私は子供の頃から、お説教というものが好きではありませんでした。まぁ、好きだという人はあまりいないでしょうし、それは大人になってからも同じなのですが、大人になってから「ああ、あのお説教は、なかなかいいことを言ってたな」と思うお説教もありましたし、社会に出てからは「さすがにこれはガツンと言わなきゃいけないよな」という場面に直面することも増え、子供時代のようにお説教を「理不尽な嵐のようなもの」(いや、叱られる理由はあったんですけどね)と思うことはなくなってきました。

それでも、私にはどうしても嫌いな種類のお説教があります。それは「努力してがんばっているけれど、成果を出せていない人間に『だからダメなんだよ』と言う」類のお説教です。

弱みにつけ込む説教に屈しない

努力してがんばっているのに成果が出せない人間を否定するのは簡単なことです。たとえば就職活動で、いっこうに内定が取れない人に向かって、すでに就職している、または内定が出ている人が「お前は○○だからダメなんだよ」と言うと、成功している人の言うことですから説得力があるように聞こえます。

「○○だから」に入る言葉は、何だっていいのです。失敗を続けている人間は、自分の何が悪いかわからなくて悩んでいるのですから。「お前は○○だからダメなんだ」。その一言で「ああ、そうなんだ。私は○○だから、就職がうまくいかないんだ」、人によってはいとも簡単にそう信じてしまうでしょう。

私はこういうお説教をする人に、今まで何人も会いました。「雨宮さんは○○だから結婚できないんだよ」「○○だから恋愛がうまくいかないんだ」「○○が欠けてるから、誰とも続かないんじゃない?」……。

時にはそうした言葉を真に受け、信じ、自分を責めたこともあります。特に人間関係では「あなたにはこういう悪いところがある」と言われて、自分には何も非がないと思える人のほうが少数派でしょう。「これだから人間関係がうまくいかない」と言われたら、思い当たるフシのひとつやふたつ、あるに決まっています。それ以外にも、私にはたくさんの欠点があります。

では、これらの言葉は事実を言い当てているのでしょうか。「私のためを思って」発せられた、「ためになるお説教」なのでしょうか。

私はそうは思いません。努力の方向が間違っているのなら「こうするといいよ」「そっち方向にがんばるのは、違うんじゃない?」と、アドバイスをすればいいのです。私の友人たちは、極めて上手に、私を落ち込ませないよう、自信を失わせないようにそれらのアドバイスを言ってくれます。

もし私と同世代の友人が「やっぱ、男にモテるにはゆるふわ系がいいんだよね! 私がんばる!」と言い出して、三十代後半でゆるふわをやろうとし始めたら、私だって全力で止めるでしょう。それは「間違った方向の努力」だと思うからです。

アドバイスでもない、ただあなたという人間を否定したいだけの「お前は○○だからダメなんだ」、ただ自分が上に立ちたいがために発されるそういう「お説教」は、人の弱みにつけこんだ、もっとも汚い手口の示威行為だと思います。

努力してもうまくいかない、それは人生で珍しいことではありません。死ぬほど努力しているのに、本人の望む結果が得られなかった人を私はたくさん知っています。その人たちの努力が足りていないとは思いません。「運も実力のうち」なんていう言葉で追い討ちをかける気もありません。うまくいかないことだらけなのが普通なのですから。

その「うまくいかなさ」につけこんで「お前は○○だから、結婚できないんだよ」なんていうお説教をしてくる人の言葉に、落ち込む必要なんてありません。

婚活をしていようがいまいが、人間にとって大切なものは「自信」です。自信がなければ人は自分の魅力を輝かせられないし、自信を失ってしまえば、自分の意志のままに行動することもできなくなりかねません。

「謙虚」と「自己否定」は、似て非なるものです。汚い手口のお説教にひっかかって「自己否定」の悪循環に陥らないでください。あなたは独身なだけで、なにも悪いことなど、していないのですから。

<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。

イラスト: 野出木彩