歴史上の人物に学ぶ、採用の極意シリーズPART6 親鸞 編

  [2016/02/02]

浄土真宗の開祖、親鸞。その生き方は、法話や小説などを通じ、いまだに多くの人々に支持されています。親鸞は生涯を通し多くの弟子を指導してきましたが、実際には、それは自らの弟子ではないと言っていたとか。それはいったい何故だったのでしょうか。そこには現在の人事にも通底する考え方が隠されていました。

自分の弟子ではなく、御仏の弟子である

親鸞の考えは、弟子は全て御仏の弟子であるという考えに基づいています。
そのゆえは、わが計らいにて人に念仏を申させ候わばこそ、 弟子にても候わめ、……
(この親鸞の力で、生きる目的を知りたいと思い、教を求め救われたのならば、弟子とも言えるだろう……/歎異抄6章)
とあるように、親鸞のもとで生きる目的を知るために集まり救われたのであれば、自分の弟子ということもできるが、実際にはそうではなく、御仏によって導かれたものとしているのです。一方で、「親鸞聖人門侶交名牒」にはその教えを受けた門弟たちの名が記されているのも事実。これらの事実を元にすれば、親鸞には多くの弟子がいたということになります。

しかし、同じ歎異抄6章にはこのようにもあるのです。
ひとえに弥陀の御もよおしにあずかりて念仏申し候(みなさんが仏法を聞き始められたのも、 求められたのも、阿弥陀仏に救われたのも、阿弥陀仏のお力によってなのだ/歎異抄6章)
親鸞が弟子を教え、救っているのではなく、御仏のお計らいで救われているのだという考えを貫いていることがうかがえます。

親鸞の生きた時代

親鸞の師、法然の浄土宗は末法思想に立脚しており、末法濁世の衆生は、阿弥陀仏の本願力により救済されるとして、念仏を唱えることを広めました。つまり、阿弥陀仏の名前を唱えるだけで救われるとまでハードルを下げないと、この末法の世を救うことはできないと考えましたのです。 親鸞は、この法然の思想を継ぎながら、時代を超えて受け継がれてきた念仏の普遍性を説きました。

飢饉と疫病で人がバタバタ死んでゆくさまを目にし、庶民とふれあいながら幼少期を過ごした親鸞が、法然の教えに影響され、末法思想からさらに普遍的なものとして念仏を捉え直したことは納得できるものです。

自らは厳格な戒律を重視する比叡山で修行しながらも、ひたすら念仏を唱え、仏に祈れば悪人であっても救われるという思想は、まさに、末法の世を生きた親鸞にこそ降りたものだったのでしょう。こうした仏に対する畏敬の念の前には、自らの虚栄心など遠く及ばず、弟子たちすら自らの弟子ではないと言い切れるまでに至ったのです。

企業は天下の公器である

現代の日本においても、人々は閉塞感が包まれていた親鸞の時代と重なる部分は多いのではないでしょうか。

もちろん、親鸞の時代に比べると、現代は医療も食糧事情も進歩し、飢饉や疫病で道端に人が倒れているわけではありません。しかし、先進国の自殺率は相変わらず高く、人心が荒廃している部分もあるのは否定できません。今こそ、長年に渡って多くの人心の拠り所となっている、親鸞の姿勢に学ぶところは多いのではないでしょうか。

企業側も、志望して入ってきたからといって、採用された社員がなんでも指示に従うべきと考えてはいけません。企業は天下の公器であり、企業理念に基いて活動することが大切です。あくまで金儲けのための下働きとしてではなく、理念のため同じ道を歩む者という意識を持ちましょう。乱世の中で親鸞が、決して組織的な立場を優先せず、あくまで仏法の一徒弟としての立場を貫いたように、理念の徒でなければなりません。

経営者や人事担当者は採用の場においても、給料を支払われるのだから企業の所有物になるのだと考えてはいけません。実質上の弟子を多く抱えながらも、それは自分の弟子ではないとした親鸞上人の態度に見習って、謙虚に社会に奉仕する心を持つことが大切といえるのではないでしょうか。


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