波照間島(はてるまじま)である。「どこだそれ」という人もいるかもしれないが、端っこフリークにとっては超おなじみの島である。

ただ、端っこといっても注釈が付く。昔、ロジャー・マリスがベーブ・ルースのシーズン最多本塁打を抜く61号を放ったとき、その新記録は「61*」(61アスタリスク)とされた。ルースの当時よりシーズン試合数が8試合多く、保守派たちの動きで注釈付き記録とされたわけだ(もちろん後に注釈なしの正式記録として認められた)。このあたりの話は2001年にそのまま「61*」というタイトルで映画化されているので、知っている人も多いことだろう。 波照間島も、この「*」が付いたような形で紹介されることがほとんどである。どういうことだろう。

有人島として日本最南端に位置する島

波照間島は北緯24度2分にある。島の南海岸には「日本最南端之碑」が建っている。つまりここは日本で最南端の地だということだが、実は日本には波照間島よりもっと南にも島がある。

テレビのニュースで映像を見たことがきっとあるだろう。コンクリートで周囲を固められたあの沖ノ鳥島がそうだ。北緯20度25分。波照間島から見ても相当な南に位置する。ただし沖ノ鳥島には、人が住んでいない。住めるかどうかについて書くと「そもそもあれは島なのか」という某国が提起している複雑な問題に踏み込んでしまうので言わないけれど、少なくとも現時点で人は住んでいない。では、人が住んでいていちばん南にある島はどこなのかといえば、それが波照間島である。要するに波照間島のアスタリスクは、「人が住んでいる島の中で日本最南端」ということだ。

波照間島は沖縄県竹富町に属している。この竹富町は、石垣島を中心とする八重山諸島の有人島のうち、石垣島と与那国島を除いた島を行政領域に含んでいる(石垣島は石垣市、与那国島は与那国町。ちなみに、有人島ではないが中国や台湾と領有権問題でもめている尖閣諸島は行政上、石垣市に含まれる)。

町名の付く竹富島はもちろんのこと、NHKの朝ドラマ『ちゅらさん』の舞台・小浜島や、日本最後の秘境と呼ばれる西表島、『瑠璃の島』(日本テレビ)で有名になった鳩間島などはすべて竹富町である。竹富町とはすなわち、八重山の離島の集合体ということだ。

この竹富町、少々ユニークな自治体である。というのも、町役場が竹富町の島々にはなく、石垣市内にある。なぜかといえば、それは竹富町が前述のように離島の集合体であり、一方で八重山の中心はあくまで石垣島であるという現実と大きく関わっているからだ。

2007年、石垣島の港に「離島ターミナル」という立派なビルがオープンした。石垣と八重山の島々を結ぶ離島航路(与那国航路を除く)はこの離島ターミナル前の桟橋から出航している。それ以前は石垣港にターミナルの建物などなく、現在の離島ターミナルのちょっと東に桟橋だけが並んでいた。そこは当時「離島桟橋」と呼ばれ親しまれていたが、現在タクシーで「離島桟橋」と告げてもちゃんと新しい離島ターミナルのほうに連れていってくれる。

2007年にオープンした石垣港・離島ターミナル。八重山の島々を結ぶ船はここから発着する。かつては200mほど離れたところに離島桟橋があり、桟橋に面して乗船券を売る小さな建物が並んでいた

先ほど、石垣と八重山を結ぶ離島航路はこのターミナルから出航しているとさりげなく書いた。実際問題、石垣を経由せずに八重山の島同士を結ぶ航路というのはほとんど存在しない。竹富 - 小浜などいくつかあるにはあるが、便数はひどく少なく、乗船に予約が必要であったり、あるいは不定期便であったりもするのだ。これがどういうことかといえば、つまり竹富町の離島同士、たとえば竹富島から波照間島へ行くとか、鳩間島から小浜島へ渡るとか、そういうときは基本的に石垣島の離島桟橋を経由しなければならないということだ。

だから、もし竹富町役場が竹富島にあると、西表の住民も鳩間の住民も波照間の住民もいったん石垣の離島桟橋までやってきて、船を乗り換え竹富島に行かなければならなくなる。いうまでもなくそれは不便なので、どの島にも航路が結ばれている石垣の離島桟橋のすぐ近くに、竹富町役場が設けられたわけだ(ちなみに西表と波照間には役場の出張所があるが)。

石垣の離島ターミナル(離島桟橋)から徒歩数分のところにある竹富町役場。戦前は役場(当時は竹富村)が竹富島に置かれていたこともあったが、1938年に石垣島へ移転。戦後の町制施行後も石垣島に残されたままとなっている

八重山の島々に渡る基地が離島ターミナルなら、八重山全体へのゲートウェイとなるのがここ石垣空港。滑走路が1,500mと短く大型旅客機の発着に支障があることから、現在、2013年開港予定で新石垣空港が建設中

ここより南にあるのは伝説の島?

なんだかたいそう前置きが長くなったが、今回の主役は波照間島である。波照間という名は、「ぱて」の「ろーま」に由来している。「ぱて」は八重山の言葉で「はて」つまり「果て」である。「ろーま」はサンゴ礁のことだ(最近の市町村合併で沖縄本島に「うるま市」ができたが、あの「うるま」も沖縄の言葉でサンゴ礁を意味する)。サンゴ礁の島だということは見ればすぐわかるが、昔の人は同時に、この島が「はて」にあるということも知っていたようだ。

波照間島には「ぱいぱてぃろーま」という伝説がある。「ぱい」は南、「ぱてぃろーま」は波照間のことだから、意味としては南波照間島となる。波照間島の南にあると考えられていた島のことを「ぱいぱてぃろーま」と呼んだ。与那国島編の第2回で書いた「はいどなん」と同様の話である。

実際、波照間島の南には「ぱいぱてぃろーま」ではなく、フィリピンがある。大げさに言っているように聞こえるかもしれない。僕も若干そう思う。波照間の南にあるといったって、フィリピンが目で見えるほど近いわけでもない。けれど、波照間の港に立っている地図には、しっかり書いてある。「この先はフィリピン」と。

波照間の港に立つ地図には、南海岸の南の海部分に「この先はフィリピン」と記されている。「この先は南波照間(ぱいぱてぃろーま)」にしたほうが浪漫もあっていいかと思うのだが

さて、波照間島はどれくらい南にあるのだろうか。沖ノ鳥島より北であるのは当然のことだが、では日本最東端にあって自衛隊や海上保安庁、気象庁の職員らが駐在している南鳥島(マーカス島)と比べるとどうだろう。 一般の日本人が訪れることはできないとはいえ、南鳥島には前述の人たちが住んでいるから、間違いなく有人島である。で、正解はというと、南鳥島は北緯24度16分にある。波照間島は24度2分だから、若干、波照間島のほうが南に位置している。ちなみに、太平洋戦争の激戦地だった硫黄島にも自衛隊の人たちが駐在しているが、こちらも波照間島よりは北だ。

ともかくそういうわけで、一般日本人・特殊日本人(?)を問わず、有人島としては波照間島が文字通り日本の最南端にあたるわけだ。よって「日本最南端」という言い方にはアスタリスクが付くものの、「有人島として日本最南端」という言い方ならば、注釈なしで堂々その通りなのである。いやはや波照間島前編の今回は、ほとんどが能書きのような話に終始してしまった。次回はきちんと波照間島訪問記の体裁にすることとしよう。

石垣港・離島ターミナルの広いロビーには八重山航路で大手(?)の八重山観光フェリー、安栄観光などのカウンターが並んでいるが、波照間海運のオフィス(乗船券売り場)はいちばん端のひっそりとした一角にある

ターミナルの海側、桟橋のたもとに波照間海運の高速船「ニューはてるま」の時刻表が立っている。波照間への船はこの波照間海運のほか、安栄観光でも運航している

高速船「ニューはてるま」。波が穏やかなときであれば、石垣からだいたい1時間で波照間島に到着する。船体には「日本最南端の波照間島」と書いてある

そんなわけで次回の波照間島中編は、南十字星輝く果ての海、をお届けします。