ロックバンド・氣志團の綾小路翔が、10日に放送されたフジテレビ系トーク番組『ボクらの時代』(毎週日曜7:00~7:30)で、自身の挫折とDJ OZMA誕生秘話を語った。

これまでの音楽活動を振り返った綾小路翔

2001年にリリースした「One Night Carnival」で一世を風靡し、2度の紅白歌合戦出場を果たした氣志團。これまでの音楽活動で「とてつもなく大きな挫折はなかった」という綾小路だが、デビューから2006年頃までの活動を「とにかくみんなで突っ走った」と語り、「実際には演奏力も全くないですし、楽曲も必死こいてなんとか作って。『今は買ってくれる人がいるから出しとけ』とレーベルに言われるがまま優秀にやっていた」と当時を振り返った。

しかし、そこでメンバーとの溝が生じる。割り切ってやっていた綾小路と違い、疑問を抱いていたメンバーからは「1回、時間をくれ」「曲をしっかり作らせてくれ」「俺たちはいつかバレてしまう。メッキが剥がれかかっている」の声。それに対して綾小路は「何を言ってるんだ。俺たちは間もなくバレる。だけど、こんなところで変な延命をするよりも、どうせ通用しないんだから走れるところまで走ろう」と説得したのだという。

初めて意見が食い違った氣志團。武道館や東京ドーム公演。そして、紅白歌合戦出場。綾小路がこれらを「絶対にやる」と宣言し、有言実行で氣志團を引っ張ってきた。「それでも信じてくれないのか」という訴えも届かず、「それですねて、メンバーに分かってほしくてやったのがDJ OZMA」。綾小路はDJ OZMAとして活動をはじめ、2006年に「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」をリリースし、同年には紅白歌合戦への出場も果たした。その後、3年ほどしてメンバーとは和解。しかし、氣志團の人気に陰りが見えはじめる。

当たり前のように売り切れていたチケットが、ライブをやるごとに空席が目立ち、「こんなにも皆さんの気持ちは離れていくものなんだ」と痛感したという綾小路。「そこからは緩やかな下降線をたどっていって。世の中的には必要とされていないんだなと思った」と思い返し、当時の頭によぎったのが「オワコン」という言葉。「皆さんにとって、いわゆる終わってしまったコンテンツになってしまったんじゃないかなと思うような時期もあった」と言うが、その時に「俺たちみんなのヒーローになることはできないかもしれないけど、すてきなイベントをやれる男かも」と気づく。そこではじめたのが、2012年からフェス・スタイルにリニューアルした「氣志團万博」。「音楽の楽しみをもっとみなさんに伝えたい」。「氣志團万博」には氣志團メンバーたちのそんな思いが込められている。