互換プロセッサ乱立時代

AMD 80286

PCがエレクトロニクス業界の中心になり爆発的成長を始めると(この2~3年のスマホですね)、その中心ハードウェアであるCPU市場には一気にいろいろなプレーヤーが参入してきた。しかしながら、Intel互換プロセッサの盛んだった時期は比較的短かった。というのも、技術的にも加速していくプロセッサ開発に加えて、IntelのIP(知的所有権)を侵さずに完全互換を実現することは至難の業であった。

また、プロセッサのクロックスピードがそのままアプリケーションの実行速度にダイレクトに効いてくる状況だったので、Intelは一気にそのマーケティングを周波数競争に持ち込んだ。その優劣を決めるのが半導体の微細加工技術である(今では12nmなどのレベルに達しているが、その当時は数百nmの世界だった…)。その当時は半導体ファウンドリ―などというコンセプトはなく、それぞれのメーカーが自前のプロセス、設備に投資競争をしていた時代だった。

これがべらぼうにコストがかかる。そういった状況で、多いときには5社を数えたプレーヤーは次々と脱落していった。最初の製品は出るのだが後継製品を開発する資金が続かないからだ。その間独占体制を整えつつあったIntelは80286の次は80386、そしてその後継の80486を開発するなど、矢継ぎ早に性能を向上していった。

その中で、当時AMDには以前からIntelとの協業時代からx86互換プロセッサに従事してきたエンジニアたち、Am386のリバースエンジニアリング(後で説明いたします)をリードしたBen Oliver、スーパースケーラー技術の大家Mike Johnsonらに加え、もとDEC(Digital Equipment Corp.)で業界初の64ビットチップAlphaの開発をリードしたDirk Meyer(後にAMDのCEOとなる)ら錚々たるメンバーが揃っていた。そこに、Fred Weber(NexGenの買収により合流)など、互換チップ開発の戦いに敗れ去ったチップメーカーからのエンジニアたちが続々とAMDに集結していた。皆、Intel打倒に燃える血気盛んな若いエンジニアたちであった。

こうしたエンジニアたちが長年の夢をかなえるべくAMDに集結したのは当然のことであったろう。というのも、AMDは既に8年にわたるIntelとのIPに関する調停、法廷闘争の末に、少なくとも特許問題についてはIntelと和解が成立していた。ということは、特許などの法律問題に縛られることなく、革新的なアイディアでもって、技術的優位性を実現しIntelを打倒することを夢見ていたエンジニアにとって、AMDというのは理想的な開発Platformであり、唯一可能性を秘めた会社であったからである。しかも、創業者でありCEOのJerry SandersはIntelへの対抗心に燃えていた。捲土重来を期すエンジニアたちにとってAMDはまさに「マイクロプロセッサ界の梁山泊」だったのである。

AMDの野心的なプラン

その時、私は定期的なマーケティングのMeetingのためにカリフォルニアのシリコンバレーの中心にあるAMD本社にいた。 正確な時期はあまり問題ではない、その出張が今でも記憶の中で鮮明なのは、それが私がK7プロジェクトについて初めて知った時期であったからだ。多分、AMDがK7のマイクロアーキテクチャを公表した1998年の一年位前の話だと思う。

私は社内の情報で、AMDのAustinでK6の次世代プロセッサ開発が進められていることを聞いていたので、USに出張の際に当時の私の上司であったMarketing VPのBen Anixterにそれとなく聞いてみた。Benは当時の私の上司であり、AMDの創業時代からJerry SandersとともにAMDを支えてきた大番頭のような人物であった。

「Ben、新プロセッサの開発はうまくいっているかい?あのIntelがよくPentiumIIのバス(バスはもともとPentium Pro用に開発された)をライセンスしたものだね」と聞いたら、Benは「ライセンスはもちろんない」と答える。私が、「そうか、それならまた新たな法廷闘争になるんだね?」と聞いたら、Benは「もう、法律でもめるのには飽き飽きした、その心配はない。今度のプロセッサは独自のバスアーキテクチャだから」とさらりと言っている。

私には、俄かにはその意味が呑み込めず、「独自のバスなんて言っても、マザーボードがないじゃないか」と言うと、またBenが「マザーボードは独自で行く、既に台湾のボードメーカーと話がついている」と言う。そこで私は「Intel互換じゃないわけ?そんなのできるわけがない。新しいインフラをまっさらなところから作るなんて無茶だ!!」と言ったら、Benが最後に「どうしてお前の発想はそう日本的なんだ?! 全く新しい技術で戦わなくて、どうやってIntelを超えるんだ?!AMDはIntelの後追いでいく限り発展はない、これからは独自路線の技術で勝負するんだ。面白いと思わないか?」。

Benは私にウィンクして、言った。

「そのドアを閉めなさい、AMDのBig Planを教えてやるから。」

ほどなくして、私はK7の全容を知ることになったが、それは確かにその当時の私にとっては途方もなくBigなPlanであった…。

(次回は3月16日に掲載予定です)

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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