【連載】

カーエレクトロニクスの進化と未来

85 車内での音声認識を確実にするNuanceの騒音抑制技術

 

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音声認識ソフトウェア大手のNuance Communicationsが自社の音声認識技術を活かすためのノイズ抑制ソフトウェア技術を次々と開発している。最大の応用はクルマである。ハンズフリーで通話したり、クルマそのものと話をしたりできるようにするためだ。音声がクリアであればあるほど認識率は上がり、通話やクルマとの会話がスムーズになる。

1990年代後半、Bluetoothのヘッドセットを耳にかけ、車内で通話することが欧州を中心に広まっていた。運転中に電話を持って通話することに対して欧州では厳しく罰せられたためだ。おかげでBluetoothチップやモジュールが爆発的に売れ、欧州はBluetooth先進国となった。運転中の電話に関して次に厳しい米国でも2000年代に入りBluetoothが普及していった。欧米は飲酒運転並みに電話を持った運転に対しては厳しかったが、日本はずっと緩い。今でも電話やスマートフォンを持ちながら運転しているドライバーを時々見かけることがあるが、交通警察の取り締まりは極めて甘い。だからBluetoothが流行らなかった。最近スマホのおかげでBluetoothが普及してきたが、運転に関しては相変わらず取り締まりが緩い。

欧米ではBluetoothヘッドセットから、ハンズフリーへと進化している。そのカギとなる技術は音声認識。ただ、クルマの中ではエンジン音だけではなく、回転しているタイヤの音、道路の凹凸によるノイズ、風切り音などさまざまなノイズが生じる。このためドライバーの声はマイクで拾うことが以外と難しい。クリアな声や音だと認識するが、ノイズが混じってしまうと人間でさえも聞き取りにくいのに、ましてや機械ではなおさら認識できない。

そこで、Nuanceはクルマで走行中のあらゆるノイズに対処する技術の開発を行ってきた。同社はこのほど、クルマの中で音をハンズフリーで認識するためのノイズ抑制技術を3種類ほど披露した。1つは、ノイズ抑制のアルゴリズムを駆使してマイク1個でノイズを削減する技術であり、これを基本とする。さらに同乗者が話をしていてもドライバーだけの音声を拾えるようにした2マイクの技術、そしてバンのような大型のクルマではドライバーや助手席の声が最後部では聞こえにくいといった問題を解決する2マイクの技術だ。

音声認識ソフトウェアをコアとするビジネスを行ってきたNuanceは、ノイズ抑制に関してもやはりソフトウェアで行っている。スマホなどでは2個のマイクで音を拾い、一方の音の位相を180度反転させることで雑音を打ち消し合う方法があるが、クルマの中ではさまざまなノイズがあるため、あまり有効ではなさそうだ。

Nuanceの技術「SSE(Speech Signal Enhancement)」はマイク1個だけで対応し、アルゴリズムを考案してノイズを削減する。だからハードウェアとしてのマイクは1個で十分。しかもある程度の音量なら音楽がかかっていても、あるいはたくさんの人が乗って話をしていても、ノイズを押さえられるという優れモノだ。クルマの中での人間の音は、車内の壁に反射して時間的に少しずれてマイクに入る訳だが、あらかじめどのような反射モードが跳ね返ってくるのかを求めておき、その反響音パターンを打ち消すようなアルゴリズムや、音声ガイダンスと音楽が重なる場合を想定してそのパターンを抑制し、ドライバーの声だけを強調するようなアルゴリズムを使っているようだ。

図1 マイク1個でドライバの声を拾い周囲の騒音を打ち消し合うシステム (出典:Nuance Communication)

さらには、定常的に大きな騒音を抑制すると共に、突出したような非定常的な騒音、クルマでの風切り音、凹凸のある道を想定した非定常ノイズなど、いろいろな場面でのノイズを抑制するアルゴリズムを使っている。マイク1個で携帯電話を置き、ハンズフリーで通話する場合は図1のような回路ブロックで動作する。

ドライバー席とその隣の助手席のそれぞれにマイクを置き、2本のマイクを使う場合も同じようにアルゴリズムでノイズを抑える手法を使う。マイクにはある程度指向性があるため、助手席のマイクはそのすぐ前方上に設置し音声を拾い、同様にドライバーの音声も拾う。マイクの設置場所に制約があり、マイクを並べて設置しなければならない場合には、音源を分離するためのビームフォーミングを行い、ドライバーのマイクと助手席のマイクを実質的に分離する。

実際のノイズ抑制波形を図2に示す。ここではノイズを抑制しない場合、次は定常的なノイズを抑制した場合、そして定常ノイズと非定常ノイズを抑制した場合を示している。ノイズ波形がそれぞれの段階で減少していることがわかる。

図2 ノイズ抑制の効果。左からノイズ波形から処理前、定常雑音を抑制、定常雑音と非定常雑音を抑制した場合、を表している (出典:Nuance Communications)

同社のノイズ抑制アルゴリズムはさまざまな音の特性を測定し、そのパターンを学習するというその手法をアルゴリズムにする。同社は自動車産業に特化している訳ではないが、自動車産業を通して実績が蓄えられてきたとする。

助手席の人が話をしていてもドライバーの声をしっかりとらえるという「PIC(Passenger Interference Cancellation)技術」も開発している。従来なら、音声コマンドを発する時は同乗者に対して静かにするように注意をしなければならなかったが、この技術を使えば、その必要はなくなる。図3のように、これまでの技術と同様に、まず反響音を抑制したのち、PIC処理を行う。PIC処理では、ドライバーのマイクはドライバーの声を捉えると同時に、マイクに指向性があるため、小さな声の助手席の声で、助手席のマイクを通った声を打ち消し合う。

図3 同乗者がいてもその声は騒音として、ドライバーの声だけを拾う (出典:Nuance Communications)

このPIC技術を使えば、例えば4人乗りでは4つのマイクを用いて、4名それぞれの声だけを認識することもできる。その場合、音楽をかけていても構わない。ただし、どの人の音を拾うべきか、システムが判断できるようにするため、あるコマンドを言う。iPhoneで「Hey, Siri」と叫んでから音声入力する場合と同じである。デモでは「Hello Tetra」という言葉を発したが、このコマンドワードは自由に設定できる。

Nuanceは、さらに車内の声をより聴きやすくするため、ドライバーと助手席に2つのマイクを置き、それぞれの声を発する時に音を拾いそれをバンなど大型車の後部座席にいる人の傍のスピーカーから流すことも行っている。「ICC(In-Car Communication)」と呼ぶ、この増幅技術は、前方席と後部座席では聴覚的に-5~-15dBの音の差が生じることからスピーカーを通して声をかけるもの。ICCを使えば、前方にいる人がわざわざ後ろを振り向かなくても音を伝えることができる。この機能は、2014年末にメルセデスのマイバッハSクラスに搭載された(図4)。

図4 Mercedes Maybach Sクラスに2014年末に導入された (出典:Nuance Communications)

Nuanceの音声認識技術「Dragon Drive」は、音声認識エンジンを搭載しコンテンツ配信も行うソリューションであり、これからのクルマに搭載されていくだろうが、実際に搭載されるのには時間がかかる。音声認識技術を活用するために必要なノイズ抑制技術SSEは、AudiやBMW、MINI、Chrysler、トヨタ自動車、日産自動車、スズキ自動車なども採用を検討しているという。

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インデックス

連載目次
第90回 GNSS+GPSの測位チップで、測位精度を向上させたu-blox
第89回 ADAS/自動運転のシミュレーションデータからビッグデータ解析まで可能に
第88回 酔っ払い運転をテクノロジーで防ぐ
第87回 クルマにも大容量ストレージが搭載される時代が到来
第86回 ゴムまりのようなタイヤのコンセプトカーをGoodyearが提案
第85回 車内での音声認識を確実にするNuanceの騒音抑制技術
第84回 ルネサスのクルマ用半導体の戦略と戦術(後編)
第83回 ルネサスのクルマ用半導体の戦略と戦術(前編)
第82回 クルマの全体最適化を容易にするメンターのソフトウェア
第81回 クルマのコンピューティング機能を高めたR-Carシリーズの狙い
第80回 衝突防止レーダー時代が到来
第79回 東京モーターショーで高成長を確信したクルマ用半導体の未来
第78回 ビデオと音声を同期しながらEthernetで通信できる - Connected OSの背景
第77回 ルネサスのV2Xチップ、欧米で実証実験
第76回 ビデオ映像を1ms以下の遅延でイーサネット伝送できるルネサスのSoC
第75回 自動運転のクルマを目指し、さまざまな手を打つZMP
第74回 どっこい、鉛蓄電池も進化する
第73回 ADASの進化にはプログラマブルSoCで対応
第72回 クルマのナンバープレートが消える日
第71回 Infineon、HEV/EV用のIGBTモジュールの次世代版を開発中
第70回 車内ワイヤレスネットワークによりハーネス除去を目指す英国ベンチャー
第69回 クルマの安全性向上と共に増えるFPGAの実装
第68回 ルネサス、ソリューション提案を本格化-未来のクルマのロードマップを示す
第67回 コネクテッドカーをよりセキュアにするNXP
第66回 ルネサスの制御マイコンRH850はソフト開発の負担を軽減
第65回 欧州のクリーン化で世界を攻めるInfineon
第64回 画像合成・認識・視点変換・座標変換を搭載したADASチップをルネサスが実現
第63回 クルマ用組み込みシステムのすべてを設計できるMentorのツール
第62回 後発組としてニッチを狙うMaxim
第61回 新自動車用マイコン「Traveo」で富士通の強みを発揮するSpansion
第60回 トヨタグループが開発を進めるSiCパワー半導体とは何か?
第59回 小型モータ駆動用のパワー半導体に特化するON Semiconductor
第58回 ダイナミックレンジ120dBの1280×1080画素CMOSセンサチップ - OmniVision
第57回 カメラの映像処理がクルマの安全技術を握る
第56回 SIM-Driveが研究開発から実用化フェーズにギアチェンジ
第55回 プラグインハイブリッドに有利な欧州のCO2規制
第54回 Maxim、カーエレを市場/製品/製造/品質/供給の各戦略から攻め切る
第53回 車車間、車路間通信規格802.11pチップをNXPがSDRで実現
第52回 ボディ制御ECUをハード/ソフト同時設計できるツール - ルネサスとSynopsys
第51回 バッテリ状態をスマホで可視化できるユニットをパナソニックが発売
第50回 携帯電話で培った低消費電力とエコシステムを生かすARMのCPUコア
第49回 FSL、外から360度クルマが見える映像を合成するチップを開発
第48回 加速感を重視したスポーツカー仕様のSIM-Driveの第3号車
第47回 カーエレの頭脳から近未来のクルマを予測する
第46回 ニッケル水素電池でアイドリングストップの回生エネルギー能力を引き出す
第45回 APEV、EVプラットフォーム戦略をベースに学生向けデザインコンテストを開始
第44回 カーレースのデータを次世代安全システムに生かすフリースケール
第43回 通信ネットワークのクルマ応用を推進するNXP
第42回 鉛蓄電池を大事に使おう
第41回 メルセデス・ベンツのクルマに見る衝突防止システム
第40回 シャーシの基本設計を見直し、480kmの走行距離を実現したTeslaの新型EV
第39回 海外企業としてはじめてデンソーから技術開発賞を受賞したInfineon
第38回 専用チップにより一段と高まるクルマの音声認識レベル
第37回 富士通がカーエレのソリューションビジネスに本格参入を宣言
第36回 e-Summit 2012 - ADASに参入するEDA/通信半導体/FPGAの各企業の戦略(後編)
第35回 e-Summit 2012 - ADASに参入するEDA/通信半導体/FPGAの各企業の戦略(前編)
第34回 クルマ用のイーサネット規格は安全性見地から標準化と相互運用性で
第33回 居住性追求もやはり"燃費"が良いインホイールモータ - SIM-Driveの第2号車
第32回 小さなモータ駆動用マイコンで大きな自動車市場を攻めるFreescale
第31回 インホイールモータ応用を狙うSiCインバータを三菱電機が開発
第30回 エネルギーハーベスティングによるタイヤ空気圧モニタリングシステム -IMEC
第29回 モータ駆動用インバータを1/10に小型化できるSiCトランジスタ
第28回 インホイール・モーター車の実用化を早めるSIM-DriveとDassaultの提携
第27回 ソフトウェア無線技術を生かしカーワイヤレス分野を着実に伸ばすNXP
第26回 中国BYD、独自のトップダウン式垂直統合システムで急成長
第25回 携帯端末用マルチプロセッサ、カーインフォテイメントにも威力を発揮
第24回 車載用SoCをハイエンドからローエンドまで広くカバーするルネサス
第23回 ルネサス、車載向け「V850」マイコンシリーズが90nmを採用し第4世代に突入
第22回 クルマのインテリアデザインの革命児になるか、有機ELライティング
第21回 電気自動車普及協議会が設立 - 注意すべき点はEVのガラパゴス化
第20回 電気自動車とスマートグリッド構築の実験をナノオプトが開始
第19回 トヨタと米電気自動車ベンチャーの提携の先にあるもの
第18回 エンタメ系半導体でシェアをじわじわ獲得 - NXPがソフトウェア無線を推進
第17回 クルマの中でもホームエンタテインメントと同じ環境を構築 - Roviの戦略
第16回 電気自動車はクルマのデザインを見直す時代に - 差別化はデザインで
第15回 EVの航続距離を伸ばすインホイール・モーター技術 - SIM-Driveが開発を加速
第14回 Freescale、SiGeのBiCMOSプロセスで77GHzのミリ波レーダーを開発
第13回 エコブームに乗り電気自動車が相次いで発売される
第12回 より大容量のリチウムイオン電池開発を極秘に進める自動車メーカー
第11回 電気自動車のエンジンはずばりリチウムイオン電池だが、充電方法にも大革命
第10回 電気自動車に向くモーター駆動用パワーデバイスはSiのIGBTか、SiCのFETか
第9回 電気自動車の実用化に向け、その問題点と解決策を探る
第8回 パッケージの上からチップIDがわかるX線装置と記録インクを東レが開発
第7回 半導体の産地偽装に対処する強い味方、チップやECUのトレーサビリティ
第6回 カーナビ用OSにHMIツールなどを付加 - 進化を続けるMicrosoftのクルマ戦略
第5回 ハイブリッドカー専用のパワーモジュール - Infineonが開発中、150℃保証
第4回 画像認識プロセッサの品種拡大で最高車種から低価格車種まで狙うNECエレ
第3回 "より安全に"を加速するFreescale - 横滑り防止にはセンサで対応
第2回 最先端65nm技術を使ったルネサスの車載半導体から見える自動車の近未来
第1回 エレクトロニクス化をひたすらつっ走る自動車

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