澤田亜紀さんが指導の拠点としている関西大学リンクでは、ジュニアの有力者・本田真凛選手が練習している

ソチ五輪終了後から、長年世界のトップで活躍していた選手の引退・休養のニュースが相次ぎました。これは日本だけではなく、他の国でも同じような現象が起きています。トップレベルで活躍する選手は、五輪から五輪までの期間である4年を区切りに考えている選手が多いためです。

ただ、それ以外の選手は、既に次の2018年の平昌五輪に向けての準備を始めています。今回は次代の日本代表を担っていくであろう選手たちを紹介します。

全国の精鋭が集まる「野辺山合宿」とは

現在世界のトップで活躍する日本人スケーターには、一つの共通点があります。それは、全員が「野辺山合宿」を経験しているということです。

野辺山合宿とは、毎年夏に行われる「ノービス選手(※6月30日の時点で8歳から12歳)」を対象にした「全国有望新人発掘合宿」のことです。第1回の参加者に荒川静香さんがいたことで有名な合宿で、ソチ五輪金メダリスト・羽生結弦選手やバンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央選手も過去に参加しています。各地域の選考会を勝ち抜いた選手だけが参加できる、文字通りノービスのトップが集まる合宿です。

期間中は氷上での演技やジャンプなどの技術チェックはもちろん、身体能力を測るテストなども行います。合宿は、全日本ノービス選手権大会のシード選手や海外試合へ派遣する選手の選考を兼ねています。優れた選手は、ジュニアの日本代表選手が行う強化合宿に参加することができるなど、選手たちにとって目標にもなる合宿になっています。

私もノービスのときにこの合宿に参加しました。「地域で上位に入っていても、全国規模となると、同年代に同じような実力を持つ選手がたくさんいるのだな」ということを実感できたため、モチベーションが上がったことを覚えています。

群雄割拠のノービス・ジュニア世代

スケートシーズンは7月1日から始まります。平昌五輪に出場するためには、2017年7月1日以前に15歳になっていることが条件になっており、この条件に当てはまるのは2013-2014シーズン(昨シーズン)にノービスA以上に出場していた選手です。

昨年10月に行われた全日本ノービス選手権大会では、ノービスAクラスにおいて、樋口新葉選手と島田高志郎選手が優勝しました。樋口選手はジャンプに安定感があり、プログラム中もスピードに乗って表現ができていました。今年からジュニア選手ですので、今後の活躍が非常に楽しみな選手です。島田選手は身体全体で音楽を表現しており、また表情も作れていて、魅せることを恥ずかしがらない選手という印象です。

ノービスAクラスで上位に入ると、全日本ジュニア選手権に推薦選手として出場資格が与えられます。その中で樋口選手は8位、島田選手は17位に入りました。この両選手も、次回の五輪へのチャンスはあるということになります。

全日本ノービスでは3位でしたが、ジュニアで5位入賞を果たした本田真凛選手は、私が指導している関西大学でよく練習をしています。ジャンプ、表現ともにすばらしいの一言です。現在中学1年生ですが、シニアでも通用するジャンプを持っていますし、手や身体をしなやかに使えていて、動きがとてもきれいです。

さらに全日本ジュニア選手権で上位に入ったノービス以外の選手には、推薦選手として一つ上のクラス・全日本選手権への出場資格が与えられます。昨年12月に行われた全日本選手権には、全日本ジュニア選手権で優勝した本郷理華選手と田中刑事選手を含めた数名の推薦選手が出場。新人賞には、推薦選手として出場した木原万莉子選手と山本草太選手が選ばれました。

田中選手は、4回転の成功確率が上がればさらに上位に食い込んでいけるようになるでしょうし、本郷選手は足の長さを生かしたダイナミックな演技ができ、安定感がある印象を受けました。ただ、出場した全員がシニアの舞台でも堂々とした演技を見せていました。4年後がどうなっているのか、全く予想がつかない状態になっています。

失敗を恐れずに、4年後の平昌五輪を目指して

例年通りであれば、7月下旬にジュニア強化合宿が行われます。そこでジュニアの選手たちは、野辺山合宿以来のライバルたちに刺激をもらい、互いに切磋琢磨(せっさたくま)して練習に励んでいくことになります。

五輪が終了した今シーズンは、新たな技や今まで使ったことのないような曲調のプログラムにチャレンジする選手が多くなると予想しています。失敗を恐れずたくさんの経験をして、4年後にはひと回りもふた回りも成長した姿になっていてほしいです。

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筆者プロフィール : 澤田亜紀(さわだ あき)

1988年10月7日、大阪府大阪市生まれ。関西大学文学部卒業。5歳でスケートを始め、ジュニアGP大会では、優勝1回を含め、6度表彰台に立った。また2004年の全日本選手権4位、2007年の四大陸選手権4位という成績を残している。2011年に現役を引退し、現在は母校・関西大学を拠点に、コーチとして活動している。