仕事で若い男性に取材をしたとき、結婚願望があるのかを訊く機会がありました。それに対する彼の答えは、「結婚をしたいとは思っているけど、今の自分は仕事でのキャリアもまだまだ。こんな自分じゃ相手の人を幸せにできると思えないから、まだ考えられない」というものでした。

非常に誠実な答えに、その場にいた取材陣は感動し「若いのにしっかりしてる」「真面目な方でしたね」と、帰り道では賞賛の言葉しか出てきませんでした。私も彼の発言には感心したのですが、それからしばらく経って、意外とこの言葉は結婚するかしないかを分けるキーワードなのではないか、と思い始めました。

「相手のことを幸せにする自信がない」。それは、私が常日頃感じていることと同じです。

仕事で疲れて家の中が散らかっていることもあるし、忙しくてゆっくり過ごす時間が取れないこともあります。それで「相手を幸せに」なんて、とてもできる気がしません。仕事に専念し、金銭的な豊かさを還元する、ということも、今の状況ではほぼ不可能に感じます。一人で食べていくのがやっとという感じだからです。「相手にメリットを与えられない」と思いますし、結婚生活を続けていくための忍耐強さがあるかというと、それにも自信がありません。

もっと言えば、「結婚で自分が幸せになれる」という自信も、実はあまりないのです。経験したこともないのに、「それをすれば幸せになれる」と、無条件に思えるでしょうか。難しいところです。

「責任」をどう捉えるか

でも、身近で結婚している人たちを見ると、結婚ということを、もっと違う意味で捉えている印象があります。結婚というものを「前向きに責任を果たす」感じで捉えている人が多く感じるのです。

その責任感のありようは様々ですが、「社会人として、家庭を持つのが当たり前」と考える人もいれば、「長くつきあってきて、お互いにこの人だと思っているのだから、結婚という形を取るのが相手に対する責任」と考える人もいます。相手が難しい局面に立っているとき、「身近にいたほうが手助けできる」という理由で、結婚へ飛び込んでゆく人もいます。

「相手を幸せにできる自信ないし……」「自分が結婚で幸せになれるかわからない」なんていう及び腰ではなく、「一緒にいたほうがより充実した生活になる」「いろいろあるけど、それも経験になるはず」「失敗するかもしれないけど、離婚という選択肢だってあるし、未来のことなんて誰にもわからないから」と、決していいかげんではなく、前向きに結婚というものにチャレンジする気持ちがあるように感じるのです。

私は、基本的に後ろ向きの人間です。前向きに何かにチャレンジするのは、いつでも怖くてたまりません。でも、生きていくということは、常に何かをしなければいけないということなのです。仕事をしなければ食べていけないし、何を食べるか、何を買うか、常に選ばなければいけない。

どうせ何かをしなければいけないのなら、できるだけ自分の心に沿うことをしたいと思います。結婚というのは、自分にとってはとても難しい問題ですが、前向きに考えることをやめずにいたいと思っています。

<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。

イラスト: 野出木彩