首都大学東京は、同大理工学研究科・好村滋行准教授らの研究グループが、ソフトマターのような粘弾性体中を遊泳するマイクロマシン(スイマー)の動作機構について、スイマーの遊泳速度とソフトマターの粘性率や弾性率を結びつける関係式を理論的に導出したことを発表した。同関係式に基づくと、ソフトマター中のスイマーの運動では「ホタテ貝の定理」が破れることや、スイマー自身の構造非対称性が重要であることが明らかとなる。この研究成果は3月29日付で、日本物理学会が発行する英文誌「Journal of the Physical Society of Japan」誌に掲載された。

高分子やゲルなどのソフトマター中を遊泳する三つ玉スイマー。赤い三つ玉をつなぐ青い部分が可動アーム(出所:首都大学東京Websサイト)

一般的にスイマーは、可動部位を周期的に形状変形させることで前進し、水のような粘性流体中では「ホタテ貝の定理」と呼ばれる力学的な制約があることが知られている。同定理によると、慣性が無視できる微小な物体は、その形状変形の時間反転対称性が保たれている限り、変形によって移動をしても一周期後には再び元の位置に戻ってしまうため、粘性流体中で移動するには、何らかの時間反転対称性を破る形状変形が必要となる。これまで提唱されている遊泳モデルの中で、NajafiとGolestanianによって考案された「三つ玉スイマー」は、粘性流体中で並進運動を獲得するミニマムモデルで、ふたつの可動アームを持ち、アーム運動の時間反転対称性を破ることによって一方向に遊泳できる。

一方、「マイクロレオロジー」とは、コロイド粒子などの微粒子のブラウン運動や外力に対する応答を検出することによって、高分子溶液やゲルなどのねばねばとしたソフトマターの粘弾性を調べる実験手法。最近では、微粒子のブラウン運動を観察するパッシブ・マイクロレオロジーと、光ピンセット法で微粒子に外力を加えるアクティブ・マイクロレオロジーを組み合わせて、細胞や生体系の非平衡性を定量的に調べることが可能になりつつある。

同研究グループは、ねばねばとした粘弾性体中を遊泳するマイクロマシンの動作機構について理論的に考察した。具体的には、アクティブ・マイクロレオロジーで使われている基本式を三つ玉スイマーに適用することで、スイマーの遊泳速度とソフトマターの複素粘性率を結びつける関係式を導出した。この関係式によると、スイマーが粘弾性体中を遊泳する場合は、必ずしも「ホタテ貝の定理」が成り立たないことが判明した。すなわち、粘弾性体中のスイマーは、その形状変形の時間反転対称性が保たれていても、スイマー自身の構造対称性が破れていれば移動可能であることが理論的に示された。

遊泳速度については、媒質が水のような粘性流体である極限を考えると、Golestanianらによって得られた以前の関係式に帰着する。また、スイマーの構造対称性を保持すると、粘弾性体の粘性率のみの情報が得られる。そのため、このたび三つ玉スイマーで得られた表式は、ソフトマター中のスイマーの運動に関する「一般化されたホタテ貝の定理」を示唆する結果となっている。すなわち、三つ玉スイマーがソフトマター中を遊泳するには、「形状変形の時間反転対称性を破ること」と「スイマーの構造対称性を破ること」2通りの可能性があり、前者はソフトマターの複素粘性率の実部(粘性率)を、後者はその虚部(弾性率)をそれぞれ反映するため、両方の機構を独立に測定することで、媒質としてのソフトマターの粘弾性的性質が明らかとなる。研究グループは、この測定手法を「スイマー・マイクロレオロジー」と命名した。研究成果はソフトマター中のマイクロマシンの遊泳機構を与えるとともに、新しいアクティブ・マイクロレオロジーの基本原理となることが期待される。

なお、人間が泳ぐときのようにスイマーの慣性が無視できない場合、「ホタテ貝の定理」が成り立たないが、今回の研究成果では、慣性が無視できるような微小なスイマーであっても、環境がソフトマターであれば遊泳できる可能性を示した点が新しい。こうしたソフトマター中の特異な遊泳機構が、スイマー・マイクロレオロジーという新しい測定手法の提案につながっている。今回三つ玉スイマーの遊泳で得られた知見は、ソフトマター中のバクテリアの運動や、細胞の鞭毛運動、繊毛の波打ち運動などを理解するための重要な指針となるほか、逆に微生物の運動様式を調べることによって、微生物が住む環境の粘弾性の情報を得ることも可能となる。

微生物よりもさらに小さなスケールに注目すると、例えば細胞内のように多数の生体分子で混み合った環境も粘弾性的性質を示し、細胞中の物質輸送に大きな影響を及ぼす。近年では、細胞内における非平衡性と粘弾性に起因する異常な拡散現象が実験的に報告されており、細胞内のゆらぎや物質移動の違いから正常細胞とがん細胞を識別する新しい医療診断法にも期待が高まっていることからも、スイマー・マイクロレオロジーの概念は、粘弾性的な細胞内のさまざまな動的現象や非平衡現象の理解の一助となると考えられる。

一方、分子マシンは2016年のノーベル化学賞の受賞対象となったが、真に機能する分子マシンを構築するためには、環境の粘弾性を考慮することが重要であり、さらに分子構造として導入すべき非対称性を精密に設計する必要があることが、今回の研究で明らかになった。今回のスイマー・マイクロレオロジーのアイディアをきっかけに、将来的にはマイクロマシンやナノマシンの実現に向けた基礎と応用の両面にまたがる新しい研究の展開が期待される。