名古屋を中心に活躍する、エンタテイメント男性集団「BOYS AND MEN」略して「ボイメン」。東海地方出身の男性たちで結成され、東海のローカル局すべてにレギュラーを持つだけでなく、タイ、インドネシア、シンガポール、ミャンマーで番組を持つなど、活躍は著しい。地方創生が叫ばれる今、地方発のエンタテイメントがここまで大きくなった理由について、フォーチュンエンターテイメント 代表 谷口誠治さんに話を伺った。

フォーチュンエンターテイメント 代表 谷口誠治

スポンサーがつかなくて自社で持ち出し

――NAGOYA DREAM PROJECTでは、何から始められたんですか?

まず、番組を作ろうという話になったんですが、最初はうまく話が進んでいたのに、いざ始まることになったら、スポンサーがつかなくなってしまって。でも、途中でやめるのはいやだったので、自分が枠を買ってスポンサーになりました(笑)。

2010年に、まずは1時間の番組、そしてワンクールのレギュラー番組『IKEMEN☆NAGOYA』を自社の持ち出しで始めました。資金的には本当に大変でしたね。その番組で、BOYS AND MEN(以下、ボイメン)のメンバーをオーディションしていって、ミュージカルを企画しました。

ただ、最初のミュージカル『ストレートドライブ!』(2011年1月)は少し失敗してしまいました。スポンサー目当ての僕の考え方がせこかったのか……。

――せこかったとは、どういうことだったんですか?

自動車会社にスポンサーについてもらおうと思って自動車工場の話にしたんですが、無理だったんです(笑)。このときは、35公演やって毎回赤字でしたね。舞台が始まって客席を見たらお客さんは5人で後は関係者だけということもありましたし、グッズを作っても売れない。途中からはとにかく人に見てもらわないと話にならないということで、招待していろんな人に見てもらうようにしました。最後の5回くらいは、客席に人がいっぱいいる状態になりましたが、累積赤字はすごいことになっていました。

――そこからどうやって続けることができたんでしょう。

テレビもミュージカルも赤字で、銀行もお金を貸してくれなくなって、もう無理だなと思ったんですが、最後の予算でもう一度ミュージカルをやろうというときに、最初の「夢」の部分を思い出して、今度はスポンサー目当てではないものを作ろうと思いました。それで、青春ドラマを作ることにしたんです。僕が『われら青春!』『飛び出せ! 青春』などの青春ドラマ世代だったんですね。太陽に向かって走っていく若者の姿に夢を感じていました。それと、自分の青春時代のイメージがヤンキーだったので、両方の要素を合わせてヤンキーの青春ものをやろうと。その舞台『ホワイト★タイツ』(2011年10月)の反応が良くて、うまくまわりはじめました。

ボイメンメンバーの舞台の様子。写真は2013年『RETURNER』のもの

――その舞台に、今の中心メンバーが登場されているんですよね。

舞台の中心となる5人をYanKee5というユニットにして、CDを作ろうということになり、2012年2月に、ファーストシングル「バリバリ★ヤンキーロード」をリリースしました。最初はあくまでも、プロモーションになればいいと思っていたのですが、ヤンキー風の曲がけっこう受けたんです(笑)。学ランとかのファッションに関しては、僕より若い世代の、『ビー・バップ・ハイスクール』要素を取り入れました。

YanKee5のファーストシングル「バリバリ★ヤンキーロード」

――YanKee5メンバーの小林豊さんは、ミュージカル『テニスの王子様』にも出演されていましたが、テニミュのファンがボイメンのファンになるということもあったんでしょうか。

それがなかなか最初はそうでもなかったんですよね。でも、徐々に俳優ファンの方も見に来てくれるようになりました。

※次回は1月24日(日)掲載の予定です


西森路代
ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トークラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。