アスタリスク(注釈)が付こうが付くまいが、「日本最南端」という言葉にはやはり惹かれる人が多い。与那国島と同じくここ波照間島でも、"日本の端"を意識して訪れた旅人に数多く出会った。最南端の碑があり、その南にダイナミックな海が広がり、さらにその向こうにはフィリピンがあるんだと言われれば(前編参照)、端っこ旅情はいやが上にも高まろうというものだ。波照間島最終回の今回は、そんな最南端の島の名物と風物詩をお届けしよう。

波照間島には、赤瓦の家々、古い石垣、庭の入り口にある魔除けの壁・ヒンプン、防風林として屋敷のまわりに巡らされたフクギ……と、琉球の集落の姿がいまも残っている。竹富島のような整備された美しさではないが、それだけにナチュラルで、ほほ笑ましい

砂浜とサトウキビは沖縄一!?

波照間島は、海の色の美しさでもつとに知られている。島の北側、港に比較的近いところに延びる白砂のビーチ・ニシ浜がその代名詞。誰が言い出したのか知らないが、「沖縄でいちばん美しいビーチ」と呼ばれることもある。

北にあるのにニシ浜とはこれいかに、と思った人もいることだろう。与那国島後編でも書いたけれど、これは琉球における方角名の問題。東が「アガリ」、西が「イリ」で、南は「ハイ」(パイ)、そして北を「ニシ」と呼ぶ。だから北の浜はニシ浜になるわけだ。ただ、おもしろいことに島内では「西浜」という表記も見かける。音からすれば正しいけれど意味からすれば間違い。このことについて島の古老に尋ねてみようと考えていたが、忘れてしまった。これは次回の宿題ということで。

今回の取材時期は1月。紫外線が強い5月以降の夏に比べれば、海の色はイマイチいやイマニイマサンというところだけれど、それでも十分に美しい。もちろん最高の季節に見れば、これがこの世のものかとため息が出るほどだ

波照間の冬は、サトウキビの刈り入れ時である。琉球の島々には、サトウキビを刈る手伝い、いわゆる"キビ刈り"のアルバイトとしてこの時期、多くの若者が訪れる。その姿は映画『深呼吸の必要』にも描かれている。波照間の黒糖は、これまた誰が言い出したか知らないが「沖縄でいちばん品質がよい黒糖」とされる。たしかに、おいしいと思う。僕も黒糖をおみやげで買っていくときは、たいてい波照間産にしている。

ところで与那国島や与論島と同じく、波照間にもハブがいない。キビ刈りというとハブが棲む島では作業中に咬まれる人もいると聞くが、波照間は安心。サトウキビ畑に入ろうが、夜に原っぱや浜辺で寝っころがって星空を眺めようが、(少なくともハブに関しては)まったく怖くない。これはけっこううれしいことだ。

波照間は島じゅうにサトウキビ畑が広がっている。冬から春にかけては刈り入れと製糖の季節。とりわけ1~3月は大忙しで、製糖工場もフル稼働だ。まさに波照間の季節の風物詩である。写真は港の近くにある波照間製糖の工場

赤瓦の建物に流れるゆったりとした時間の中、食事やお茶、お酒を楽しめる人気のカフェ「kukuru cafe」。波照間ではほぼ唯一と言っていいオシャレな店だが、この季節はやはりサトウキビで忙しいようで、休業

ヤギの島の"幻の泡盛"

八重山の島々にはヤギが多い。とりわけ波照間や鳩間ではよく見かける。道端や原っぱにたくさんつながれている。放し飼い、あるいは半ば野生化したヤツにも出くわす。とにかく至るところにいて、出会うたびにカメラを構えたくなる。何枚撮っても飽きないくらい、ヤギってヤツはほんとかわいい。かわいいけれど、沖縄のヤギは基本的に食用。僕も、ヤギは見るだけでなく、食べる。ごめんなさい。

とにかくそこらじゅうにヤギ。しかもすぐにカメラ目線。不思議なもので、これだけ頻繁に出会うのに、何度出会っても飽きないし、ついつい眺めて写真を撮ってしまう。写真は、ガケみたいなところから親子ヤギが下りてきたとこ ろ

昼下がりの道ばたで、子ヤギが2匹トボトボと歩いているところに遭遇。やがてアスファルトの上にペシャッと横たわり、人目も気にせずくつろぎ始めた。なんともいえずかわいすぎる! ちなみに波照間には牛もたくさんいる

波照間島の名物として、どうしても忘れてはならないものがもう一つある。"幻の泡盛"の誉れ高い「泡波」がそれだ。泡波は、波照間酒造所が造る島で唯一の泡盛である。とても小さな酒造所で、造る量はどうしても限られる。そのほとんどが島内で消費されるのだから、島の外にはなかなか出ていかない。このため島外では売値が上がり、"幻の泡盛"なんて呼ばれるようになった。

われわれ観光客が波照間島へ行っても、一升瓶や三合瓶をみやげに買って帰る……というのはちょっと難しい。なぜかといえば、まあそんな大物はめったに売っていないのである。ただ、観光客用に100mlのミニボトルが売られている。これも1人当たり10本までなどと購入量の制限はあるけれど、1本300円程度だから、安くはないけれどもベラボウな値段でもない。ところがこのミニボトルでも、島から出て石垣や那覇へ行くと、1本1,000円以上で売られる。

集落にある小さな小さな波照間酒造所(右)が造る、"幻の泡盛"「泡波」。左写真に写る大きな瓶が二升半瓶(4,500ml)で、値段は不明。右の小さなほうが、観光客が買える100mlのミニボトルだ

そんな"幻の泡盛"の噂だけを聞いている人が実際に波照間を訪れると、ちょっとばかり驚くだろう。というのも、食堂や宿などそこらじゅうに泡波が置いてあるのだから。たとえば前回ちらっと紹介した港の食堂「海畑(イノー)」ではグラス1杯300円でいただけるし、宿泊客ならタダで飲める宿もあるくらいだ。

そんなわけで、"幻の泡盛"だなどと気合を入れすぎていっても肩透かしを食わされるにちがいない。もちろんそれはいい意味での肩透かしだけれども。幻かどうかはともかくとして、どちらにせよ他の琉球の島々と同様、ここ波照間にも島の泡盛があり、酒を好む人々がいて、酒好きにとっては最高の島なのである。

あまりにも"幻"感に期待を抱いていくと、よく見かけるので逆にガッカリするかも? この写真は港ターミナル内にある食堂「海畑」のテーブルに置いてあったコーレーグス(島唐辛子を泡盛に漬けたもの)。やはり泡波だ

荒波の中、欠航寸前で……

今回の訪問で最後の夜。昼間は27、28度の暑さで、夜の入り口あたりも穏やかな天候だったのに、日付が変わった頃からにわかにかき曇り、それまでとは違って北から冷たい風が吹き始めた。そんな中、普通に夜中まで飲んでいて、これもいつものことだが、飲みすぎていた(苦笑)。翌朝、目覚めると、風はまだまだ強く、酒もまだ頭の中。酒はともかく風のほうは、むしろこれからもっともっと強くなる気配だった。石垣に戻る高速船が出るかと心配したが、宿の主人は「1便は出るでしょう」とのこと。この季節は波照間海運、安栄観光とも高速船を1日に3往復運航していて、1便というのは午前の便である。2便は昼すぎ、3便は夕方だ。

どの宿でも、2便以降は欠航だと客たちを促したのだろう、高速船はほぼ満席。乗船前には島の人が宿泊客に「後ろがおすすめね」と声をかけている。そう、このテの船では、前方より後方座席のほうが揺れが少ないのである。ただし……石垣-波照間航路の高速船は海が穏やかな日でもそれなりに揺れるのだが、この日の揺れはまさにハンパなかった。もう、前に乗ろうが後ろに乗ろうが関係ない。船に強く船酔いなどしたことがない僕でも、この日は少々こたえた。まあ、前夜の酒が頭の中でまだ揺れていたせいもあったのだけれど。

途中で気分が悪くなりデッキに出ていった客も数名。通常なら1時間で石垣に着くのだけど、荒波でスピードを出せず、1時間半をゆうに超えるハードな船旅となった。石垣の離島ターミナルに上がっても、まだしばらくはグラングランと頭とカラダが揺れている。そして案の定、2便以降は欠航と表示されていた。

波照間から石垣へ戻る高速船の中で。高速船は波の上を飛んでいく感覚なので通常でもけっこう揺れるが、この日は立ち上がることもできないほど。窓際でカメラを構えていてもうまく制御できず、カメラが窓にコツン、コツンと当たってしまう。この状態が長時間続いたので、船に弱い人にとっては地獄だったかも

石垣島と西表島の間に広がる巨大なラグーン・石西礁湖のリーフ内に入ると、揺れもある程度収まる。それでもこの日はかなりの荒れだった。石垣の離島ターミナルに無事着くと、やはり2便、3便は「欠航」となっていた

最後にここまで紹介できなかった写真をいくつか掲載して、波照間島の回を締めることとしよう。

(左)サトウキビ畑の間を抜け、気持ちのよい道が海へ向かって続く。(右)白い円筒は宇宙人へのメッセージでも前衛芸術でもなく、牛のエサとなる牧草をまとめたもので、牛の多い波照間でもよく出くわす光景だ

集落の中心には芝生の広場があり、島の子どもたちが遊んでいる。そのまわりには、公民館やガソリンスタンド、民宿・星空荘、仲底商店など。仲底商店では泡波のミニボトルが手に入るほか、手作りの泡盛アイスも食べられる

仲底商店の脇にある自動販売機。日本最南端の自動販売機だと書いてあるが、ここよりちょっと南にもあったような……。住所の八重山郡が「群」になっているのも微妙にほほ笑ましい

アカハチ(オヤケアカハチ)とは、15世紀頃の波照間に生まれた、八重山の伝説の英雄である。後に石垣へ移り、八重山に支配の手を広げようとする首里の琉球王朝に抵抗して反乱を起こしたとされる

次回は知床前編、"地の果て"に迫り来る環境異変、をお届けします。