慶応義塾大学(慶応大)は3月17日、がん細胞が抗がん剤治療に抵抗性を示すメカニズムの1つを解明することに成功したと発表した。

同成果は、同大医学部の末松誠 教授と山本雄広 助教らによるもの。詳細は英国科学誌「Nature Communications」オンライン速報版に掲載された。

がんは国内死亡原因の第1位であり、その克服に向け、さまざまな研究が行われてきた。近年の研究から、がん細胞は正常細胞よりもブドウ糖を多く取り込むこと、ならびに正常細胞と異なり、酸素の有無に関わらずブドウ糖を乳酸に変換する代謝系である解糖系を主に利用し、がん細胞のエネルギー源となるアデノシン三リン酸(ATP)を作ること、そして、ストレスに対する耐性を持つことなどが分かってきた。中でもストレスに対する耐性は、抗がん剤も含まれるため、抗がん剤を使用し続けると、耐性を獲得してしまい、治療の障壁となることが課題となっていた。

これまで研究グループは一酸化窒素(NO)、一酸化炭素(CO)、硫化水素(H2S)など、生体内のガス分子が細胞内のどこでどのように発生し、どのように機能するかを理解するための研究を進めてきた。中でも臓器における血流の制御や、炎症を抑える作用を持つCOについては、がん細胞がこの仕組みを利用し、化学療法・放射線治療・血管塞栓療法などのがん治療のストレスを受けると、COを生成し細胞を死にくくするといったことを起こすことが知られていたが、その作用メカニズムは不明のままであった。

これまでに研究グループは、COがシスタチオニンβ合成酵素(CBS)を阻害することで、多くのタンパク質のメチル化修飾を制御する機能があることを報告しており、その機能(CO-CBS系)ががん細胞の抗がん剤に対する耐性の獲得メカニズムと関わりがあるのではないかと考え、今回の研究を行ったという。

COがメチル基転移反応を制御する仕組み。COはヘムタンパク質であるCBSの活性を阻害することでホモシステインから流れてくる経路(緑色矢印)を遮断する。一方、COによるCBSの活性阻害によって、メチオニン回路(オレンジ色矢印)中の代謝産物は増加する。この代謝経路中にあるs-アデノシルメチオニン(SAM)はメチル基供与体として働くため、COによるメチオニン回路の活性化はさまざまなメチル基転移反応を制御する

具体的には、がん細胞は正常細胞よりも大量のブドウ糖を取り込み、解糖系を通じ乳酸へ変換することによって、エネルギー源である多くのATPを酸素なしで産生するが、その一方で、がん細胞はその急速な細胞増殖を支えるために、大量の核酸(DNA、RNAの材料)やアミノ酸、細胞膜の原料となる脂質、さらにはエネルギーを合成するためのATPを必要としている。これらを合成する代謝系の多くは解糖系から分岐しており、分岐経路へ代謝を切り替えるスイッチ機能は、がん細胞が増殖する上で重要となってくるため、研究グループではがん細胞がストレス下でCOを産生する状況において、取り込まれたブドウ糖がどのように利用されるかを調べるために、安定同位体で標識したブドウ糖をがん細胞に取り込ませ、どのように代謝されていくのかを質量分析装置を用いて測定したという。

この結果、COを多く生成しているがん細胞では、取り込まれたブドウ糖は核酸合成に重要な経路であるペントースリン酸回路へ一度う回して解糖系の下流に戻ることにより、増殖に必要な物質を合成しつつ、ATP合成量も維持して代謝されることが判明したとする。

この結果を受けて、ペントースリン酸回路へう回させるメカニズムの解明に向け調査を行ったところ、解糖系の一連の反応系において重要な酵素である「PFK-1(ホスホフルクトキナーゼ-1)」の活性化因子の1つの含量が、COを多く産生しているがん細胞において低下していること、ならびに酵素の活性によって触媒され産生される物質の下流の代謝産物が減少していることを発見したとのことで、これらのことから、PFK-1の活性が下がっていることが示唆されたほか、PFK-1の活性化因子の産生酵素である酵素「PFKFB3((ホスホフルクトキナーゼ/フルクトース-ビスホスファターゼ-タイプ3)」が、メチル化修飾を受けることが判明した。

がん細胞では同酵素が常にメチル化され、解糖系が活性化しているが、ストレスを受けると、COがCBSを阻害することによりPFK-1を制御するPFKFB3のメチル化レベルが低下し、核酸合成とエネルギー産生を同時にやりくりできるペントースリン酸回路へと、巧みに代謝経路を切り替えていることが示されたこととなった。

そこで研究ではさらに、PFKFB3の低メチル化が、がん細胞にどのような作用をもたらしているのかの解明に向け、生化学的実験を行ったところ、PFKFB3のメチル化修飾が酵素活性に影響することが判明したほか、メチル化されたPFKFB3を特異的に認識する抗体を用いた実験より、がん細胞では同酵素は常に高メチル化状態にあり、解糖系が活性化されていることが判明した。

一方、低酸素刺激などのストレスを与えることでCO生成酵素であるヘムオキシナーゼ1が誘導されたがん細胞、あるいはCOそのもので処理されたがん細胞ではPFKFB3はそのメチル化レベルが低下し、酵素活性が低下することも確認。これにより、取り込まれたブドウ糖の流れがペントースリン酸回路へう回の切り替えには、PFKFB3のメチル化状態が鍵を握っていることが示されたこととなった。

COによってブドウ糖がペントースリン酸回路で代謝される仕組み。がん細胞に安定同位体でラベルされたブドウ糖を取り込ませ、どのような経路で代謝されるか追跡実験を行ったところ、ストレスでCOの増加したがん細胞ではペントースリン酸回路へ流れる割合が増加し、この回路へう回して代謝されることが明らかになった。また、生化学的な実験より、COの増加したがん細胞では解糖系の重要な調節酵素であるホスホフルクトキナーゼ(PFK-1)の活性が低下していることが分かった

さらに研究では、がん細胞のストレス耐性の獲得に重要なメカニズムであることが知られている細胞内に存在する解毒物質「グルタチオン」の再利用(還元)されたものの量ががん細胞では増加し、抗がん剤に対して抵抗性を示すことも確認したほか、免疫不全マウスを用いたがん細胞の移植実験においても、低メチル化されたPFKFB3を持つがん細胞では、高メチル化されたPFKFB3をもつがん細胞(対照群)に比べ肝臓内における腫瘍占有率が高く、質量顕微鏡を用いた測定より腫瘍内のグルタチオンの還元型/酸化型の比率(GSH/GSSG比)が高いことが判明したとする。

低メチル化型PFKFB3を多く持つがん細胞では還元型グルタチオン量を増やすことで抗がん剤に対する抵抗性を持つ。(a)はヒト大腸がん由来細胞であるHCT116細胞でCBSをshRNAでノックダウンするとPFKFB3のメチル化レベルが低下することを示した図。(b)と(c)はCBSをノックダウンしたHCT116細胞ではコントロール細胞に比べ、NADPHおよび還元型グルタチオン量が増加していることを示す図。そして(d)は抗がん剤(50μMシスプラチン)による細胞死への影響も調べたところ、CBSをノックダウンした細胞ではコントロール細胞と比較して、抗がん剤に対する抵抗性が認められたことを示す図

免疫不全マウスを用いたCBSをノックダウンしたがん細胞の移植実験。(a)はCBSをノックダウンしたHCT116細胞を用い、肝転移モデルを構築した。ノックダウン細胞では肝臓組織中における腫瘍占有率が著しく増加していることが確認された。(b)は質量顕微鏡を用いて、対照群およびCBSノックダウン細胞の、担がん肝組織切片を解析したところ。CBSノックダウン細胞からなる腫瘍において高いグルタチオンの還元/酸化型比(GSH/GSSG)が認められ、酸化ストレス耐性が増していることが示唆された

今回の一連の結果は、PFKFB3のメチル化の度合いが、がん細胞の酸化ストレス耐性を決定するというこれまで知られていなかった分子メカニズムを示すものであり、研究グループでは、PFKFB3のメチル化状態を調べることで、がんの悪性度や治療抵抗性の有無などの質的診断ができる可能性がでてきたとするほか、今後スイッチングの詳細なメカニズムの解明が進むことで、解糖系とペントースリン酸回路の切り替えスイッチのON/OFFを人為的に制御することが可能になれば、がん細胞を「兵糧攻め」することにより治療効果を向上させることも期待できるようになるとしており、新たな治療法の開発につながること可能性が出てきたと説明している。

PFKFB3のメチル化状態による解糖系のスイッチング機構。平常時におけるがん細胞は恒常的にPFKFB3がメチル化状態であり、解糖系が活性化しているが(左側の流れ)、さまざまなストレスによってCO-CBS系の作用によりPFKFB3が低メチル化状態になると、その結果PFK-1活性が低下することにより、ブドウ糖はペントースリン酸回路へう回して代謝され、グルタチオンの還元力維持に重要なNADPHを生みだす。これにより、がん細胞は酸化ストレスや抗がん剤に対して抵抗性を持つようになる