Opteronに自信を見せるAMD - "さあ、早く売ってこい!"

AMDは満を持して(といえば聞こえがいいが、非常に野心的なプロジェクトだったので実際の製品のリリースにはいくらかの遅延があったと覚えているが、詳細は忘れてしまった)、AMD64を実装した最初の製品であるサーバー用のCPU Opteronを発表した。2003年の4月のことである。 戦略的配慮からサーバー用のOpteronを先にリリースし、クライアントPC用の製品Athlon64 を9月に発表した。 戦略的という意味は下記の通りである。

  1. サーバーの世界では64ビットコンピューティングは大きな関心事になっていた。Intelの64ビットのソリューションは市場の受けが良くない状況で、AMD64は十分に差別化が発揮される製品となるのは明らかである。
  2. それに比べて、クライアントPCでの64ビット化はユーザーへの価値の訴求がいまいちで、マイクロソフトもVistaを準備するうえで64ビットコンピューティングを前面に出すべきかどうかについてなかなか明確なメッセージが出せていない。
  3. Intelのサーバー用CPU Xeonと同じように、OpteronとAthlon64は基本のCPUコアを共有しているので先にどちらの製品をリリースするかは製造上の問題は大きくない。

2003年3月のOpteron記者発表会の様子 (著者所蔵)

こんな状況で当時AMDのマーケティング部にいた私は、Opteronの市場開拓をするための戦略策定でとんでもなく忙しかった。また、前述したようにクライアントPCの世界しか経験していなかったのでサーバー市場を理解するための勉強も大変だった。しかも日本のサーバー市場は非常に保守的で新しい技術を積極的に取り入れる状況ではない。K6/K7をコンシューマー市場で売るのにあれほど難儀したのに、全く実績がないサーバー市場にAMD製品を拡販するのは大きなチャレンジだと思った。勝機はAMDのOpteronが競合インテルに対してどれだけ差別化された製品で賢くマーケティングするかにかかっている。

本社はOpteronにかなりの自信を持っていた。"これだけの製品を仕上げたのだからさあ早く売ってこい"、という感じで大きなプレッシャーを感じたが、同時に闘志が沸いた。さすがにインテルの64ビットに対し明らかに優位性があり、カスタマーへの浸透は理屈だけで言えば容易なはずであるが、これが実際にはそう簡単に行かないのがビジネスの不思議なところでもあり、面白いところでもある。

業界がAMDのサポートを表明

次第に業界でのサポーターも増えてきた。マイクロソフトはインテルの64ビットCPUにWindows NTを対応していたが、何しろItanium の出荷の遅れと性能の悪さで市場に普及しないのにイライラしていた。業を煮やしたマイクロソフトは、AMDのOpteronの発表直前に(多分2003年の1月か2月だったと思う)、世界のソフト開発パートナーを集めて行う年間行事Developer Conference(通称デべコン)で突然AMD64のサポートを表明して業界を驚かせた。

マーケティング部の私はその発表が行われることは本社から知らされていたが、他言することはもちろんできない。その発表の直後、当時の業界有力誌の記者で懇意にしていたK氏から(K氏は今でも現役で頑張っていらっしゃる!!)私の携帯に電話がかかってきた。"吉川さん、マイクロソフトがデべコンでAMD64へのサポートを表明しましたよ!!これは大変なことですよ!!"、と興奮した声で現地からのリアルタイム報告である。これには非常に元気が出た。UNIX/LINUX陣営は早々にAMD64へのサポートを表明していたがマイクロソフトのサポートは業界全体へのインパクトは非常に大きい。

Opteronのマーケティングに使われたプロモーション用イメージ (著者所蔵)

もう1つ大きな味方が加わった。HPC業界である。HPCはHigh Performance Computingの略語で、所謂スパコン(スーパー・コンピューター)の業界の人たちである。この分野ではもともとコンピューターの知識が圧倒的に豊富な人たちがやっているので、Opteronの優位性を説明する必要など何もない。それまでに発表されていたAMDの技術情報をいち早く入手していて、日本法人のマーケティングである我々よりも理解している人たちばかりだった。

そこで私は非常に重要な人物と運命的な出会いを経験した。東京工業大学の松岡聡教授である。当時CPUの性能が飛躍的に向上したのにつれて、PCを何百台、何千台とクラスター接合するなど、汎用CPUを利用してスパコンを組み立てる考え方が始まっていた。それまではベクター型の専用CPUをわざわざスパコン用に開発して膨大な費用をかけて組み上げるのが主流であったが、費用の問題と開発期間の問題で大きなチャレンジに直面していた。

松岡教授はOpteronの優位性にいち早く注目していた。シングルコアOpteronの発表後しばらくして、松岡教授率いる東工大チームは、2006年にデュアルコアのOpteronをベースにしたスーパークラスター“TSUBAME 1.0"を構築した。Top500の王座に2002年から2004年まで君臨していたNECのベクター型スパコンの雄、地球シミュレーター(地球上のあらゆる事象をこのスパコンで再現できるという意味でこの名前が付いた)を抜き去り、2006年6月のTop500初登場でいきなり7位にランクされた。この快挙に日本の、いや世界のスパコン業界が仰天し、"MATSUOKA・TSUBAME“はその後のスーパークラスター技術の主導権を握った。 この経緯については別のコラムで先生のお許しをいただいて、特別に話を展開したいと思う。私のAMDでの経験でかなり記憶に残る、また大きな誇りをもってお話しできるイベントであった。

前述のOpteronの発表会にはLinux、Suse、マイクロソフトなど企業系アプリケーションベンダー各社の代表がサポート表明のために登壇してプレゼンを行ってくれたが、ハードベンダーからのサポートはIBMだけであった。IBMはE325というHPC用のサーバーをOpteronで開発して、AMDのOpteron発表とともにサーバー製品をリリースしたが、その用途はHPC(PCサーバークラスター:スパコン)に限るという条件を付けて非常に慎重な態度であった。

いくらOpteronがインテルに対して優位性があるといえども、企業ユーザーはコンシューマー市場と違ってみな慎重だ。新しい技術の取り込みには時間がかかる。ただし、HPCのハイエンド・ユーザーはOpteronの優位性をはっきり認めているので実需要があるわけだから製品を出す、という大変に解かりやすい市場原理を適用したということだ。我々AMDのマーケティング戦略が輪郭を帯びてきた一方で、なかなか短期間には市場浸透は難しいという事を実感した。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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