私は、結婚に対して夢があります。それは、一人の人と、継続した信頼関係や恋愛関係を築いていくことです。そういうことを考えていると、相手と自分の相性が重要に思えるので、なかなか「とにかくまず結婚!」とは思いにくいです。

しかし、最近、ひどく落ち込むことがあり、家に閉じこもっていたとき、ふと思ったのです。「とにかく、何でもいいから早く結婚しないと、私、死ぬかもしれない……」

弱味を見せられる相手が必要

人によると思いますが、私は、自分が落ち込んでいる状態を「恥ずかしい」と思う気持ちがあります。こうしてその状態から抜け出してしまえば、笑って話すことも、書くこともできるのですが、その最中は、そんな姿を誰にも見られたくないと思います。特に、親しい友人、家族など、心配してくれる人には言いたくありません。

でも、そういうときに思うのです。こんな弱った状態を見せられる相手がいれば、そういう人にしがみついて泣くことができれば、どんなにいいだろうかと。好きな相手が苦しんでいるときに、そう思うこともあります。自分が支えられるのなら、どんなにいいかと思います。

もちろん、結婚すれば誰でもそういう関係になれるとは思いません。他人ですから、理解し合えない部分も必ずあるでしょうし、どこまで自分のことを見せるかということが、心を開くということではなく、ただのだらしない甘えや、一方的な寄りかかりになることもあります。

でも、独身の今の状態は、私にとって、そういう関係を作るチャレンジすらできていない状態なのです。このまま生きていくことを考えると、人生はあまりに長く、つらいものだと思います。

寂しさは何で埋まる?

そこまで思っても、婚活に踏み切る度胸もない中途半端な状態が続いているのは、なぜなのでしょうか。

どこかに、愛し愛されて結婚したいという夢があり、そういう結婚でなければ、この寂しさは埋まらないと、そう思っているからではないでしょうか。愛し愛されても、埋まらない孤独というのはあると思います。でも、そんなもの、今の段階ではわかりません。

ただひとつわかることは、こういう鬱々としたことを考えているときは、時間があればあるほど苦痛だということです。だから「死にたい」と、そこまで飛躍して考えるのです。生きるというのは、時間があるということですから。

とりあえず、その時間を忘れるには、私の場合は仕事です。暗く深い寂しさの穴から抜け出すきっかけは、いつも仕事です。仕事ができるようになれば、ある程度時間を忘れられるし、寂しさも忘れられます。

出産した友人が「子供産んでから、忙しくて『寂しい』っていう気持ちは完全に忘れた」と言っていたことがあります。人と接するということは、基本的に「忙しい」ことで、一人の時間が減ることです。

寂しさで死なず生きるためには、その「忙しさ」を、どこかで引き受けないといけないのかもしれない。最近は、ときどき、そう思うのです。

<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。

イラスト: 野出木彩