連載の最終章はかなり固い話が続くので、ここでちょっとリラックスした閑話を挟むことにした。

つい先日、AMD時代に大変お世話になった、ある半導体商社T社のYさんが退職されるというので、当時の連中がAMD・T両社より20人くらい退職慰労会と称して集まった。Yさんは警察官から半導体業界に身を転じた異色の人である。T社退職後も業界の仕事を続けるのだという。

このメンバーが一堂に会するのは実に30年ぶりである。多くの方が今もバリバリの現役で、会はかなり盛り上がった。ざっと名前を見ただけでも、現在活躍中の半導体会社の社長、重役、協会の会長の方などもいてなかなか錚々たるメンバーの勢ぞろいとなった。

ありがたいことに、その中にはこの連載の読者の方も多々あって、昔話の合間にいろいろなご指摘を受けた。「なぜマイクロプロセッサーの話ばかり書くのか、AMDにはネットワークなどの優れた製品があったのに」、とか「AMDがリバース・エンジニアリングでインテルに対抗したAm386で日本市場で一番売れた客先はパソコンではなく、実は据え置き型ゲーム機だった」、など。私の記憶領域の隅っこに眠っていた記憶を喚起していただいた。確かに、人間の記憶はとかく曖昧なところがあって、それは記憶した事実を自分なりに解釈した結果がそのまま記憶されているのであるから、記憶違いというのは多くの場合解釈の違いでもあるということか。歴史認識でもいろいろな解釈がある理由の1つにはこれがあるのではないだろうかと思う。

半導体デバイスの拡大写真はいつ見ても美しい (著者所蔵イメージ)

ともあれ、30年以上前に半導体業界に飛び込み無茶をやった血気盛んな連中は、今となってはさすがに見た目には老いてしまったがまだまだエネルギーいっぱいで、貸し切り2時間のレストランでの会食はあっという間に過ぎてしまった。

当時は猛者がたくさんいて、若いころの話を聞くのは大変面白かった。退職されたY氏の話を聞くと、警察官を辞めて広島から勇んで面接のために上京したのだが、面接は10分くらいで終わってしまい、電車賃だけもらって退散した。結果はどうせダメだろうと思って身を寄せた友達のところでやけ酒を飲んでいた。夜が更けてドアにノックの音。それはなんと合格を知らせる電報配達人であった(その頃のこういった連絡は郵便局が配達する電報でなされていたのだ)。彼は合格と知るや、2トントラックに家財道具を積んで翌日出社するとまだ受け入れ先がない。社長の個人所有のマンションにしばらくお世話になったという話である。

こんな話もある。日本AMDに386プロモーションのために駐在していたアメリカ人マーケッターのエリックは頭が切れていいやつだが、典型的直情型のアメリカ人。ある晩、六本木で飲んでいたら客と喧嘩になり大太刀周りをやった挙句、右目に一発食らって伸びてしまった。翌朝定時に出勤すると、青端を作った顔で何事もなかったようにカスタマー訪問に行った。エリックはカスタマーの前でいつも通り滔々とプレゼンをやるのだが、カスタマーの目線は膨れ上がった右目にしかなかった、などなど…

士農工商・半導体?

当時私が半導体ビジネスに飛び込んだ時に上司からだったろうか、"士農工商・半導体"という言葉を聞いて仰天したのを覚えている。江戸時代の武士階級を頂点とする社会構造・職業階層を表す言葉に半導体をかけた言い回しであるが、もちろん今では死語である。簡単に言えば、半導体屋(敢えて"屋"という言葉を使う)はビジネスの最下層に位置する位置なのだという揶揄である。偶然飛び込んだ半導体業界であったが、その言葉を聞いた時には"とんでもないところに就職したものだ"、という感じを抱いた。その当時はやっていたこの言葉の本当の意味は、今から考えると以下のようなものであったと思う。

半導体デバイスはまさに産業の米である (著者所蔵イメージ)

  1. 半導体は新興産業であり成熟産業からは程遠く、泡沫的な結果に終わるのではないかというのが一般の人の見方であった。今でさえ、半導体という言葉はかなり多くの一般人が知っている言葉であるが(それが何なのかは知らないにしても)、その当時はかなり胡散臭い、所謂ヤクザな商売という認識であった。
  2. 半導体は電子機器サプライチェーンの川上にあるが、あくまで電子機器の黒子であり、一般の人には説明しても分かっておらえず、階層的には最下位にあるセグメントと卑下して自分たちを呼んでいた。
  3. しかしながら、そのころの半導体屋は一般的に一番羽振りがよかった。電子機器業界全体で創造される利益が各階層を潤わせるに足りるほど十分にあったということだろう。その中でも、半導体屋の取り分はメーカー側でも、商社側でも非常に大きかったと思われる。士農工商の江戸時代でも、商人たちは一番卑しい身分ではあったが一番金を持っていた。
  4. 取り分は別として、サプライチェーンの底辺にある半導体屋はエンドの電子機器製品(半導体業界ではなぜか"セット業界"と呼んでいた)のお客からは常に無理難題を押し付けられるものであり、仕事上のストレスは大変に大きいものがあった。士農工商・半導体というのはその自身の境遇を皮肉交じりで表現した言葉であった。

ひとしきり昔話で盛り上がった後に昨今の半導体業界についてもいろいろ話が及んだ。メンバーのほとんどがまだその真っただ中にいるので、"サバイバル"という言葉が相次いで出たが、皆の表情は活力に満ちている気がした。やはり半導体は"産業の米"なのであり、電子機器産業を支える重要なセグメントであるという自負があるのだと思う。

皆が半導体業界から足を洗えない主な理由は、

  1. 常に技術革新があり、休んでいる暇がない。しかも、その結果がすぐに出るので次に期待してしまう。
  2. 他の業界だったら2-3倍の時間がかかるであろう経験を短時間で経験できる(というか、無理やりさせられる)のでいつも興奮状態にある。
  3. 常に競争原理にさらされており、業界のダイナミズムは加速されるのみ。それを楽しむしかない。
  4. たくさんのチャレンジに見舞われるが、個々人は大きな誇りをもって働いている。
  5. 切磋琢磨する立場であっても、基本的には楽天家の集まり。人のネットワークは堅固。

私は、早々にリタイヤした軟弱者であるが、こうして連載を続けることができるのは士農工商・半導体の世界を何とか生き抜いた経験のおかげであると思う。それを支えてくれた多くの人々には感謝の気持ちでいっぱいである。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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