に地平線、東に遠く国後島を望むことができる

標津の町まで出れば、野付半島の付け根部分はもうすぐそこ。国道244号線を数km南下すると、野付半島方面へ左折する分かれ道に到達する。左折すれば、細長い半島内はもうひたすら一本道。標津から半島入り口までの距離に比べ、半島に入ってからがけっこう長い。なにせ半島の長さは28kmもあり、車で行ける終点近くの野付半島ネイチャーセンターまででも15km程度ある。

一本道の両側には海が迫る。車窓左は根室海峡(野付水道)で、その向こうには国後島の姿が常に見え続けている。こちらは外海であるから波が高いのに対して、半島にくるまれた内海である右側の野付湾はとにかく穏やかでおとなしい。一本道を挟んで左右に対照的な海を同時に見渡すことができるのも野付半島の魅力といえる。

野付半島を貫く一本道。左側には根室海峡とクナシリを、右側には野付湾の干潟と北海道本島を望みながらの快適ドライブだ。前方を見渡せば、地図のとおり半島全体が右に曲がっているのがわかる

野付半島から海越しに見た知床連山。中央が羅臼岳である。海越しに見る雪の連山というと富山の立山連峰が知られるが、知床連山はまた趣が異なり、どこか大陸的だ

羅臼から望む国後島と野付半島辺りから見る国後島の違いは、その形と重量感だ。羅臼は細長い国後島の姿を斜め横位置から見るので、視界の右端から左端まで延々と続く国後の山並みを遠望することができる。対して野付は国後島の南西側先端に臨んでいるから、羅臼でのように長々としたクナシリが水平線に張り付いて見えるのではなく、もっと大きくまとまった島の塊がグッと近くに見える感じだ。

一本道をひたすら突き進み、野付半島ネイチャーセンターが建つ付近が国後島への最短距離地点。少々倍率の高い双眼鏡を使えば沿岸部分を観察できるほどだ。

ネイチャーセンターの前にはこういった表示が。だいたいこの付近が国後島まで16kmともっとも近い場所になる。この日は泊山(左)と羅臼山(右)だけが見えたが、爺爺岳はそもそもあまり見えないのだそう。爺爺岳が見えると数日後に雨が降るとか

ネイチャーセンター前から望遠で撮影した国後島の姿。35mmフィルム換算で500mm程度の望遠だが、海岸線の地形までかなりハッキリと見ることができる

地形的なおもしろさや国後島の眺望もさることながら、ラムサール条約に登録された干潟に生息するさまざまな鳥類や、トドワラ、ナラワラの奇怪な光景も野付半島の魅力。ネイチャーセンターでは野付半島の自然についての情報・展示が用意され、レストランや売店もある。

この建物からはトドワラも遠望することができる。野付半島名物といえるトドワラは、トドマツの枯れ木群が残る原野のこと。まさに最果てという雰囲気がバリバリの景色である。トドワラや原生花園はネイチャーセンター付近から徒歩で散策できるほか、野付湾対岸にある尾岱沼温泉の港から観光船も出ている。

ネイチャーセンターから先にも、半島の先端に向かってまだ道路が続いている。ただ、少し走れば「関係者以外車両進入禁止」の看板に遮られる。そこから向こうへ車で行くことはできないが、駐車場があるので、ここで停めて散策することはできる。野付埼灯台も歩いてすぐだ。

「野付半島ネイチャーセンター」は半島が大きく曲がる辺りに位置する。開館時間は4~10月が9~17時で、11~3月が9~16時(入館料無料。年末年始のみ休館)。一般車両で行ける道路はこの少し先が終点となる

ネイチャーセンターの脇に立つ地図の案内板。野付半島の奇妙な形がよくわかる。ちなみに「北海道遺産」とは北海道の貴重な自然や文化、産業に関する有形・無形財産を選定したもので、2008年6月時点で52件が指定されている

野付半島の特徴的な光景として有名なトドワラ。トドマツの立ち枯れた姿だ。ネイチャーセンターから遠望できるほか、徒歩での散策(片道30分程度)や、花馬車と呼ばれる馬車での観光も楽しめる

野付半島というとトドワラがよく知られるが、ミズナラが立ち枯れたナラワラも見られる。こちらはネイチャーセンターのそばではなく、向かう途中の車窓右側にある

車で行ける終点の向こうにある野付埼灯台。一般車両は立ち入り禁止だが、徒歩で訪れることはできる。原生花園のただ中にポツリと建ち、妙に最果て感が漂う灯台である

魚と湯に恵まれた尾岱沼で一泊

野付半島にいちばん近い宿泊地は、半島内側の野付湾対岸にある尾岱沼(おだいとう)温泉である。ちなみに尾岱沼というのは野付湾の別名だ。

穏やかな入り江に面した静かな漁師町で、温泉ホテル、旅館や民宿が散在している。今回は民宿「海の宿みさき」に宿を取った。野付半島を巡って夕方、到着すると、おかみさんが出てきていきなり「うちは漁師だから魚しかないよ」の一言。いいんです、それでいいんです! 夕食はまさに新鮮な海の幸のオンパレード。酒も進んだ一夜であった。

温泉は、宿の風呂が内風呂だけだったので、歩いて20分ほどの共同浴場「浜の湯」にも行ってみた。ここはいわゆる銭湯価格ながら露天風呂もあり、実にステキな湯である。漁師をはじめ地元のみなさんがたくさん入りにくるので、貴重な情報を聞ける可能性も。尾岱沼温泉にくる機会があったら、ぜひおすすめしたい。

尾岱沼温泉の港から野付半島越しに眺めた国後島。島の手前に延びる一本の平らな黒い線が野付半島だ。舞う海鳥たちにとっては、人為的な国境など何も関係ない

(上) 「野付温泉浜の湯」は、広い内風呂に加えて気持ちのよい露天風呂もある。入浴料は390円と銭湯価格で地元の利用が多い。朝10時から夜10時半まで開いているのも魅力(右) 尾岱沼温泉から海沿いに少し南下した「白鳥台」には「別海北方展望台」が建ち、そのそばには「四島への道 『叫び』の像」がある。名前のとおり北方領土に向かって叫ぶ姿が"日本の端"の現状を考えさせる

道東を走っていると、しばしば野生動物と遭遇する。この日も国道244号をシカが横切り、道端をキタキツネがトボトボと歩いていた。かわいいからと言ってエサをあげるのは厳禁だ

中標津は牛乳の名産地。地ビール(発泡酒)も原料の一部に牛乳が使われ、その名も「BILK」。飲んでみるとかすかにヨーグルトのような香りがする。中標津町内の酒店「なかはら」などで買える

次回は、納沙布岬からわずか3.7km先の"異国"を望む、をお届けします。