AAA西島隆弘が語るデビュー11年の光と影:「続けられたのは"救い"があったから」

AAA西島隆弘が語るデビュー11年の光と影:「続けられたのは"救い"があったから」

AAAのメインヴォーカルとして光を浴びながらも、内側には隠しきれない"影"がある。2016年5月に逝去した演出家の蜷川幸雄も、そんな西島隆弘の魅力に魅せられた1人だ。『下谷万年町物語』で西島を演出した蜷川は「音楽を辞めて俳優の世界に来い」とまで言っていたという。デビューから11年。さまざまな経験を経た今、西島が目指すエンタテインメントとは何なのか。

―歌と踊りは、小さい頃からやっていたんですか?

15歳くらいからですかね。エイベックスのレッスンを始めたのは18歳の時からなんですけど。

―始めたきっかけは何だったんですか?例えば誰かに衝撃を受けたとか。

そういう人は、特にいないんですよ。音楽を始めるきっかけになったのは、ゆずさんです。ラジオから流れていた『夏色』のイントロを聴いてギターを始めて、ストリートをやっていたらブレイクダンスをしている人をよく見かけたんです。当時はストリート系の洋服屋さんやレコードショップしかオールドスクール系のブレイクビーツの楽曲は置いていなくて、しかもカセットの方が種類があったのでそれを買って、我流で覚えながらストリートで踊るようになって。で、アクターズスクール系の人にスカウトされて、その流れからエイベックスのオーディションを受けて今に至る感じですね。

―なるほど。

ただ、オーディションに受かった時、デビューの確約はなかったんです。2年契約のレッスン特待生で、ある程度の待遇はされるけれど、その2年の間にデビューの見込みが見えない場合はそれで終わりっていう感じだったから、すごいリスキーですよね。もしデビューができなかったら2年間、時間をロスすることになるから。

―それはリスクが高いですよ。

高校も転校したし。レッスンが週5であって、土日休み。バイトをしてはダメだと言われていたので、けっこう縛られた環境でしたね。

―バイト禁止ということは、仕送りで?

仕送りというかレトルト食品を送ってもらったりしてました。

―あまり豊かな生活ではなかった?

そうですね。住んでいたのは会社が決めた学生寮だったんですが、12時以降は出入りできないんですよ。デビュー後も住んでいたから合計3~4年いたんですけど、レコーディングがある時は12時を過ぎるじゃないですか。そうすると寮に入れないから、公園で野宿とか。

―マジで?

はい。基本的に全部共有スペースで、風呂場も12時までだったし、個室シャワーはあったけど、その寮は86部屋あるのに2つしかなかったし。洗濯も共同のコインランドリーみたいな所だったので、洗濯したのを忘れて時間が経ってから取りに行くと、洗濯物が外に投げ出されていたり、オレンジジュースを入れられたり、男子寮だけど下着を盗まれたりとか。

―えぇ!?

12時以降は風呂にも入れないから、洗面所の排水溝にタオルで栓をしてお湯を入れて入ったり......。そういう生活が、デビューしてからも数年続きましたね。よくテレビで芸人さんが売れなかった時の苦労話をしているじゃないですか。だから、こういうものなんだろうなっていう感覚もあって。そこに関してはむしろ好奇心がある感じだったんですけど。で、やっとデビューしたものの、毎月の給料は、最初は3万だし(笑)何年か経ち5万になり......。まぁ現実はこんなものなんだなっていうのはずっと感じていましたね。

―この世界で本気でやりたいという想いがなければ乗り越えられないですよね。

まぁそうですよね。この11年、その時その時にやりたいことがやれているというよりは、"いつかちゃんと100%やりたいことができるだろう"っていう期待を膨らませながら日々生活していた感じです。世間的にはすごくいい状況で出てきたグループに見られがちなんですけど、実はそうでもないんですよ(笑)。楽してきたかというと、ぜんぜんそんなことはなくて。人って欲深いから、やりたいことがひとつ完成されても、どんどん増えていきますよね。だから、子供の頃に描いていたものとか、デビュー当時に描いていたものが、11年経ってもいまだにできていない事もあるし。この11年、順風満帆だったかというとそうではなくて、とりあえずここまで来ることができたっていう感じです。


Photograph by Chito Yoshida(AVGVST)

―なるほどね。

僕らがやっているエンタテインメントって、一人でできることじゃないですよね。照明の人、音響の人、VJを作る人......とそれぞれ役割分担があって、そのたくさんの人たちのテクニックを尊重しながら、ひとつのエンタテインメントを作る。その時、一緒にやる人たちがそれまでに培ってきた個性、各々のフィールドも尊重しながらやらなきゃいけない。それで、結果的に全体のバランスがとれたエンタテインメントを作らないと成り立たないじゃないですか。そういうことを、歳を重ねるにつれて考えるようになりましたね。最初のうちは、グループでやっている時でも"僕のエンタテインメントを作るんだ"って思ってやっていた時期もあったんですが、それこそエゴだなって思うようになってきたんです。個人のエゴをそのままぶつけるよりも、プロフェッショナルの人たちを交えて限られた時間の中で丁寧に作ったエンタテインメントを提示しないと、ビジネスとしても成り立たないんだなっていうことに、歳を重ねて気づいていったんです。そういう意味で、今は"想像と妄想"と"描いていた理想"と"現実"っていう3つに分かれた感じですね。デビューして6年くらい......いや7〜8年かな。そのくらいまでは納得いかないことが山ほどあったんですけど、今は少し違う考え方をするようになりましたね。それは変に大人になったからというよりも、"確かにそうだな"って思うことが多くなったからで。

―実体験をもって理解できたおかげで、エゴじゃない部分でものが作れるようになったっていうことですね。

そういう11年間は必要だったのかもしれないですね。デビューしてすぐに売れなくてよかったなっていうのは思います(笑)。

―そうなんだ(笑)。

僕は自分のエゴを出して支持をもらうよりも、僕を通してエンタテインメントを楽しんで、多くの人に満たされてほしいと思っています。ライヴって、お金を払って観に来てくれる人に対して、こちらはそのお金以上のエンタテインメントを提供する意識である事が大切だと思うんですよね。なぜお客さんたちがお金を払って観に来るかというと、満たされるため。要は、満たされていない人たちが集まってくる。それか、満たされていたとしても、それ以上に満たしたいものがあるから会場に来る。で、僕も満たされたいからステージに上がってエンタテインメントをする。だから、ライヴは満たされない同士の人たちが欲を求め合う場所だと思うんです。だからこそ、僕も満たされていない状態でステージに立ちたい。そういう意味では、自分は欲求不満でもいいし、フラストレーションが溜まっていてもいい。だから、今までの11年間、障害や邪魔してきたものがあってよかったとも思っています。

―うんうん。

よく、女性のインタヴュアーさんから"西島さんの陰な感じ、マイナスな感じは何からくるんですか?"って聞かれるんです。"それは、たぶんいつも仕事に対してのフラストレーションがあるから。それが色気になっていたらとしたらうれしいですね"って応えているんですけど(笑)。そういうことも含めて、11年間で築いたことが結果になってきているんですかね。そういうフラストレーションをどう自分のなかで咀嚼して表現をして、エンタテインメントとしてお客さんを満たすことができるのか。それを今は追求している最中なんです。

―要するに、エンタテインメントとしてお客さんに見せるには、心身ともに自分を削っていかなきゃいけない。それで開いた穴を埋めるためにステージに上がっているし、それがあるからこそステージに上がれるっていうことですよね。

そうですね。

―面白いなと思ったのが、2012年に、唐十郎さんの戯曲を蜷川幸雄さんが演出した舞台『下谷万年町物語』に出演しましたよね。あの舞台は、ある意味、西島さんがいるエンタテインメントとは真逆の世界で、コンテンツとしてはアンダーグラウンドなものだと思うんです。なぜそっち側へいったのかなって、すごく気になっていたんですよ。

僕を唐さんの作品に合っていると判断して、誘ってくれたのは蜷川さんなんです。蜷川さんと初めて会った時は少し話をしただけなんですが、"演技の勉強をもうちょっとしなさい"って言われたんですよ(苦笑)。その後、園 子温さんと会って『愛のむきだし』(2009年)に出たんです。それを蜷川さんが観て"君があそこまで演技が上手い人だと思いませんでした、ごめんなさい"って言ってくれて(笑)。そのタイミングで『下谷万年町物語』の話をいただいたんです。この作品は比喩的な表現が多くて、台詞を覚えている時は何にかかっている言葉なのかわからなくて。立ち稽古の時(藤原)竜也さんと(宮沢)りえさんが"わからないけど動く"みたいな感覚でやっていると言っていたんですが、確かに言葉の強さで勝手に身体が動くんですよ。

―へぇ。

蜷川さんから"その年齢にしては、すごく傷つきながら生きてきたね"って言われたことがあるんです。僕だけの中で大事にしたい大切な人からの大切な言葉なんで、あまり細かくは言いませんが、"傷つけられている状況下で『何でだろう?』と問うような生き方をずっと続けているよね。それが芝居に鋭利に生きている。その意識はないだろうけど芝居では、文ちゃんを演じるんだよ"って言われたんです。『下谷万年町物語』で、僕は唐さんの子供の時の役だったんですよ。でも、唐さんが昔どんな人だったのかなんてご本人に聞けるわけがないし、もちろん戦争があった時代なんて経験していない。だから、あの時は周りの環境と台詞に甘えて芝居をしていた感じのほうが強くて。それが自分の人生経験と繋げて演じているように見えていたのかな。自分ではわからないんですけど。

―蜷川さんの言い方をお借りすれば、西島さんは"その年齢にしては、すごく傷つきながら生きてきた"わけじゃないですか。ただ、人間って、傷つけば傷つくほど、他人にいじわるになったり自暴自棄になったりする人と、優しくなれる人がいるでしょ。そこで、西島さんは優しくなれたというか、赦せたのはなぜだったんですか? 

自分がやってきたこと、思っていたことが間違ってないと認めてもらえたからじゃないですかね。それは蜷川さんの言葉だったり、園 子温さんの言葉だったり。そういう救いがあったからだと思います。僕は、自分ではあまりアーティスティックな意味での自我がないと思っているんです。だから、今までやってきたことが良かったのか悪かったのか、間違っていたのか正しかったのか、わからなくて。......正しいっていう言い方も少しおかしいですよね、答えがないから。以前、園 子温さんが"お前が感覚でやっているものは基本的に全部間違っていないから、そのままやっていけ"って言ってくれたことがあったんですよ。そう言ってくれる人がいると安心しますよね。


Photograph by Chito Yoshida(AVGVST)

―それはすげえわかります。

今まで散々泥水を飲んできたし、何でこんなことをやらなきゃいけないんだろう?って思うような不条理なことがたくさんあった。それがいいことなのか悪いことなのかもわからなかったし、よくないことだと思いながらやっている自分がかわいそうだとも思ったし、"自分のためになるから"って周りから言われても、自分ではそう思えなかったし。そういうゴチャゴチャした感じをずっと背負ったまま仕事をしてきているので、"間違っていない。そのままで大丈夫だよ"って言ってくれたのが本当にありがたくて。そういう救いがなかったら、おかしなことになっていたかもしれない。

―精神的に潰れていたかもしれない?

そうですね。しかも、蜷川さんも、園 子温さんも、エンタテインメントの世界ですごく成功されている方じゃないですか。そういう方に言われると、本当に救われますよね。10年間一緒にいてもわかってくれない人もいるのに、たった1カ月くらいの稽古ですべて蜷川さんに言い当てられたのは、すごい衝撃でしたし。"この人は、どれだけ人を見てきたんだろう?"って。本当に隠していた部分を見透かされたんですよ。自分では出しているつもりなんてないけれど、芝居に出ていたみたいで。しかも、そういうことを芝居の話の流れで言うんですよ。"芝居を通したうえで君をどんどん知りたいから、もっといろんなものを見せてくれ"って言われた時に、これがプロフェッショナルなんだなって思いましたね。

―今まで西島さんがやっていたことは、自分が抱えている闇や穴を埋めるための作業だったのかもしれないけど、蜷川さんが言ったのは"その闇を使いなさい"ってことですよね。その自分が今まで開きたくなかったものを開けた後の、自分がだだ漏れになった状態っていうのはどうでした? 

自分がだだ漏れしている意識はないので......。でも、だだ漏れがいい演技だと評価されているなら、リスクがありますよね。

Photograph by Chito Yoshida(AVGVST)

―それはあるよね。

要は体力の消費スピードが速すぎるじゃないですか。超越したところにいっちゃうと、その瞬間は気持ちいいけど、舞台が終わった後も戻ってこられない。でもそれは、蜷川さんの世界のなかで自分がだだ漏れているっていうことなので......。蜷川さんや園 子温さんみたいに、自分を料理してくれる人と一緒にやるエンタテインメントも平行してやっていきたいですけどね。新たな自分を出してくれる人ってまわりにたくさんいるだろうし......いや、たくさんはいないだろうな(笑)。

―そうですよね(笑)。

数少ないだろうから、その人たちに選ばれたらもちろんうれしいですし。

―じゃあ、だだ漏れな感じの表現は、あまり自分からしていこうとは思わない?

自分がやるエンタテインメントの表現で、自分で自分の中身を曝け出すような作業は24時間では足りないと思うんですよ。ちゃんとビジネスとしても考えたうえで、自分が与えられた時間のなかでできるエンタテインメントを探して表現していきたいんです。だから、安全地帯にはあまりいたくはないですね。

―短い時間話しただけだけど、安全地帯にはいないんだろうなっていうのはすごく感じました(笑)。ちなみに、先日11年目で初のドーム公演を終えたばかりですよね。ライヴに臨むにあたり、特別な気持ちはありました?

それが意外となくて(笑)。たぶんデビューをして2〜3年くらいでドームをやっていたら違ったんでしょうけど。11年という年月を経て、ライヴハウスからホール、ホールからアリーナ、アリーナからドームへって段階を踏んでここまで来れたから、自分たちを支持してくれている人がいることをちゃんと感じられる状況でステージに上がれたので。2〜3年で一気に5万人のお客さんを集められるようになって、"今の自分たちがどこにいるのかわからなかった"みたいな話も聞くので、ある意味、ちゃんと地に足が着いているんじゃないかなって。それは、さっき言ったフラストレーションの話に繋がるんですけど。

―どういう意味ですか?

地に足を着いている分、空を飛べないと思うからもどかしいんです。僕は空を飛んでいる人たちを見ちゃっているから。"この人たちは翼を持ってるんだな"って。その歯がゆさもあったが故に、ドームに立てたことの喜びは意外となくて。ある意味、俺は汚れているんだろうな(笑)。ピュアに喜べるのは、本当に今まで応援してきてくれた人に対して"一緒にドームっていう景色を見ることができましたね。ここまでついてきてくれて本当にありがとうございます"って思うところですね。

―そう思えるっていうことは、ぜんぜん汚れてないと思いますよ。

でも、汚れたって自分で思えるということは、たぶんピュアなんだと思うんです(笑)。僕は汚れたなっていう認識が自分のなかであって、それを受け入れることができているので。昔は受け入れられなかったですけどね。だから、ちゃんとほどよくオッサンになってるんだなって思いますね(笑)。


ローリングストーン日本版 VOL.111 2017年WINTER 掲載
http://www.rollingstonejapan.com/magazines/detail/24934


Nissy
西島隆弘 1986年、北海道生まれ。2005年、AAAのメインヴォーカルとしてデビュー。2009年に『愛のむきだし』で初の映画出演・主演を果たし、キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞、毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞を受賞する。2012年、唐十郎が自身の生まれ育った下谷万年町を舞台に描き、蜷川幸雄が演出し再演した舞台『下谷万年町物語』に出演。2016年1月期 フジテレビ月9ドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」に出演。2013年8月Nissyの名義でソロとして初めてのMV『どうしようか』を公開。2016年9〜10月にソロ初にして大阪城ホール2Days・国立代々木第一体育館2Days『Nissy Entertainment 1st LIVE』を敢行し、2017年1月21、22日には追加公演も行った。



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