京都大学、独ヴュルツブルク大学、理化学研究所(理研)、科学技術振興機構(JST)の4者は4月22日、液体表面近くで起こる電子移動反応をリアルタイムに観測する「フェムト秒時間・角度分解光電子分光(TARPES:Time and angle-resolved photoemission spectroscopy)」に成功したと共同で発表した。

成果は、京大大学院 理学研究科の鈴木俊法 教授(理研 光量子工学研究領域 分子反応ダイナミクス研究 チームリーダー兼務)とヴュルツブルク大のRoland Mitric教授らの国際共同研究チームによるもの。研究はJST戦略的創造研究推進事業「先端光源を駆使した光科学・光技術の融合展開」における研究課題「真空紫外・深紫外フィラメンテーション極短パルス光源による超高速光電子分光」において実施され、詳細な内容は近日中に米科学雑誌「Physical Review Letters」に掲載される予定だ。

化学反応というと、一般的には酸化に代表されるような、複数種類の原子や分子が結合するなどして、特性的にそれまでとは異なる別の分子に変身させるその変化といったイメージだろう。科学的により詳細・正確に表現するのなら、分子衝突や光吸収によって分子内の電子の運動状態が変化し、原子に働く力が変化して化学結合が切断または新たに形成される過程のことである。

原子はその外側が電子の雲で覆われていることから、当然ながら分子も電子の雲で覆われている。そのため、溶液中に溶け込んだ状態では、周りの環境から電子運動に大きな影響を受けてしまう。この影響は水や有機溶媒など、その溶液の液体としての性質によって異なるため(溶媒効果)、これを利用して、化学者は以前から溶液化学反応の制御を行ってきた。しかし、溶液中の分子の電子状態が溶媒の影響を受けながら高速に変化する様子そのものについて、実験的にとらえることは非常に困難だった。よって、溶液化学の理解は不十分な状況にあるというわけだ。

そこで研究チームはこの問題に突破口を開くため、水溶液のTARPESを世界で初めて実現した。光電子分光はそもそも、真空中で物質から電子を放出させ、その速度を測定する手法だ。今回開発されたフェムト秒TARPESの場合は、化学反応が起きる時間よりも短い、60フェムト秒という極めて短い紫外光パルスによって溶液化学反応を開始し、第2の極短パルスによって、反応途上の分子から電子を真空中に放出させ、スナップショットのように速度ベクトル分布を次々に測定するという仕組みだ。

画像1が、フェムト秒TARPESの概略図である。仕組みとしては、真空中に液体ノズルから液体ビームを噴射し、そこへ第1レーザーバルス(励起光)を照射後に遅延時間をおいて、第2レーザーパルス(イオン化光)で光電子を発生させ、その量を測定するというものだ。なお液体ビームは、装置の真空度を保つために、液体窒素温度に冷却された液体回収装置で凍結させて回収される仕組みである。

画像1。フェムト秒TARPESの概略図

ちなみに液体の光電子分光では、光電子の強度は液面と光電子速度ベクトルのなす角度と、偏光の電場ベクトルと光電子速度ベクトルのなす角度に依存する。対象が短寿命の化合物である場合には、光電子強度は時間にも依存し、パルスレーザーで観測することが可能だ。フェムト秒TARPESの場合はイオン化光の偏光の電場ベクトルと光電子の速度ベクトルのなす角をθとし、光電子強度のθ依存性を遅延時間の関数として観測が行われた。

分子の振動周期や化学反応による分子間の結合の形成・切断はフェムト秒のスケールで起こるため、この時間スケールを扱えないことには、化学反応のその瞬間をとらえるのは難しかった。今回の研究では、液体表面から遠い溶液内部で放出された電子が水分子に散乱される結果、放出方向の偏りが生じないのに対して、液面に存在する分子種は放出方向が偏ることに研究チームは着目。液体表面にある分子の電子移動反応を選択的に観測することにも成功したのである。

こうして観測された方向性の偏りを持つ速度ベクトル分布とその時間変化は、液体表面にある分子の電子軌道の形や電子移動反応の詳細を明確に反映しているという。そこで研究チームは実験データを正確に解析するため、水溶液中の「DABCO(1,4ジアザビシクロ[2.2.2]オクタン)分子」とその周囲にある4つの水分子を量子力学的に扱い、その外側に存在する水分子の電気的な影響を古典力学的に取り入れた理論モデルを構築し、電子移動反応の時間変化をコンピュータで予測したのである。その結果は実験結果を定性的に再現し、データ解析を裏付けたというわけだ。

画像2は、DABCO水溶液について、フェムト秒TARPESで観測されたデータ。フェムト秒の紫外パルスで液体表面近傍のDABCOを光励起し、(a)~(d)に示された時間をおいて、第2のフェムト用紫外パルスで電子を放出させてエネルギーの分布を観測した実験結果である。eBEは電子束縛エネルギーと呼ばれる量で、この数字が小さい方が高速(高エネルギー)の電子が液体から放出されていることを意味する。

画像2の上の4枚のパネルにおいて、虹のように異なる色で示されている分布は、電子放出させるレーザー光の偏光の角度を変えて測定したデータで、(a)~(c)のように偏光によって分布が変わる場合は、電子が特定の角度方向に向かって液面から放出されていることを意味する。一方、(d)のように偏光に対して変化しない場合は、電子が等方的に放出されていることを意味するという。

下の4枚のパネルは、上のパネルに示されたグラフから異方性を持つ成分だけを抜き出したもので、(a)~(d)へと時間が経つにつれて異方性成分が減少している様子がわかる。(d)は水中に捕獲された電子が放出された信号であり、液体内部に捕獲されているため、真空に放出されるまでの間に水分子と衝突して、方向がランダムになっている。

画像2。DABCO水溶液について、フェムト秒TARPESで観測されたデータ

研究チームは揮発性の液体試料に関する光電子分光を実現するため、まずは直径25μmの液体流を真空装置に噴出させるところからスタートした。ノズルから噴出された室温状態の液体流に第1の光パルスを照射して光化学反応を開始させ、第2の光パルスを照射して反応しつつある溶液中の分子から電子を放出させたのはすでに説明した通りだ。そして、液体からある一定距離の位置に小さな穴が設けられ、これを通過した電子だけを検出するように角度を制限しながら(1ミリラジアン以下)、電子が検出器に到達するまでの飛行時間を測定したのである。

こうして、特定の角度に放出された電子の速度(運動エネルギー)の分布をレーザーの光パルス毎に測定することが可能になった。ただし、TARPES実験は電子を検出する角度範囲が狭い(=放出された電子の内、検出できる電子の割合が少ない)ため、困難という課題がある。

そこで研究チームが次に打った手が、100kHzのレーザー光源を開発したことだ。これにより、1秒間に10万回もの繰り返し測定を行うことでその課題を克服。そして、第2の光パルスを照射するそれぞれの時間タイミングに対して、レーザー光の偏光(光の電場の振動方向)をさまざまに変えて測定を行うことで、電子の放出角度毎のエネルギー分布のスナップショットが測定されたのである。

研究チームは、今回の研究以前にDABCO分子は疎水性であり水溶液内部よりも液面に多く存在することを、X線を用いた別の実験で確認していた。その上で、液体表面にあるDABCOから水への電子移動反応をTARPESで調べたところ、光励起した直後(300フェムト秒)には光の偏光方向によって大きく変化する異方的な電子放出が観測され、DABCO分子が真空中にまで大きく拡がった電子分布、「Rydberg状態」を示すことが確認された。

しかし、光励起された後に時間が経つにつれてより安定な電子状態に変わっていき、3000フェムト秒後には水中に電子が捕捉された「水和電子」と呼ばれる状態が生成されたのである。この水和電子は等方的な電子の放出角度分布を示したことから、電子は水の表面に捕捉されているのではなく水中に引き込まれたことがわかった。

過去の研究から、氷ならその表面に電子を捕捉可能なことが示されているが、液体の水については議論が分かれていたところである。今回の実験結果は、表面にあるDABCO分子から水に電子を移動させた場合でも、電子は水の表面には捕捉されず内部に引き込まれることが示された。今回の結果は、水の表面には電子が捕捉されないか、または数100フェムト秒以下の極めて短時間であり、大気中の水滴表面といった気液界面での反応にはほとんど寄与しないと結論されるとしている。

画像3は、DABCO水溶液の光電子強度の偏光依存性とその時間発展の概念図だ。DABCO分子の励起状態からのイオン化では、光電子(e-)の信号強度はイオン化光の偏光の向きに依存する。一方、1ピコ秒以内で生成する水和電子(e-aq)からの光電子は偏光に依存しない。

画像3。DABCO水溶液の光電子強度の偏光依存性とその時間発展の概念図

今回の研究で初めて実現された液体のTARPESは、水溶液中あるいは表面の分子の高速な電子状態変化をリアルタイムに調べることを可能にし、これまで十分に理解されていなかった水溶液中の溶質と溶媒の電子的な相互作用を詳細に研究する道を開いた形だ。今後は、レーザー、放射光、X線自由電子レーザー(X線とレーザーの特性を併せ持つ光)など、日本が誇るさまざまな光源と組み合わせた実験を行うことで、生体分子の放射線損傷やナノ粒子を利用した太陽エネルギーの光電変換といった研究への応用が期待されるとしている。