よく「結婚したい」理由として挙げられるものに、こんなものがあります。
「一人で死ぬのは怖い」
「自分が自宅で孤独死してる姿を想像すると、悲しくてしょうがない」

普段「結婚したい」という人の気持ちには、強い共感を持つことの多い私ですが、実はこれだけは全然共感できません。病気で死ぬのならとりあえず入院してるでしょうし、孤独死しているパターンとして考えられるのは突然死でしょう。自分でも何が何だかよくわからない間にポックリ死んだとして、何が怖いのでしょうか。

「三日間激痛に苦しみもだえながら死んだ」とか、そういう状況を想像すると確かにご勘弁願いたいと思いますが、そうでない限り、孤独死を怖いと思うことは、私にはありません。「死後に腐乱死体で発見されるのが怖い」と言う人もいますが、どんなにきれいな死体であっても、私は自分の意識のない姿を人に見られるのは嫌だと考えているので、死体がきれいか、腐乱しているかはどうでも良いのです。もう死んでいるのに、恥ずかしいもなにもありません。

「孤独死」よりもこわいもの

私が孤独死よりも怖いのは、「ひとりで生きること」です。さまざまな喜びや悲しみ、愛情を誰かと共有することがないまま、たったひとりで生きることのほうが、ずっとずっと怖いです。

幸い、私は友人に恵まれていますし、近くに住んではいないけれど家族もいます。仕事相手にも、これを読んでくださっている読者のみなさんにも恵まれています。とてもじゃないけど「ひとりで、孤独に生きている」なんて、失礼なことは言えないです。

あと、ほんの少しですが、怖いと思うのは「好き勝手に独身を貫いて、気ままな暮らしをしておいて、困ったときだけ他人を頼るなよ」という、世間の視線です。「夫婦」というチームを組むのがまだまだ当たり前の世の中で、「独身」というのはその「当たり前のルール」に従わないはぐれ者として見られるのです。

好きではぐれ者になっているわけではないのですが、そういう人間が、例えば肉体的に困ったことや、何らかの理由で金銭的に困ったことになったときに「頼る人間、相談できる相手はいません」ということになれば、周りから「好き勝手に生きてきた人間に迷惑かけられたくない」という白い目で見られるのではないか、と想像してしまうのです。社会的な、例えば生活保護などの制度を頼ってもたたかれそうだなと思ってしまう自分がいます。

そういうことを考えるときのほうが、孤独死を考えるより、もっと「このまま生きていて、いいんだろうか」という気持ちになります。

ただ、こっちだって、独身だろうが結婚していようが、一度しかない人生を悔いのないようにと精いっぱい生きていることには変わりがないのですから、なるべくすべての人が、そのような「社会的な疎外感」を感じない世の中になればいいと、私は考えています。

<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。

イラスト: 野出木彩