カンボジアにあるシェムリアップは、日本でいうと昭和初期の田舎のような素朴な町である。市内では、1つしかない信号機以外に妨げるモノがない道路を、多数の3人乗りのオートバイが走り去っていき、夕方になると、暗闇の空を大量のコウモリが飛び回るという、のどかな場所だった。

今、ここシェムリアップは、ホテル建設ラッシュと道路建設ラッシュに沸いている。この村の近くにあるアンコールワットをはじめとする遺跡群を訪れる、激増中の観光客を吸収するためだ。アンコールワットやアンコールトムは、世界遺産として素晴らしい場所であるのは確かで、一見の価値はある。ただバブルの崩壊の経験がまださめやらぬ私としては、この建築ラッシュはなんとなく釈然としない。

一般的に情報システムは、ベンダとの協力の下で、相当のお金をかけながら開発するものだ。どのくらいの投資をしているかというと、業種によって差はあるが、年間売上高の数パーセント(0.5 - 3%程度)が情報システム関係の費用として使われている。

業績が伸びている会社はどうであろうか。売上が10億円の会社は、先ほどの比率で行くとざくっと1,000万円の情報システム投資で運用を含めてやっていることになる。ところが売上が急激に10倍に伸びた時点で、業務や情報システムが合わなくなる。たとえば、それまでは本社1カ所で、しかも紙の伝票で処理されていた受注が、業績拡大に応じて全世界5カ所で処理されるようになるとする。紙ベースの受注では、受注処理も遅れるし、出荷、売掛金回収という流れも滞るようになるだろう。当初は何人ものパートタイムの人を雇って人海戦術でこなしていくだろうが、それもすぐに限界になる。業務のやり方の改革と合わせて、オンラインの受注処理が必要になると言うことは容易に想像できる。

もちろんこの逆もありうる。業績が急激に悪化していくと、それまで1億円かけていた情報システムにデータが流れて来なくなる。システム自体はそのままであるから、売上100億の会社が、半分の売上になる(なったら怖いが)と、利益が全部吹き飛ぶくらいの固定費を抱えていることになりかねない。

話を元に戻すと、実は情報システムを作ることだけに目を奪われ、その後の運用費用を忘れている人が少なくない。情報システムの開発は、いわば無から有を作るということであるから、大変な作業であることは間違いない。しかし、産み落とされた情報システムを生かして、育ててこそ投資効果が生まれてくる。桃太郎だって生まれてすぐに鬼退治に行けるワケがない。

これは店舗経営と同じである。まずは開店しなければならない。しかし店舗は良いお客様を絶えず迎え入れて満足してもらうことによって発展していく。日々の在庫管理、商品の仕入れだけではなく、お客様に合わせて、棚の配置を換えたり、商品の入れ替えもしなければならない。開店ばかりに気を取られて、肝心の店舗経営がおざなりになってしまうと、つぶれてしまうかもしれない。つまり開店のための投資が無駄になるかもしれないのだ。

情報システムに当てはめると、店舗がつぶれてしまうとはどういうことであろうか? 情報システムは情報というデータが命である。このデータに嘘の情報が入り始め、正しくない情報になってしまうと、いくら処理が正しくとも情報システムはまったく役に立たない。締め切りまでに到着する予定の情報が入らなければ、決算情報すら正しいと言えなくなる。特に企業情報のうち、さまざまな部署からの入力で成り立つデータは簡単に朽ちてしまう。また不可避の災害を含む、何らかの障害が発生した場合、すべてのデータが失われることも考えられる。

情報システムの完成は、このような「安定稼働の維持と変化への対応」という大変な作業の始まりである。かつて私の近くに、製品開発の経験はあるが情報システムの経験がないマネージャがいた。彼は情報システムの開発が終了したらさっさとプロジェクトを解散させてしまった。彼の口癖は、「保守/運用のようなつまらないことではなく、どんどん開発をせよ」であった。その結果、運用する部隊は縮小させられシステムはうまく動かず、またそういう言い方をされると、保守/運用に携わる人のモラルは下がりっぱなしという状態になった。

そのシステムの支援する範囲が、自社の中だけではなく、他のグループ会社、そして一般の人まで巻き込むとなると、問い合わせ対応など、運用にも、ものすごいパワーがかかることがわかるだろう。システムが完成すると、それをきちんと動かすような体制は必須である。これを忘れてはせっかくの投資が無駄になりかねない。

アンコールワットの近くにある、巨大な大木が遺跡を巻き込むように生えているタ・プロームの遺跡の写真を見た人は多いだろう。熱帯モンスーン気候のこの地域では、放置された建物はあっという間に植物に飲み込まれてしまう運命にある。せっかく作った建築物も手入れを怠ると駄目になる。巨大な物を作れば、手入れも大変になるし、逆に崩壊の可能性も高くなる。ここでは、建築は植物と人間との戦いの始まりを意味する。

システムの完成も同様に、これからの継続的な活動を行う戦いの始まりである。そして同時に、理解のないマネージャとの戦いの始まりかもしれない。

高いクォリティをキープするにはコストがかかる。それを考えずに目先の利得だけにとらわれてしまうと、「こんなハズではなかったのに」と後悔することにもなりかねないのでご注意を。システムは○○と一緒で、あとから簡単に取り替えるというわけにはいかないのだから…(○○にはお好きな単語をどうぞ)

(イラスト ひのみえ)

執筆者プロフィール

中村 誠 NAKAMURA Makoto
日立コンサルティング シニアディレクター。 情報システム部門での開発/運用の実務経験、データベース、ネットワーク、PC等の導入、会社全体の情報システム基盤設計経験を通じたITに関するコンサルティングが得意分野。