物質・材料研究機構(NIMS)は、電子ビームを使った顕微鏡において、電子のエネルギーがゼロに近い領域から高エネルギーまでの広いエネルギー範囲で、ナノ薄膜を一度に計測する新発想の汎用の分光顕微鏡技術を開発し、その有効性を実証したことを発表した。この成果は、5月26日、英国の科学雑誌「Nature Communications」オンライン版に掲載された。

微弱な星の信号を精密に得るために開発された4点計測法(chop-nod法)をナノスペースの顕微鏡に応用したイメージ図(出所:NIMSニュースリリース※PDF)

同技術は、同機構先端材料解析研究拠点および統合型材料開発・情報基盤部門 情報統合型物質・材料研究拠点 達博(ダ・ボ)研究員と、同機構 表面化学分析グループの吉川英樹グループリーダーが、同機構の田沼繁夫 特別研究員、同機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点の塚越一仁主任研究者、東京理科大学 渡辺一之 教授、中国科学技術大学 丁澤軍教授らを主とする研究グループとの共同研究によって開発された。

物質を観察するのに光を使った場合、検出する光のエネルギーによって物質の見え方が大きく異なり、電子を使った場合も電子のエネルギーによって物質の見え方が大きく異なる。そのため研究者は、光や電子のエネルギーを変えながら物質の見え方の変化を観察光や電子のエネルギーを変えながら物質の見え方の変化を観察する。これが「分光法」と言われる技術で、これに顕微鏡の機能が加わったものが「分光顕微鏡」と呼ばれる。

しかし、電子を使った分光顕微鏡で、物質に入射する電子のエネルギーを広いダイナミックレンジで迅速かつ連続的に変化させることは技術的に容易でなく、特に物質内の電子状態に敏感な数十電子ボルト以下の低エネルギー域も含む広いダイナミックレンジでの分光顕微鏡は実用化が困難であった。

今回、研究チームは、こうした課題を解決すべく、特定のエネルギーを持つ単色の入射電子ビームを基板物質に照射した際に生じる二次電子と呼ばれる広いエネルギー分布を持つ電子を白色の電子ビーム源として分光顕微鏡に利用する発想の転換を行った。その結果、汎用の分光顕微鏡を使って、測定モードの工夫とそのデータの数理統計処理だけで、広いダイナミックレンジを一度に計測する分光顕微鏡を実現することに成功したという。

その実現にあたっては、二次電子に含まれるバックグラウンド信号を完全に除去する必要があり、そのために天文学で望遠鏡の微弱信号の精密検知に利用されていた4点計測法を発展させてナノ薄膜に適用したという。それにより、グラフェンの電子透過率をゼロに近い領域から600電子ボルトまでの広い範囲で一度に計測し、その実測値が理論値と良く一致することを確認したということだ。

分光顕微鏡における4点計測法の原理の説明図(出所:NIMSニュースリリース※PDF)

二次電子の信号に隠れていたナノ薄膜の電子透過率と言う物性情報を引き出すことは、今回初めて報告されたという。通常、存在の検知すら難しいナノ薄膜を短時間に特定部位を狙って"色"などの品質を識別する技術の開発は、大面積で品質の均一性を確保するのが難しい新たなナノ薄膜の研究にとって重要なものとなったとしている。

この手法では、電子顕微鏡像内の4点を1セットとする4点計測法を拡張し、十分なS/N比と精度の高いデータが得られるまで多セットの計測をしている。これは,産業界で多用されている走査電子顕微鏡において、顕微鏡像における多数のピクセルの信号情報に数理統計処理を行うことで、汎用装置の改造の必要なく隠れた微弱信号の情報を定量的に抽出する手法であると言える。

その技術的な簡便さから、走査電子顕微鏡のさらなる産業利用に展開できると期待されるほか、顕微鏡の視野の全ピクセルの種々の信号情報間の演算の組み合わせ方を探り最適化することで、狙いとする物性情報に辿り着くマテリアルズ・インフォマティクス(MI)の考え方につながり、顕微分光技術とMI技術の融合という面での新しい展開も期待できると説明している。