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IBMが新製品PCにIntelのCPU採用を決定する際に、2次ソースを見つけることを条件にし、IntelはNationalのCharlie Sporckにコンタクトしたが断られたことは前述した

そこで、IntelのNoyceはAMDのJerry Sandersにコンタクトした(Noyce、Spork、Sandersは皆かつてはFairchildで一緒に働いた同僚である)。

AMDは当時CPUとしてはIntelの競合で8ビットの世代では確実に成長しつつあったZilogのZ80(8ビットCPUアーキテクチャの傑作と言われている)を2次ソースメーカーとしてサポートしていたが、IBMのPCの話を聞くと、Sandersはそのビジネス感覚でもって、あっさりとNoyceの協力要請を受け入れた。

かくして、後に源平合戦を繰り広げることになるAMDとIntelは最初は盟友として、もう一つのCPUのアーキテクチャの雄、Motorolaの68000に対抗すべく共同戦線を張ることになる。 そのころのAMDとIntelの"Partner Chip"(パートナーシップのしゃれ)と題した共同広告を見つけたので掲載する。その後の両社が親の敵と言うほどにいがみ合ったことを考えると、信じられない話である。

AMDとIntelはかつて共同戦線を張っていた (出典:「THE SPIRIT OF ADVANCED MICRO DEVICES」)

PC市場の急速な拡大 - 2次ソースとしてのAMD

このIBM PCへのCPU・OSの採用によって、結局マイクロソフトのOSを使用したPC系はAMDとIntelのx86、片やMotorolaは産業用の埋め込みアプリケーションという風にすみわけが決まってしまった。その後Motorolaの68000はAppleが採用し大流行となるMacintoshのCPUとなったが(今は亡き天才Steve Jobsの最初の傑作Macは1984年1月に発表された)、後にWintelといわれるようになった派手なCPUの世界規模の競争からは締め出されてしまったわけだ。

IBMのPCが次第にその価値を認められ、IBM・PCのクローンが市場に出現し、瞬く間に巨大な市場になってゆく(そういえば、クローンなどという言葉もこのころ初めて聞いたのだと思う…)。そうなるといよいよ2次供給者が重要になってくる。というのも、急速に成長する市場のからの需要にIntelだけでは対応しきれないし、各PCメーカーも一番重要な部品であるCPUを1社から購入するのも不安であるからだ。

そんな中、1982年の2月にIntelはそれまでの8086をさらに強化した80286を発表する。80286は16ビットのCPUの第2世代という位置づけで、このビジネスでの圧倒的な地位を決定づけた傑作製品である。

80286

そのころまでに、AMDはIntelのCPU製品の2次ソースとして、1976年のクロスライセンス契約(お互いの特許を持ち合う契約‐この契約に書かれていたある条項が後に大きな禍根を残すことになるのだが…)に次いで、1981年にはこの契約を更新し、Intel製品の2次ソース会社としてx86マイクロプロセッサーの本格的な生産を開始する。どういうことかというと、Intelが8086、80286などのプロセッサの技術情報をAMDに開示し、AMDはその情報に基づき製品の製造を行う。そして、AMDはIntelのx86アーキテクチャに競合関係になる製品は開発せずに、Intelと協力しながらこのアーキテクチャを広めていくというものである。

基本アーキテクチャは同一であるが、製品性能の改善に関しては両社は競合することになる。完全に互換性のあるCPUが2社から、しかも常に性能改善がされながら提供されるのであるから、急成長するPC市場においてユーザーとしてのPCメーカー各社にとっては、Intel、AMDを両てんびんにかけながらできるだけ有利な条件で、PCの頭脳であるCPUを確保することが非常に重要な要件となる。

(次回は6月1日に掲載予定です。)

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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