「『3年で辞める若者』『3年は続けろ』と言われるけれど、現実に3年前後で退職・転職した人たちは何を考え、どう過ごしているか」がテーマのこの連載。第11回を迎えて、人数では6人目になりました。

彼は高校を卒業して2年間働き、齢20にして大学にAO入試で入学。1年の留年を経て2015年から会社員1年目として働いています。

現在の勤め先は「株式会社ASOBIBA」。都内を中心に「室内サバイバルゲーム(以下、サバゲ)フィールド」を運営している企業です。

前編では彼が入社するまでの経緯をインタビューします

自衛隊からサバゲフィールド運営会社へ

――自己紹介をお願いします

Iです。平成元年生まれの25歳です。現在はフィールドを運営する直営事業部に所属しています

――ASOBIBAについてご紹介いただけますか

都内では珍しいサバゲフィールドを運営しています。『誰でも気軽に楽しく遊べる』をコンセプトに事業を展開しています。

――どうしてここで働こうと?

趣味で10年くらいサバゲをやっていて、業界全体を盛り上げる事業なので役に立てるかな、と思いました。

――趣味というか、自衛隊にいたんですよね?

自衛隊でヘリコプターの整備士をやっていました。守秘義務があるのであまり話せません(笑)

なぜ辞めたのか?

――一般的に「キツイ」っていうイメージがあると思いますが、どうでしたか

試練の毎日でした。肉体的な訓練はもちろんハードですが、高卒で入って分厚いマニュアルを渡されて、無知のまま特技職になる大変さもありました。命を預かるので、意識的にも責任を感じて、必死に勉強しました。

――最終的には辞職された理由はなんでしょうか

順調にポジションは上がりました。でも責任も増えて、命の重みを強く感じるようになりました。生半可な気持ちで続けられる仕事ではないです。

――これから自衛隊になろうと思っている人に向けて何か言うとしたらどうでしょう

『国民負託』という言葉があり、要は全身全霊をかけて国民のために働くことです。強い気持ちがあれば、やりがいはとてもあります。本人の希望があれば、常に何にでも挑戦できる環境があり、輸送、通信、給仕など、とにかくいろんな道の門戸は常に開かれています。あとは本人のやる気と能力次第です。

――将来の不安を感じることはありましたか?

非常に特殊な環境なので、自分はもっと世間を知りたいと思って大学に進学しました。

――大学生活はいかがでしたか

反動もあってか、かなりグータラ生活でした(笑)。でも、自衛隊時代は勤めを果たしていれば金銭的な意味で生きていける状況だったので、大学生活では能動的にやっていくことを学べた気がします。

――自衛隊を辞めるとき家族は何といっていましたか

喜んでいました。アンチ自衛隊ではありませんでしたが、自分の子供が死ぬかもしれないという状況から離れたことに安心していました。辛いとき、電話で励ましてくれました。『選んだ道は間違っていないから信じて頑張れ』という言葉には勇気づけられました。

――いい話ですね!ところで、就活はどうでしたか

正直、舐めていました。職歴が武器になると思っていましたが、そうでもなく(笑)。とりあえず5社にESを出して全部落ちました。それから足を使おうと思って、企業に電話をかけて『入社する気だから受けさせてくれ』と言ったら、ふつうに選考が進みました(笑)。

――それだけの積極性は新卒では珍しいですね(笑)。それで決まった?

そこは最終面接で落ちました(笑)。その日の帰り道に居酒屋に寄って、すると隣にいたオジサンが建築会社の社長で『うちに来い』という話になり、しばらく研修などを受けていました。その頃に今の会社のWEB求人を見つけました。

――最後だけがものすごくフツーですね

結局、ふつうにネットでエントリーしました(笑)。サバゲは初心者が入り込みにくい遊びですが、そこにスポットを当てているのがおもしろいな、と。

(後編では現在の「株式会社ASOBIBA」での働き方について聞きます)


武野光
平成2年生まれ。「TOEIC未受験」「サークル未所属」「友達の数が片手未満」といった状況から就職活動に挑み、その体験から得た教訓をつづったブログ『無能の就活。』が大きな反響に。現在はサラリーマンと兼業で作家活動を行う。著書に『凡人内定戦略』『凡人面接戦略』(中経出版)、『就活あるある ~内定する人しない人~』(主婦と生活社)など。マイナビ2016でも、マンガ『キミ! さいよー』(石原まこちん/小学館)内で、一言コラム平成ベビーの就活用語辞典掲載