前回まで、日本の農林水産業を取りまく大きな環境変化としてグローバル化の流れを取り上げてきた。日本の農林水産業における「攻め」の取り組みでは、国土が狭く、かつオランダほど大胆な変革を期待しにくい日本においては、「高付加価値化・ブランド化」がほぼ唯一の解であると論じるとともに、海外の優良事例を紹介した。今回からは、日本の農林水産業を取りまくもう1つの大きな環境変化である「デジタル化」について取り上げたい。ここで言うデジタル化とは、単なるIT化を超えて、ビッグデータやIoTに代表されるような電子化された情報の活用によって、産業構造や顧客体験そのものを変えうる変化と考えている。

デジタル化は農林水産業に何をもたらすのか

TPPに関する議論でも聞かれるように、日本にとってグローバル化は輸出による「稼げる」農林水産業を実現するチャンスであるが、それと同時に他国の農林水産物との競争激化を招く要因でもある。一方、デジタル化は日本にとってはチャンスでしかない。デジタル化の波はすべての産業と、そのバリューチェーンすべてにおよぶ。流通、製造、製品、サービスモデル、などのすべてがデジタル化するのである。現在、農林水産業においてデジタル化に向けた取り組みは進みつつあり、流通では消費者の多様な嗜好を捉えたネットスーパーが隆盛し、製造では海外の大企業が先駆けて植物工場やセンサを活用した農場などに取り組んでいるほか、日本でも先進的な法人が登場している。一方で、製品やサービスモデルのデジタル化は、農業体験のマッチングサービスや農業経営ゲームなど一部に留まると筆者は考えている。特に、農林水産業の製品である食品や素材は、そのものをデジタル化することが極めて難しく、家電のような一部の業界で起きたデジタル化による破壊的な変革は起きにくい。ゆえに、筆者は日本の農林水産業においては製造や労働力のデジタル化が最も大きな変化を引き起こすと考えており、担い手の減少により産業の効率化が叫ばれる中、デジタル化の大波に乗らないという選択肢はないと考えている。

もっとも、農林水産業の製品においても破壊的変革の可能性があることは付け加えておきたい。例えば、3Dプリンタを活用した分子レベルでの食品の製造などがまったく起きないとは限らない。また、そこまでいかないものの、以下の動画のように、欧州連合(EU)では個々の高齢者ごとにカスタマイズした介護食を3Dプリンタで製造し、提供することを目指したプロジェクトも始まっている(出典1)。

PERFORMANCE - PERsonalised FOod using Rapid MAnufacturing for the Nutrition of elderly ConsumErs(英語)

デジタル時代における主役は"ひと"

デジタル化に関して、筆者の所属するアクセンチュアでは毎年「Technology Vision」と題した世界のテクノロジートレンドに関するレポートを発表している。

図表1:Technology Vision 2016 (出典:アクセンチュア)

最新版であるTechnology Vision 2016では、"ひと"を最優先に行動する企業がデジタル化時代の勝者になるという考えのもと、デジタルビジネスを成功に導くための5つのテクノロジートレンドを定義した。詳しくはアクセンチュアのWebサイトに掲載されているレポートを読んでいただければ幸甚である。

  1. インテリジェント・オートメーション(デジタル時代に不可欠な仕事仲間)
  2. 流体化する労働力(デジタル化の要請に応える柔軟かつ高度な労働力の構築)
  3. プラットフォーム・エコノミー(テクノロジーによって外部からもたらされるビジネスモデル・イノベーション)
  4. 破壊を予期する(次なる変化の波に備え、デジタル・エコシステムを見つめる)
  5. デジタル時代の信頼(顧客との関係を倫理とセキュリティで強化する)

農林水産業で考えると、主に(1)インテリジェント・オートメーションについては植物工場などで、その取り組みが進められているほか、(3)プラットフォーム・エコノミーについても、流通、農機、IT産業などの周辺産業を中心に、その進展が見られる。日本では富士通のAkisaiなど農業経営を支援するクラウドサービスが、この分野での具体例と言えるだろう(出典2)。現在のところ、農林水産業そのものについてデジタル化による破壊的変革の予兆は見られないと上記で論じたが、特に農林水産業を支える周辺分野においては、デジタル・プラットフォームにとって代わられる日がもしかしたら来るかもしれない。というのも、デジタル化が始まる以前にリアルな世界でエコシステムやビジネスプラットフォームを構築してきた生活協同組合やカタログ通販は、今やネット通販に押されている。加えて、タクシー業界やホテル業界ではUberやAirbnbといったサービスが既存の市場を侵食し始めてきているからだ。

Technology Vision 2016では、消費者/労働力/エコシステムパートナーといった"ひと"に、テクノロジーを通じてより多くのことを達成できる仕組みを提供できる企業こそがイノベーションの果実を得ることができると述べている。また、"ひと"が新しい状況に対応する中で学習し、解決策を生み出し、たゆまず変化を追求するための手段としてテクノロジーを活用することで、新たな企業文化を創出できる。つまり、未来を切り拓くのは"ひと"であると述べている。これらの文章の「企業」の部分を「農林水産業」に読み替えても決して違和感はない。本連載のテーマも人材である。

東京ドーム10個分以上のグラスハウス制御:オランダ

では、ここから少しデジタル化を推進している海外の事例を紹介したい。農林水産物の輸出の事例でも登場したオランダは、植物工場・グラスハウスなどに代表される超大型施設園芸においてITを活用して光・CO2・湿度・気温・水温といった環境の制御から、農業資材・農薬・肥料・労務費といったコスト管理までを少人数で一体的に行い、高効率・高収量を実現している。例えば、トマトでは日本の3倍近い単位収量を誇っており、技術の進化によってこれは年々増加している(出典3)。そして、その栽培施設を管理する従業員はIT技術と農業技術を統合した高度な技術を持ち、高い収入を得ている。(一方で、農業法人間での競争も激しく、良い意味で経営自体は容易ではない様相ではあるが)これは、上述のデジタル時代における主役は"ひと"というトレンドにも通ずる。高度にデジタル化した農業においては、従来の農業生産で必要とされる技能だけではなく、デジタルと上手く付き合うことが出来る農業従事者となることが求められているのである。

センサを活用した制御技術やIT技術のレベルは日本の製造業が高いにも関わらず、農林水産業においてここまでの差をつけられてしまった背景には、農業の経営規模と品種量の違いがあると考えられる。オランダのグラスハウスは日本の数倍もあり、最新の集積地「Agriport A7」では東京ドーム10個分にあたる50haを超すグラスハウスが複数作られている(出典4)。日本においてもIoT(Internet of Things)が叫ばれる前から農業へのセンサおよびIT活用の試みがなされてきたが、導入コストが経営規模に見合わず、導入が進まなかった。また、品種が非常に多い日本の農業においては、環境制御やコスト管理の標準化が難しく、IT導入のメリットが少ないと言われてきた。だが、ここにきてセンサの性能向上、コストの低下、小型化、およびアナリティクスやクラウド技術の進展により、日本においてもようやく先進的な農業者中心にスマートアグリ導入が進み始めてきたところである。なお、日本での先進事例については次回に詳しく述べることとしたい。

また、オランダの農業技術は、世界的な農業大学であるワーヘニンゲン大学を中心に形成された、フードバレーと呼ばれる農業・食の研究拠点が支えている。フードバレーはアメリカのシリコンバレーがIT関連の集積拠点になっているのと同様、ここには日本企業含めて、世界中の食関連企業のR&D拠点が集積している。

図表2:ワーヘニンゲン大学のキャンパス(出典:同大学 Webサイト)

そのワーヘニンゲン大学では、現在、Metropolitan Food Clustersと呼ばれるコンセプトを打ち出し、大都市マーケットに向けた農業資材・肥料・農薬の調達から流通小売に至るまでの最適化を目指している。この取り組みは、ある意味、これまでオランダが進めてきた少数品種の大量生産・輸出型施設園芸からの進化とも捉えられる。Metropolitan Food Clustersが持つ基本的なイノベーションの原則は、(1)効率的な資源活用、(2)垂直統合、(3)水平統合、(4)高度な農業物流、(5)ハード・ソフトの統合デザイン、にある。こちらは先に述べた主役は"ひと"であるとの話とは異なるが、世界中から農業に関する高度な知能を集め、次のコンセプトを作り出しダイナミックに変化させることが出来るのも、研究人材の集積がなせる業である。養豚と植物工場を組み合わせた垂直農場や、都市のオフィス街地下での大規模植物工場など構想レベルのものあるが、実際に進められているプロジェクトの一例として、前述したAgriport A7というアムステルダム近郊の巨大な農場がある(出典5)。

Agriport A7 - History(英語)

筆者がワーヘニンゲン大学で聞いた話では、オランダのグラスハウスでは、天然ガスやバイオマスによる発電所を併設し、電気・熱・CO2のコジェネならぬトリジェネレーションを実現しているところが多い。しかし、Agriport A7ではデータセンターを誘致し、発電所の余剰電力をデータセンターで利用したうえで、データセンターで発生する膨大な熱をグラスハウスで使うことで、さらなるエネルギー効率化を図ろうとしているということだ。デジタル化の文脈とは多少異なるが、新しい農地モデルを作り上げ、アグリビジネスのさらなる発展を試みているオランダの勢いがよくわかる例と言える。ちなみに、筆者にMetropolitan Food Clustersについて話をしてくれたワーヘニンゲン大学の教授からは、「日本は人工光型の植物工場など、非常に高い技術を持っており、十分にこれから最先端たりうる。」との言葉をいただいており、日本の農林水産業がデジタル化の進展で、技術だけではなくビジネスの意味でも世界の最先端となることを期待したい。

農機メーカーから総合農業サービスプラットフォームへ:John Deere

ここまで、デジタル時代だからこそ"ひと"を中心に据えることが重要だと述べてきた。ここからは、もう1つ押さえておくべきキーワードとして"成果を売る経済"を紹介したい。単に製品やサービスを売るのではなく、顧客が望む成果を売ることが求められるということだ。現在、IoTによってあらゆるものがネットワークに接続されることで、さまざまな産業で変革が起こっているが、特にIoTは製造業において、このビジネスの転換を促している。例えば、GE。GEの事業の1つに、航空機のエンジンを製造し航空機メーカーにモノを売るビジネスがある。GEはエンジンの遠隔保守のためにつけていたセンサデータを分析することで、単にモノを売るビジネスから、航空機メーカーに対するメンテナンスや資産価値最大化の支援、航空会社に対する運航コストの削減および定時到着率向上の支援、といった成果を売るビジネスに転換した。これにより、GEは航空機エンジン市場より10倍大きい市場への参入の機会を得たのである。また、ミシュランもタイヤというモノを売るビジネスから、タイヤにつけたセンサを用いて走行距離に応じてタイヤ使用料を支払う"Tire as a Service"という成果を売るビジネスを展開している。ミシュランは参入市場を広げただけではなく、モノを売るビジネスでは、顧客が使用を避けていたリトレッド(再利用)タイヤの利用を促すことに成功し、環境負荷の低減にも寄与している(出典6)。

実は、同様の事例が農林水産業周辺でも起こっている。まずは、下記の動画を見ていただきたい。この動画は、ドローンとセンサーを使ったアメリカの最大手農機メーカー、Deere & Company(John Deere)社のサービスイメージビデオである。

Demo Airinov John Deere 2014 InnovAgri(フランス語)

John DeereはmyJohnDeereというサービスを展開し、自社の農機に搭載したセンサ、土壌・天候データを得る農場用センサや灌漑システムなどから得た情報と、過去の収量データなどを組み合わせ分析することで農業者がデータに基づく精密な農業を実現することを支援している。さらに農機の運転状況を可視化し、遠隔からの作業指示が行えるだけでなく、マシンからのデータを分析し、農機の稼働を効率化させることで燃料消費量を削減することも可能にしている(図表3)。これも成果を売るプラットフォームビジネスのひとつと言えるだろう。

図表3: myJohnDeere(出典:John Deere Webサイト)

さらに今後、種苗や肥料、農薬、農業資材の最適調達や、需給バランスの分析に基づく生産計画の最適化、ECなどの流通分野まで統合されれば、農機メーカーであるJohn Deereを中心としたエコシステムが完成し、デジタル起点での新たな農業プラットフォームが登場することも考えられる。

今回紹介したデジタル化の潮流は、今後さらに加速し、進化していくと思われる。冒頭で述べたように、日本の農林水産業にとっては、これからが勝負どころである。そこで次回は、日本の先進事例を中心に紹介し、今後デジタル化が日本の農林水産業に与える変化について論じたい。

出典

出典1:PERFORMANCE project(英語)
出典2:FUJITSU Intelligent Society Solution 食・農クラウド Akisai(秋彩)(富士通)
出典3:経済産業省「IT融合新産業の具体的例」
出典4:AGRIPORT A7(英語)
出典5:Metropolitan Food Clusters and Agroparks(英語)
出典6:アクセンチュア「Industrial Internet of Thingsが実現する新たな成長(2014年)」

著者プロフィール

藤井篤之(ふじいしげゆき)
アクセンチュア株式会社 戦略コンサルティング本部 シニア・マネジャー
入社以来、官公庁・自治体など公共サービス領域のクライアントを中心に、事業戦略・組織戦略・デジタル戦略の案件を担当。農林水産領域においては輸出戦略に精通している。
また、アクセンチュアの企業市民活動(CSR活動)において「次世代グローバル人材の育成」チームのリードを担当。経営・マーケティングに関する農業高校向け人材育成プログラムの企画・開発を行う。

久我真梨子(くがまりこ)
アクセンチュア株式会社 戦略コンサルティング本部 マネジャー
企業の事業戦略・組織改革などに関するコンサルティングと並行し、教育機関に対して、カリキュラム改組から教材開発、実際の研修実施に至るまで踏み込んだ支援を行う。
人材育成に関する豊富な知見を活かし、アクセンチュアの企業市民活動において、農業高校向け人材育成プログラムを提供している。