さて、第1シリーズで書いたK7 Athlon 1GHzの発表から一気に時代を25年さかのぼる。 と言うことは現在から40年も前の話だ。この連載を書くと決めた時、K7の件についてはどうしても書きたかったが、水泳をしているうちに、是非とも記しておきたいドラマチックな話がどんどん思い出されてきた。だが、その話を断片的に語るより、ちょっとした歴史的な背景説明をしたほうがわかりやすいと思い、この第2シリーズを書くことにした。

それは、当時毎日のように「SanJose Mercury News(シリコンバレーのコミュニティー紙ともいうべき地方新聞)」のトップニュースを飾ったAMDとIntelの競争の歴史であり、PCの頭脳と言われるCPUの発展の歴史であり、ちょっと大げさかしれないけれど、日々競争に明け暮れ切磋琢磨してきたシリコンバレーの歴史そのものであると思う。

そこには、シリコンバレーのパワーの源であるエンジニアたちの飽くなき熱意があり、ビジネスを突き動かすための経営者たちのいくつもの勇敢な決断があった。そしてなにより、隆盛してゆく産業の得体のしれないパワーがあったし、そこに従事している者たちで共有していた興奮があった。今から思うと、何かわからない熱病にかかっていたような気がする。そんな気持ちを持つのは多分私だけではないだろう。

Intelが4ビットのCPU4004を発表したのは1971年である。4004の誕生についてはいろいろな記事があり、Intelがこのプロセッサを日本の計算機会社のために開発したのだということについてもいろいろな記述がある。その当時汎用CPU、いわゆる同一ハードウェアで幾多の用途に応じたアプリケーションソフトが動くという考え方は存在していなかったし、このプロセッサがさらに発展し、今ではクラウドコンピューティングを支えるサーバーのエンジンになるなどとは40年前に誰が想像しただろうか(そもそもInternetと言う概念がなかった時代である)。

私はAMDに勤務した人間であり、最初にIntelが開発したx86 CPUの起源を語る資格もないし、するつもりもない。 AMDに勤務していた時は、Intelは常に圧倒的な力を持った競合であり(その強大さは時にはため息が出るほどであった…)、追いつき追い越すための大きな目標であった。と同時に、私は常々Intel社に対してはシリコンバレーの中心企業として、また驚異的なコンピューター技術革新を常にリードした業界の推進力として大きな敬意を抱いていた(この私のIntelへの敬意は、その後AMDがK7/8で技術的にIntelを追い抜いた事態が起こった時Intelが独占的地位の乱用という行動をとったことで崩れ去ったのだが…これについては機会があれば後述したい)。

1999年に発表したK7 (Athlon)でIntelを技術的に追い抜いたが…(写真協力:大原雄介氏)

Intelの成功の裏にAMD有り

私がAMDの社員であったことで誇れることは、AMDのCEOであったJerry Sandersが常々言っていた"競争のみが革新を生む"という言葉のように、AMDとIntelが常に競合していたために、両社の技術革新が加速され、結果的には顧客に対し大きな価値を生んだという点である。

前置きが長くなったが、Intelの4004発表後、CPUは8ビットの8080の時代となり、これが16ビットの8088(外部バスは8ビット)、8086と発展していった。 当時、PCと言う概念はなく、IBMがPersonal Computer(いわゆるパソコン)と言う製品を発表し、それが爆発的な発展を遂げるまではAMDもIntelも汎用メモリ、汎用ロジックなどの製品が主体のビジネスであった。

当時のコンピューター産業の中心はメインフレームのIBM、DECとその互換のBUNCH(Burroughs、UNIVAC、NCR、Control Data Corporation、Honeywellの頭文字)、などの米国東海岸の企業が中心であり、シリコンバレーの半導体会社はあくまでもベンチャー系の亜流であった。このようなコンピューター会社は、それぞれが自分のシステムに使用する半導体パーツを自身で製造していた。特にコンピューターの頭脳であるCPU(Central Processing Unit)は自社設計のものを自社のコンピューターに使用するというのが常識であった。要するに今ではスーパーコンピュータにも使われるのが当たり前である汎用CPUなどというものは存在しなかった。

そこに、IBMからIntelへ8088を最新製品に採用したいという話が入った。IBMが8088を採用した製品は、1つはDisplaywriter(いわゆる初期のワードプロセッサ)とIBM PCであった。

IBM Displaywriter (出典: IBM)

最近、その時代のシリコンバレーの話がよく書かれている本に出会った。National SemiconductorのCEOを務めた Charlie Sporck 氏の回顧録「Spinoff」と言う本をである(Saranac Lake Publishing, New York刊)。残念ながら既に絶版らしいし、日本語訳されていないので、今では読まれる機会がほとんどないと思われるが、私としては実に面白い読み物である。

この本によるとIBMからIntelにこの話が来た時、Intelは大いに期待したことが書かれている。その当時シリコンバレーのベンチャー企業であったIntelと同じく、この話に狂喜したもう1つの企業があった、そしてその企業はIntelとともに、その後のIT業界を牛耳る巨大企業になった。

マイクロソフトである。 この話は、いろいろな本が既に書かれていて、当事者でもない私が語るものは何もない。 ここで私が語りたいのは、このIntel:x86 CPU+マイクロソフトと言う不動の独占ビジネスモデルの構築に、実はAMDが大きく貢献していたという事実である。

(次回は5月18日に掲載予定です。)

第1シリーズ「巨人Intelに挑め! - 1GHzを突破せよ」記事一覧

第1回 とある男の回顧録
第2回 「どうしてお前の発想はそう日本的なんだ?!」
第3回 Benが明かしたBigなPlanとは…
第4回 傑作Athlon
第5回 Intelに出し抜かれてはならない
第6回 番外編 - CPUコアのコードネーム

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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