フィギュアスケート選手にとって、1年のシーズンを通して使う曲選びは非常に重要だ

フィギュアスケートの世界選手権が3月末に閉幕し、2014-2015シーズンの主要大会は、残すところ4月16日開幕の国別対抗戦のみとなりました。今シーズンは競技会でのボーカル使用が許可されたこともあり、競技での使用曲はどうなるのかということに注目が集まったと思いますが、みなさんの印象はどうだったでしょうか。

今回はオフシーズンで最も重要な「使用曲の決め方」を、私の経験などを中心にお伝えします。

ヒット映画から使用曲を決めるケースが多い

以前にオフシーズンは曲を決めることから始まるとお伝えしましたが、今がまさにその時期で、もうすでに来季の使用曲を決めている選手もいることでしょう。使用する曲を探すことは本当に難しく、毎年頭を悩ます選手が多いのではないかと思います。

今シーズンの国内大会において、シニアでは「オペラ座の怪人」を、ジュニアでは「ロミオとジュリエット」を使っている選手が多かった印象を持っていますが、同世代で使用曲がかぶってしまうのは珍しいことではなく、私の現役時代もよくありました。

昨シーズン(2013-2014シーズン)は、「レ・ミゼラブル」を使用している選手がよく見られましたが、全国的にヒットした映画の使用曲はスケートに使われることが多いです。また、有名な選手が使っていたから「この曲を使いたい」という選手もいます。

このように映画やドラマ、また試合観戦などを通じて、知った曲を使うというパターンが一番多い選び方ではないでしょうか。私自身も、現役最後のシーズンで使用した曲(FS: 篤姫)は大河ドラマの影響が大きいです。

コーチや振付師が薦めてくる場合もある

スケーターの中には、感性を養うためにミュージカルやバレエなどの芸術鑑賞に行く人も多く、そこで使用されていた曲を使う選手もいます。今シーズンの村上佳菜子選手は、ショート・フリー共に「オペラ座の怪人」の中の使用曲を用いていましたが、「劇団四季」のミュージカルを見てからずっと使いたかったようです。

「リバーダンス」という曲もよく使われていますが、これもアイリッシュ・ダンスを中心とした舞台作品の中で使われている曲です。このように自分自身で勉強のために見た作品の楽曲も、プログラム曲に選ばれることが多いです。

また、周囲の意見を参考にして決めるというパターンもあります。振付師の方が、「この選手に合うだろう」と持ってきてくださる場合や、普段指導をしてくださっているコーチが、「この曲が好きだからぜひ滑ってほしい」と希望する場合などです。ソチ五輪シーズンに鈴木明子さんが滑ったショートの曲「愛の賛歌」は、師である長久保裕コーチが好きだった点も選曲決定につながったようです。

自分の演技が映える一曲を選ぶ難しさ

先ほど「選手に合う曲」と表現しましたが、「どのような基準で選んでいるのか」と気になる方もいらっしゃるでしょう。実はそのほとんどが「フィーリング」で、これというものがなくお伝えしにくいのが正直なところです。ですが、その曲を聴いたときに「滑ってほしい選手が、その曲で演技している姿が想像できるかどうか」という点が、ポイントになると思います。

競技中は、使用している曲を表現しなくてはいけません。ダイナミックなジャンプを跳ぶ選手はそのジャンプに合うような曲を、魅せるのが上手な選手はその表現がより映えるような曲を選ぶでしょう。また、高橋大輔さんのように速くステップが踏める選手は、ステップの足さばきを後押ししてくれるような曲を…というように、選手の得意なエレメンツが一層映えるような曲を選ぶケースが多いのではないかと考えられます。

その一方で、伸び盛りのノービス・ジュニアの選手はもちろん、シニアの選手でも自分自身の表現の幅を広げるため、昨季とは全く異なるジャンルの曲を選ぶこともあります。自分の演技を生かしてくれる一曲を、慣れ親しんだジャンルとは別分野から選ぶことの難しさは、皆さんもうっすらと想像できるのではないでしょうか。

苦労して決めた曲をブラッシュアップ

このようにオフシーズンにさまざまな苦労を経て使用曲を決めていきますが、実際に振り付けをしてみて、「ジャンプがどうしてもはまらない」「スピンをする時間が足りない」などの問題が出てくることはよくあります。そのような問題を解決し、より良いものができるように何度も何度もブラッシュアップをしていきます。

全日本選手権につながる国内予選が始まるまで、残り半年を切りました。選手たちにとっては長いようで短いオフシーズンになるかと思いますが、試行錯誤を重ねてできた良い作品が数多く見られることを楽しみにしたいです。

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取材協力: 澤田亜紀(さわだ あき)

1988年10月7日、大阪府大阪市生まれ。関西大学文学部卒業。5歳でスケートを始め、ジュニアGP大会では、優勝1回を含め、6度表彰台に立った。また2004年の全日本選手権4位、2007年の四大陸選手権4位という成績を残している。2011年に現役を引退し、現在は母校・関西大学を拠点に、コーチとして活動している。