ビジネスモデル特許、数十億円にものぼる特許権侵害訴訟、元・従業員からの職務発明の対価を請求する訴訟等、一般紙にも載るような知的財産に関する事件・報道がここ数年間続いており、「知的財産」というのが一般の人にとって随分と身近になったように思われる。そのため、中堅企業やベンチャー企業の経営者の間にも「知的財産」に対する関心が強まり、昔よりは随分と気を使うようになった。

しかしながら、経営者が「知的財産」について関心を持ったとしても、巷に出ている本は、いわゆる知的財産に関する「経営」ではなく、純粋な「法律」の概説書や国家資格の弁理士試験対策向けのテキストが多い。これらを手にしてしまい、最初の数ページを読んで期待した内容と異なり、「ま、いいか」となっていた人が実は多いのではないだろうか。

また、過去に特許出願したことがあっても、「何年か前に出したけど結局登録にもならず経営に影響は特になかったな」というような、「知的財産なんてこんなもんだよ」というような「思い込み」を持っている経営者もいるだろう。

しかし、待って頂きたい。本当に知的財産のことが分かっている「経営者」が今の日本でどのくらいいるだろうか。私の知る限り、誰もが知っているような一部上場企業の「経営者」の口からも「本当に分かっているのだろうか」と心配になるような話を耳にする。

そこで本連載では、経営者によく見られる典型的な「誤解」のいくつかを紹介しつつ、今さら部下には聞けないけれども、経営者であれば本来知っているべき基本的事項について解説する。

知的財産に関する誤解その1


「知的財産は気にしてこなかったがこれまで事業的に成功している。何か問題が起きたときに対処すれば良いのではないか」

本稿では、まずこの誤解を取り上げる。このような認識は中堅・ベンチャー企業の多数派ではないだろうか。むしろ、大手企業の経営者でもまだかなりの数がいると思われる。

しかし、仮に本当に知的財産を気にせずに事業的に成功してくることができたとすれば、その理由は次のうちどれかであろう。

誤解に気付かない理由その1

従来型商品分野において、「創造性」ではなく、価格競争あるいはブランドで勝負しているというケースが考えられる。従来型商品というのは、長年ほぼ同じような形で商品が作られており、例として、ソフトで言えば多機能を省略した簡易版ソフト、ハードで言えば雨傘などがあげられる。つまり、革新的な技術が出にくい分野の商品のことであり、このような分野であればそもそも知的財産の勝負ではなく、原材料及び製造・流通等のコスト、あるいは信用や見栄えというブランドで勝負する世界であるから、当然のことながら人間の「創造性」に関わる知的財産権の問題は出てこないことが多いであろう。ただし、後者のようにもし本当にブランドで勝負しているのだとすれば、厳密には「信用」という「知的財産」で勝負しているといえる。この点は別の回に詳しく述べる。

誤解に気付かない理由その2

実はノウハウで勝負しているというケースも考えられる。すなわち、特許出願などは特にしていないが、ある製品やサービスに独自のノウハウがあり、それが外からは容易に知りえない場合、確かに特許出願をする必要はない。例えば、コカコーラの原液の製法ノウハウの話が有名で、これには独自のノウハウがあり、100年以上も前から銀行の金庫に保管されていて役員クラスのうちでも限定的な人しかアクセスできないと一般に言われている。

ただ、ノウハウというのは営業秘密として管理する対象であり、営業秘密は知的財産の一種である。この点の説明も回を改める。

誤解に気付かない理由その3

「事業として成功している」と経営者は思っているかもしれないが、実際にはそれほど儲かっていないというケースが考えられる。出所は不明であるが、知的財産の世界には、「豚は丸く太ってから食え」という格言がある。これは、他社が自社の知的財産権を侵害する事業を展開していることが仮に早い段階で判明したとしても、他社製品の出荷数が少ないうちに警告するよりも、出荷数が増加し、他社に相当の利益が出ていると認められてから警告すべきというものである。

出荷数(製造数)が少ないうちは警告を受けた方もまだ引っ込みやすい。逆にいうとこの段階だと警告した側にはほとんどお金(損害賠償は侵害者の利益が算出根拠になる)は入らない。しかし、出荷数が多く出て、利益がそれなりの規模になってくると引っ込みがつかなくなるので、ある程度まとまったお金を払っても続けざるを得ないという判断になってくる。これがこの格言の意味である。

そのような意味で「成功しているけど知的財産は問題にならなかった」というのは単なる思い込みで、そもそも他社から見てまだ「太っていない」レベルで満足しているだけなのかもしれない。

誤解に気付かない理由その4

上の3つのどれにも当てはまらない、すなわち特殊なノウハウはないが、革新的分野の事業で本当に儲かっているとすれば単に「たまたま運が良かった」か、あるいは「本来もっと稼げたはずの利益を逸失している」のどちらかの可能性が高い。

知的財産権の持つ恐るべき力は、実は「損害賠償請求」ではなく、「差止請求」である。差止請求というのは出荷が停止されるだけでなく在庫破棄も伴いうるものである。実際にはそんな話は滅多に聞かないという経営者も多いであろう。それは「差止請求」があまりにも甚大な影響を侵害企業に与えるために、「損害賠償請求」で解決する事件が多いからである。さらに出荷停止にしただけではそれ以後権利者にはお金が入らないので、むしろ出荷させてライセンス料としてお金を継続的にもらった方が良いという判断もある。

知的財産権の持つ恐るべき力は、実は「損害賠償請求」ではなく、「差止請求」。最悪の場合、出荷が停止されるだけでなく在庫破棄も伴いうるので、経営の将来に与える打撃は計り知れない

しかし、差止請求という恐ろしい最終手段を背景にした「警告」、つまり、「○○円払わないのなら出荷停止にしますよ」という権利者の主張を、事業が好調なときに受けたときの企業の衝撃は計り知れない。

実際、日本の名だたる大手メーカーの経営者の多くも、1980年代以降、個人発明家や米国企業に何百億円という「授業料」(知的財産の世界でいう、知的財産の管理が不十分だった企業が初めて他社に支払う賠償金、和解金又はライセンス料の俗語)を払って、ようやく今まで何も起こらずにやってくることができたのは「運が良かった」ということに気がついたのである。

また、知的財産を気にしてこなかったということは、特許出願等の申請も特にしていないし、営業秘密の管理も基本的には人任せだったということなのだろう。このようなケースでは、本来は取得できた権利を取りそこなって、知的財産さえ確保していれば競争しなくて良かったような後発企業と、気がつかないうちに本来はする必要のなかった価格競争を今、しているのかもしれないのである。

ここまで読んで少しでも実に覚えがある経営者の方には、是非とも本稿によって眼を覚まして欲しいものである。

次稿でも更なる誤解について解説していく。

(イラスト 牧瀬洋)