深夜、友達と恋愛に関する話をメールでやりとりしていたところ、こんな言葉が出てきました。「もう、選ばれない女にはなりたくない」。

胸にぐっと、重いものがのしかかってきました。今まで、それなりに恋愛経験を積んで、男性から恋人としては「選ばれて」きたはずなのに、それでも結婚していないというだけで、「最終的には選ばれなかった」という深い挫折感を抱いてしまう女性は、私を含め大勢いることでしょう。

離婚経験のある人が、わりとすぐに再婚したり、既婚者が軽々と不倫できたりしてしまうのは、どこかに「一度、誰かに選ばれた人なんだから間違いない」という、保証書のようなものがついているからではないか、と思うこともあります。「一生をともにする相手として選ばれた」というからには、何かしらの魅力や、信頼に足るものがあるに違いない、と思えるのです。

選ばれない→自信喪失の負のループ

幸せな恋愛や結婚をする上で、もっとも大事だと言われているのは「自信」です。自信過剰すぎて相手を徹底的に否定するようでは良くないと思いますが、自信がない人は、恋愛の場面であろうとなかろうと軽んじられる傾向があります。

「私なんか」「俺なんか」という卑下を繰り返す人間は、その人の内面をよく知らない人から見ると、本当に「私なんか」という、つまらない内面しか持っていない人のように見えてしまいますし、「自分なんか」というその姿勢は、失敗したときの言い訳を先に言っているかのようで、責任から逃れようとする姿勢のようにも見えます。

誰でも、魅力的だと思える人と付き合いたいし、一緒にいたいものですから、「自分なんか」という姿勢でいると、近づいてくる人は減ります。それどころか、「これだけ自信のないヤツなら、いいように扱えるかも」と思う、自分が優位に立って都合の良い関係を築きたい人が近づいてきます。

自信をなくした状態でいることは、このようにいいことなど何もないのですが、かと言って、自信というものは「持て」と言われてすぐに持てるものではないことを、私も、何年漬けられたかわからない漬け物のように、味がしみた状態で理解しています。「選ばれない女」から「選ばれる女」になるために、不可欠なのは自信。そうわかっていても、選ばれる前にその自信をひとりでどうやって生み出していけばいいのか……。

そのためには、「選ばれなかった女」という概念を、まず心の中から消し去ることが大事だと、私は思います。結婚に至らなかった理由はいろいろあるし、年齢的にそういうことが考えられなかっただけ、ということも十分あります。また、相手があなたを選びたいと思っていても、あなたの側が決め手を感じなかったことだって、あるはずなのです。

愛があった、と確かに思える関係であっても、成就しないことだってあります。そういう、他人から見たらただ「選ばれなかった女」かもしれない事柄の数々を、当事者である自分自身が「選ばれなかっただけのこと」と、雑に切り捨ててしまっていいものでしょうか。過去に、自分に対して真剣に向き合ってくれた人に対して、また、現在自分に対して真剣に心配し、励ましてくれる友人や家族に対して、それはあまりにも失礼な行為ではないでしょうか。

「選ばれなかった女」だなんて、そんなことを言ってサマになるのは80歳を過ぎてからです。それまでは、「いろいろあったけど、なかなか結ばれなくて」と、さもわけありげな顔をしてはぐらかしつつ、新たな相手と真剣に向き合おうと悪戦苦闘するのが、いいのではないかと私は思うのです。

<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。

イラスト: 野出木彩