内田篤人は、熱い闘志ともう一つの"武器"で、アギーレジャパンを攻守にわたり引っ張る

11月14日のホンジュラス代表戦でアギーレジャパンにおける初出場を果たし、ワールドカップ・ブラジル大会以来となる勇姿で魅せたDF内田篤人(シャルケ)。左手に走る激痛を一笑に付す頑固さと豊富な経験に導かれた「ある力」が、日本代表の新たな武器となった。

日本代表復帰戦で外した左手のテーピング

一度決めたらテコでも動かない。端正なマスクの下に頑固者の素顔を忍ばせる内田らしい言葉だった。

「腫れがひどいし、痛みもあるけど、手を使ったらハンド(の反則)なので」。

アギーレジャパンに初めて招集され、ワールドカップ・ブラジル大会以来となる日の丸をまとった初日。愛知県内で11月10日から開始されたキャンプに参加した内田の左手には、テーピングが痛々しく巻かれていた。

ドイツをたつ直前の同8日に行われたフライブルク戦で、左手の甲を負傷した。骨折の疑いもあり、帰国後には精密検査も受けた。結果は強度の打撲だったが、心身のモードをシャルケから日本代表に切り替えた瞬間から、内田はピッチに立つ覚悟を固めていたのだろう。手のけがはサッカーには関係ない――と。

果たして、ホンジュラス代表戦に右サイドバックとして先発した内田はテーピングを外し、左手を使うスローイン役を普通に担い、何もなかったかのように最後までピッチに立ち続けた。

弱音や言い訳とは無縁の「戦う男」

今年2月に大けがを負った右ひざには、慢性的な痛みを抱えている。懸命のリハビリでワールドカップに間に合わせ、3試合すべてにフル出場した反動も出ているのだろう。

代表合宿中は毎晩、トレーナーからケアを施されていた。それでも、いざピッチに立てば弱音や言い訳とは一切無縁の「戦う男」に豹変(ひょうへん)する。

「監督からは『無理だと思ったらサインを出してくれ』と言われていたけど、僕は(サインを)出そうとは思っていなかったので」。

ハビエル・アギーレ監督は、戦術的な指示をほとんど出さない。「ヒントは与えるが、それをピッチの上で発展させるのは選手たちだ」というスタンスには、懐疑的な視線すら向けられている。しかし、初めてアギーレ流の下でプレーした内田は戸惑うどころか、水を得た魚のように生き生きと動きまわった。

「ベンチからの指示があまりなかったので、自由にやった。細かい指示はないし、自分たちで考えてやっちゃっていいのかなと思って」。

輝きを放った本田圭佑とのコンビネーション

胸中に秘められた「闘志」と並ぶ内田の"武器"は、右ウイングに配された本田圭佑(ACミラン)とのコンビネーションで最も眩(まばゆ)い輝きを放った。

アギーレ監督が採用する「4-3-3システム」では、3人で構成される中盤がケアできないスペースを、ウイングが下がって埋めるケースが多かった。相手のボールホルダーが日本から見て左サイドにいれば中盤も左側にシフトし、右ウイングの本田が下がる。

相手ゴールとの距離が遠くなる分だけ、本田が与える脅威は必然的に薄れる。守備でも体力を消耗する。そうした悪循環に、内田は自らの判断で楔(くさび)を打ち込んだ。

「本田さんが前で仕事をしてくれれば強さがあるし、ドリブルで突っかけられる。自分が守備を負担して、本田さんが戻らなくていいようにサポートをしたい」。

ホンジュラス戦の前半41分だった。キャプテンのMF長谷部誠(フランクフルト)のクリアが前線に残っていた本田への絶妙のパスとなり、試合の流れを決定づける2点目が生まれた。

ドイツで磨いた「アドリブ力」が生んだ声のアシスト

アギーレジャパンにおける本田の初ゴールは、偶然から生まれたものではない。得点シーンの直前、危機を察知して自陣へ下がろうとした本田に対して内田が叫んだ。

「下がってくるな! 」。

状況を迅速かつ的確に見極め、臨機応変に機転を利かせる。ドイツに渡って5シーズン目。濃厚な経験に裏打ちされた「アドリブ力」こそ、これまでアギーレジャパンで右サイドバックを務めた酒井宏樹(ハノーバー)、酒井高徳(シュツットガルト)にはない内田の持ち味となる。

シャルケと日本代表の両方で、100%のパフォーマンスを維持できない自分に違和感を覚えていた。ワールドカップ後には、「ずっと考えていた」と代表引退に言及した一言が独り歩きしたこともある。

アギーレ監督のラブコールを受けて、再び袖を通した青いユニホーム。内田の心に宿る「日の丸」への変わらぬ思いは、強い痛みが出るまでホンジュラス戦を戦い抜き、4日後のオーストラリア代表戦を欠場したことが何よりも物語っている。

決めたことを曲げない姿勢は昔から

神奈川県との県境に近い静岡県函南町から清水東高校へ通った高校時代。内田は午前5時40分にJR函南駅をたつ東海道線の下り始発に約1時間も揺られ、不足する睡眠時間を車内でのうたた寝で補う日々を3年間続けた。

越境入学者には高校近くの下宿が斡旋(あっせん)されていたが、内田は最もリラックスできる自宅からの通学にこだわった。一度決めたらテコでも動かない頑固さは、いまも昔も変わらない。クラブでも代表でも、常に結果にこだわる姿勢を貫く点もしかりだ。

「ザッケローニ監督のときも勝ちにこだわっていたけど、結果が出なかったので『自分たちのサッカーがどうこう』と勝手に広まってしまった。自分たちはいつでも勝ちにいっていたし、その姿勢はこれからも変わらないと思う」。

10月下旬にはシャルケとの契約が2018年6月まで延長された。176cm、67kgと決して大きくはない体に搭載された、ほとばしる闘争心と高度な戦術理解力はシャルケの首脳陣をも魅了している。

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筆者プロフィール: 藤江直人(ふじえ なおと)

日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。