私の住んでいる町内に秋葉堂という古い建物がある。火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおみかみ)または秋葉権現を祭ってあり、お堂の前に防火水槽がある。この"秋葉"という言葉でピンと来る人も多いだろうが、東京の「秋葉原」の名前は、明治2年の大火の後、この火伏せの神様の秋葉神社を祭って、さらに広大な火除地を作ったことから、秋葉の原と呼ばれるようになったのが由来だそうだ。もともと民家の密集地帯が多く、紙と木で家ができている江戸では、火事は大変な脅威だったはずである。江戸時代には3年に1回は大火があったといわれるので、当時から、地震、雷、火事、親爺(本当は大山風(おおやまじ:台風))が、災害の代表と言われたのは納得できる。

火事ついでに言うと、神社仏閣の切妻のところに垂れ下がっている板を良く見ることがあるが、これは懸魚(げぎょ)と言って、火伏せのおまじないとして魚を使ったことに由来している。先日滋賀県に遊びに行ったのだが、このあたりでは土蔵に"水"という文字が書いてあり、これもやはり同じように火伏せのまじないであった。神奈川県立歴史博物館のドームには、シャチホコみたいなドルフィン(イルカ)がつけられているが、これもそうであろう。このように建造物に対してさまざまな「おまじない」を行うのは、古今東西、その建造物自体の価値と共に、大切な中身が存在するからである。

情報システムに置き換えてみよう。情報システムの構成要素というと、ハードウェア、ソフトウェア、設備がまず思い浮かぶが、これよりもっと大切な中身は"データ"、言い換えると情報そのものだ。いくら災害からハードウェアを守ったとしても、その中にあるデータが腐っているものであったら、何の役にも立たない。情報システムは、データを鮮度良く、正しく維持し、目的の利用に供するための仕掛けである。仕掛けである以上、データを大切に扱い、維持管理できるように設計しなければならない。

情報を守るという意味では、情報漏洩についても同じように情報の取り扱いの設計が大切である。つまり、情報を漏洩させないハードウェアだけの仕掛けを導入しただけではだめで、情報の責任元の明確化、情報に関する考え方の教育など、情報の維持に必要な活動とセットでやっと遵守できるものである。

ところがこれらがうまく考えられていないケースも時折ある。たとえば、営業情報の共有のためのシステムを作ったが、誰もデータを入れない、したがって情報がほとんどない、たまたま入っているデータを見ても古く役に立たない情報しかない、など、情報の網羅性、正確性、信頼性に疑問が噴出する場合がそうである。このケースでは、誰でも情報を入れられる営業情報データベースは"管理"されていないのだ。つまり業務として情報の鮮度を維持する人がいなければ、情報を良くしていく旗振り役もいないことも多い。さらにもともと情報を入れる文化、協調作業をする文化がないところだと、データを無理やり入れたからと言って、何が良くなるわけでない。

こういった、みんなで寄ってたかって更新する"船頭の居ないおみこし状態"のデータベースほど腐りやすいものはない。例え話が良くないが、誰もが入れてよい、そして何のルールもない職場の冷蔵庫で、誰のものとのわからない食べ物が入っていて、それが腐ってくると気味悪くて、みんなが冷蔵庫を使わなくなると同じである。

システム開発に戻ると、情報の処理部分、つまりプログラムのロジックに多くの注意が向けられていて、人間系を含めた情報の鮮度を保つための仕掛け、情報の妥当性チェックに対する考慮が不足するものが多い。また肝心の情報の責任元が不明確なものまである。

システム思考のできる人は、システムの開発だけではなく、現在動いているシステムのデータの移行、情報の取り扱いに対するユーザー説明会などに十分な注意を払う。しかしお金をかけた大規模なシステムになればなるほど細かい部分に目が届きにくく、アプリケーション開発のみに注力し、データを入力したあとの情報の取り扱いを甘く考えてしまいがちなので、注意が必要だ。繰り返しになるが、データが命なのだ。

デジタル一眼レフが普及して、写真を趣味にしている人が大変増えている。この写真をCD-RやDVD-Rに焼いて保存している人も多いが、これもいつ消え去るかわからない。一般的に、メディアの耐用年数は数十年から100年程度という話だが、炎天下で2時間程度放置すると読めなくなったとか、普通に3年間で読めなくなったという話も聞いた。1980年代に普及した音楽CDも寿命がほぼ同じと言われているから、実際のところいつ情報が失われるかは誰もわからない。パソコンは壊れても代替機を準備できるが、メディアが壊れたらデータは戻らない。もっとも、大切なデータが存在しての話ではあるが。

大切な中身が失われないようにすること、そして中身をいつも新しく新鮮にするための努力を惜しんではならない。情報システムの生命は、やはりデータなのだから。

どんなに性能の高いハードがあっても、その中に入っているデータに価値がなければあまり意味はない。そして価値を高めるには、データ、およびデータを扱う人間の技術をこまめにアップデートしなければならない

(イラスト ひのみえ)