新潟県長岡市と米ハワイ州ホノルル市が2015年に「長岡ホノルル平和交流記念事業」を実施する。3日、長岡市長とハワイ日米協会名誉会長が出席し、記者発表会が行われた。

「長岡ホノルル平和交流記念事業」の記者発表会で会見した、長岡市長の森民夫氏(中央)、ハワイ日米協会名誉会長のエドウィン・ホーキンス氏(右)の他、委員会の顧問を務める作家の半藤一利氏(左)

終戦70年に向け平和交流記念事業

長岡市とホノルル市は2012年3月に姉妹都市を締結。2007年にホノルル市で開催された日米市長交流会議に、全国市長会副会長として現在も長岡市長を務める森民夫氏が出席した際に、日米開戦となる1941年の真珠湾攻撃の指揮をとった連合艦隊司令長官・山本五十六が長岡市出身ということから交流が始まり、市民交流などを経て、世界の恒久平和のために交流・協力していこうと姉妹都市関係を結ぶに至った。

2015年は終戦から70年を迎える年となることから、戦争の痛みを知る両市が共同で次世代を担う青少年を中心とした記念事業を実現することを決定。8月に「長岡ホノルル日米友好記念事業委員会」を設置し、このほど具体的な事業内容について両市が合意したことから、概要を発表した。

世界平和訴えるサミットや花火打ち上げを実施

具体的には、両市の青少年が歴史・文化を学びながら、平和について話し合い、未来に向かって世界の平和を訴えるサミットを開催。7月30日から8月3日に長岡市で、8月13日から17日まではホノルル市で開催する予定で、長岡市側からは公募で選出する市内在住の中学生15人が参加し、サミット宣言を行う。

その他ホノルルでサミット開催中の8月14日、15日(日本時間8月15日、16日)には、真珠湾で長岡花火を打ち上げる。長岡花火は、明治時代に始まった歴史あるイベント。戦時中は一時中断されたが、長岡空襲犠牲者の慰霊として1947年に再開。以降、空襲のあった日の翌日、翌々日にあたる8月2、3日に毎年実施されている夏の風物詩だ。ハワイとの姉妹都市締結以降は毎年3月にワイキキ沖でも打ち上げており、地元市民にもその主旨への理解が得られ、定着しているという。

ハワイとの姉妹都市締結以降は毎年3月にワイキキ沖で打ち上げられている「長岡花火」、左から「フェニックス10(7階)」「天地人(7階)」「白菊」(提供:長岡市)

真珠湾での打ち上げ花火は、初日に3発、2日目に約2,000発を予定している。慰霊を込めた「白菊」の他、2004年の新潟県中越地震の復興を祈願して始まった「フェニックス花火」などが打ち上げられる。

長岡市長「若い人に平和の尊さを教え、伝えていきたい」

記者発表に出席し、説明を行った長岡市長の森氏は「太平洋戦争の開戦時は日米の相互理解が不十分で、そのちょっとした誤解から戦争に突き進んでしまった。そういう意味でも平和のためにはまずはお互いを知るということが不可欠。戦争の痛みを知る日米の都市として、若い人に平和の尊さを教え、伝えていきたい」と今回の事業の主旨とその意義を唱えた。

ホノルル市側の委員長を務めるカーク・コールドウェル・ホノルル市長の代理として出席した、委員の1人でもあるホーキンス氏は「真珠湾というのは多くの人が命を捧げた聖なる地として、アメリカ人や軍関係者にとっては特別な場所。アメリカでは花火は祭りや祝いのためのものだが、日米の平和が70年続いたことを祝うという意味だけでなく、"慰霊"の意味が含まれているという点が大切で意味のあること」とホノルル市民の思いを代弁した。

12月7日(現地時間)には、国立公園局・海軍ハワイ司令部主催の「第73周年真珠湾追悼記念式典」がホノルルで開催される。式典には、記念事業の実施に先駆け、長岡市長と同市出身の大学・高校生9人が出席する予定だ。

花火の写真提供: 長岡市