セレッソ大阪のエースストライカー、杉本健勇(24)が一世一代の華やかなスポットライトを浴びた。埼玉スタジアムで4日に行われた、川崎フロンターレとのYBCルヴァンカップ決勝で開始47秒に電光石火の先制弾をゲット。愛してやまないセレッソに悲願の初タイトルをもたらし、決勝戦のMVPも獲得した日本代表FWは、人目をはばかることなく男泣きした。甘いマスクの下に脈打つ、熱き浪花節の原点を追った。【後編】
J1復帰を決めた直後にもはばからず流した涙
もうひとつは中学生時代から自身を育ててくれた、セレッソというクラブへ注ぐ深い愛情だ。実は2015シーズンを、杉本はくしくもルヴァンカップ決勝の相手だったフロンターレでプレーしている。
セレッソがJ2降格を喫した2014シーズンのオフ。J1の舞台で引き続きプレーしたいと望んだからか。フロンターレへの完全移籍を選んだ杉本の心中を、玉田稔代表取締役社長はこう慮ったことがある。
「隣の芝生は青く見えるといいますか、いろいろと思うところがあって最初は出て行ったんでしょうね。もっとも、後になって『自分がセレッソをJ1に上げる』という気持ちになってくれたと聞きました」
一度離れたからこそ、セレッソへの愛をあらためて確認することができた。J1昇格を逃した古巣へ、Uターンの形で移籍したのが2015シーズンのオフ。J2の舞台でプレーすることに、何の抵抗もなかった。
迎えた昨シーズン。杉本は41試合に出場し、チーム最多の14ゴールをあげて攻撃陣をけん引した。チームは4位で自動昇格こそ逃したが、J1昇格プレーオフを勝ち抜き、3年ぶりの復帰を決めた。
土砂降りの雨が降り続くキンチョウスタジアムで行われた、ファジアーノ岡山との決勝戦。1点を守り切って試合終了を迎えた直後にも、杉本は柿谷や日本代表MF山口蛍らとピッチの上で号泣している。
「(柿谷)曜一朗君や(杉本)健勇を含めて、アカデミー出身の自分たち3人が、これからのセレッソを引っ張っていかなきゃいけないと思っている」
このときに抱いた思いを、山口はこう代弁している。杉本はこの夏に、ヨーロッパへの移籍を模索したことがある。それでも最終的には残留を決めた直後からは、こんな言葉をよく残すようになった。
「シーズンを通してJリーグで活躍したい。そして、何かひとつ、セレッソにタイトルをもたらしたいですね」
フロンターレ時代に結ばれた日本代表との縁
フロンターレでの1年間は、思わぬ副産物を生んでいた。3月18日。名古屋グランパスと対峙したルヴァンカップの前身、ヤマザキナビスコカップの予選リーグで、杉本は終了間際から出場している。
試合は1‐3で負け、杉本も目に見える結果は残せなかった一戦を、就任直後のヴァイッド・ハリルホジッチ監督が当初の予定を急きょ変更して視察に訪れていた。指揮官は後にこう語っている。
「誰も私に教えてくれなかったが、非常に興味深い選手を発見できた。これから追跡していきたい」
この選手こそが杉本だった。復帰したJ1の舞台で潜在能力を解き放ち、得点王争いに加わるゴールラッシュを演じていた今年8月。杉本は満を持して、日本代表に初招集されている。
現時点で3試合に出場して、10月10日のハイチ代表戦では初ゴールも決めた。ブラジル、ベルギー両代表と対峙するヨーロッパ遠征にも招集したホープの現在地を、指揮官は高く評価している。
「2年前にも皆さんに言ったが、非常に能力があるし、さらにハイレベルのフットボールを学ぶ段階にきている。さらに得点するためにはもっとゴールの近くで、アグレッシブに仕掛けるべきだ」
ルヴァンカップ制覇から一夜明けた5日、杉本は日本代表のモードに切り替えてヨーロッパへ飛び立った。もっとも、初めて立った表彰台から見た景色は、さらなる成長への糧として脳裏に焼きついている。
「素晴らしい景色だったけど、もっとタイトルを取りたい。まだ通過点だと思っている」
MVP獲得とともに、賞金100万円を手にした。実は使い道をすでに思い描いている。
「代表の遠征から帰ってきたら、みんなで焼き肉に行きたいですね」
仲間たちに恩返しでふるまいながら、18日に迎える自身の25回目の誕生日も祝う。このときばかりはサッカー小僧のような、無邪気な笑顔が弾けた。