「結婚は勢い」。結婚経験者からよく聞く言葉です。確かに、自分が結婚しそうになったときも、謎の勢いがありました。途中で失速したため、結婚には至りませんでしたが、あの勢いに乗らなければ、結婚するのは難しいのかもしれない、とときどき思います。

「この人と結婚して、うまくやっていけるのだろうか?」

結婚したことがない人間には、結婚生活のどういうところの合う/合わないが重要であるかすらわからないのに、そんなことを考え始めるときりがありません。正解など、してみなければわからないのです。しかし最近、この「勢い」を失速させる要因ばかりが増えているように思えて仕方がありません。

出産、経済、のしかかる不安

結婚というものが視野に入ってくると、多くの場合、女性は出産をどうするかという問題に向き合わなければならなくなります。

まず、産めるか産めないのかというシビアな問題がありますし、産めるとわかれば今度は産みたいか産みたくないか、まず自分の心に問わねばなりません。「お互いに、自然に任せようということにしてる」。そう言えるなら、どんなにいいかと思いますが、私はそれが言えません。産むか産まないかで、自分の将来は大きく変わってきます。

結婚するだけでも、暮らしが大きく変わるのに、そこからさらに子供……。もはや、その変化が自分の許容範囲内のことなのかどうかすら、想像がつかない状態です。「やってみればなんとかなる」、そう思う気持ちもありますが、それをそんなにはっきり「やりたい」か? というところでつまずいてしまうのです。

私は、子供が世の中に産まれてくることについて、無条件に祝福の気持ちを持っています。それを持ち続けたいとも思っています。けれど、自分が産む当事者になるとすると、経済的、時間的に生活をちゃんとやっていけるか、ということを考えずにはいられません。

これは、女が産む性である、ということだけが理由ではありません。妊娠し、産んで、授乳する、という肉体的な負担だけでも想像を絶するものがありますが、負担がそれだけならば、まだ「産む」ことは、そこまで重いことだとは思いません。

育児における、母親の責任が重すぎるのです。太ってるだの痩せてるだの、言葉が早いだの遅いだの、そういうことで責められるのはいつも母親です。電車内でベビーカーを畳むとき、子供を抱くのは誰でしょうか。子供が熱を出したとき、会社を早退するのは? 私はそういう、世間が母親にかけている圧力を想像するだけで、ストレスで押しつぶされそうになります。

一点の迷いもなく「産みたい」とか、「自然に任せる」と言えない女にとって、「出産」は、結婚に対する勢いを大きく失速させる、大きな要因ではないかと思います。

<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。

イラスト: 野出木彩