「俺、子供できた」。長く同棲している彼氏が、突然こんなことを言い出したら……? 今回取り上げる渡辺ペコ『にこたま』(全5巻、2009~2013年、講談社)は、交際9年、同棲5年のアラサーカップルに、ある日突然、変化が訪れる、という話。私の知人男性にもファンが多く、皆一様に「読んでてグサグサくる」とか「考えさせられる」、はたまた「俺だったらこうする」など、リアルな感想で盛り上がります。なぜ『にこたま』は、男子の心をえぐるのでしょう。

彼氏に子供ができても、一緒に暮らし続けられるのか

『にこたま』の主人公は、交際9年、同棲歴5年の「あっちゃん」と「コーヘー」です。あっちゃんは新聞記者を「脱サラ」し、弁当屋で働いています。食に携わる仕事に、やりがいを感じているのです。料理上手で割とモテるタイプですが、恋愛体質ではなく、やや冷めた一面も。対するコーヘーは、弁理士として特許事務所に勤めるサラリーマン。あっちゃんのことが大好きですが、なよっとして優柔不断な性格です。共に29歳で、結婚も見えている2人。そんな矢先、コーヘーがほんの出来心で、事務所の先輩、高野さん(30代)を妊娠させてしまうのでした。

高野さんは、「子供は一人で産み育てる」と宣言。戸惑うコーヘーは、あっちゃんに「俺、子供できた。相手の女性は一人で育てると言っています」と告白してしまいます。ショックを受けるあっちゃん。9年も一緒にいれば、コーヘーのことを1番分かっているのは自分だと思っていたでしょう。なのに、浮気して他の女性を妊娠させた……? コーヘーは「これからもあっちゃんと一緒にいたい」と言うけど、私はこの人を愛し続けられるのか。そもそも彼のこと、本当に「愛して」いたんだっけ? でも絶対に、失いたくない。これって執着? 愛って、家族って、命って何? あっちゃんの心は千々に乱れます。

同棲カップルの「終わらない日常」が終わるとき

長年一緒に暮らすカップルは、幸せな日々を送りながらも、「子供」については先延ばしにしているケースが多いもの。あっちゃんとコーヘーも、2人の「日常」がずっと続くと思っていたのでしょう。が、コーヘーが外で「命」という唯一のものをこしらえてしまったことで、その日常的な関係は、常に問い返さなければならない「不安定なもの」へと姿を変えるのでした。何のために、私たちは一緒にいるのか。愛とは何か。2人は突然、そんな問いがループする「非常事態」に投げ込まれるのです。

『にこたま』の特異性は、同じくアラサーカップルを描いたマンガ、日暮キノコ『喰う寝るふたり 住むふたり』(2012年よりコミックゼノンで連載中、1~3巻、徳間書店)と比べるとより際立ちます。『喰う寝るふたり 住むふたり』は、交際10年、同棲8年目のカップル、「リツコ」と「のんちゃん」の日常を描いた人気作。主人公のリツコは『にこたま』のあっちゃんと同じく料理上手で、アクセサリーデザイナーの仕事に誇りを持っています。あっちゃんと同じで、分かりやすく男性に依存するタイプではありません。リツコの彼氏「のんちゃん」も、『にこたま』のコーヘーと似て、優しいけれど女心はあんまり理解できないタイプ。どちらのカップルも、長年一緒に暮らしている幸せを感じている点は同じです。が、『喰う寝るふたり 住むふたり』では「同棲」という「終わらない日常」が描かれるのに対し、『にこたま』は、その「終わらない日常」が終わったところから物語がスタートしているのです。

「共に生きる人」を選ぶプロセス、それは苦難か喜びか?

『喰う寝るふたり 住むふたり』は連載中で、これからどんな展開になるかは分かりませんが、今のところ2人の関係は強固で、終わりのない日常の幸せが漂っています。リツコとのんちゃんは、何も決めなくていいのです。対して、「終わらない日常」が終わってしまった『にこたま』では、2人が互いの関係を問い直す「決断」の連続。それは、コーヘーが「命」というかけがえのないものを創り出してしまったからです。にもかかわらず、男のコーヘーは「産む」こともできず、浮気相手の女性に堂々とものが言えるわけでもなく、彼女のあっちゃんに対しては罪悪感が募って、オドオドするばかり。「男の弱さ」が生々しく描かれるからこそ、男性読者も色々と思うところがあるのでしょう。

「終わらない日常」が終わった「非常事態」の2人は、物語が進むごとにいくつもの決断を迫られます。悩んだ末にあっちゃんは「答え」を見つけるのですが、それはぜひ作品を読んでみて下さい。ある男性は『にこたま』を読んで、「自分と共に生きていく"ひとり"を選びだす物語だ」と感じたそうです。ありふれたラブロマンスとは違って『にこたま』では、「共に生きる人」を選ぶ「現実的な決断」が描かれるというのですね。「命」という異分子によって、同棲カップルは「共に生きる人」を選ぶ決断にさらされる。その過程は試練か、それとも明るい未来への道筋か……。「同棲」そして「家族」というものについて考えてみたい人はぜひ、一読をお勧めします。

<著者プロフィール>
北条かや
1986年、石川県生まれ。同志社大学社会学部、京都大学大学院文学研究科修了。 会社員を経て、14年2月、星海社新書より『キャバ嬢の社会学』を刊行。
【Twitter】@kaya8823
【ブログ】コスプレで女やってますけど
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イラスト: 安海