京都産業大学(京産大)神山天文台は2月5日、2013年5月からは東京大学と共同開発を進めている近赤外線高分散分光器「WINERED(ワインレッド)」(画像1)の本格的な観測が2013年11月からスタートしたことを発表した。

WINEREDの開発および観測研究を行っているのは、京産大の近藤荘平神山天文台専門員、元京産大理学部の池田優二客員研究員・准教授、東大大学院准理学系研究科の小林尚人准教授らが率いる共同開発・観測チーム。そのほか、東大大学院在籍の福江慧氏(京産大理学部卒業生)ら多くの学生も開発や観測研究に参加しているのが特徴で、多くの学外関係者(各種研究機関および各種メーカーなどの産業界)の協力も得てWINEREDの開発は進められているという。なお、WINEREDを構成する部品すべてに最先端の技術が応用されており、同様な機能を持つ天体観測装置の中では現在世界最高の感度を誇っているとした。

画像1。WINEREDの観測装置の一部

このWINEREDは、近赤外線という人間の眼には見えない電磁波を、3万色に分解して分析できる高感度な分析装置だ。可視光線において、プリズムを使って恒星からの光を分光し(虹を作る)、そのスペクトル上の「吸収線」を分析することで、その恒星(の大気)にどのような物質が含まれているのかがわかるが、近赤外線でも同じように3万色に分解することで、さまざまなことがわかってくるのだ。可視光線同様にスペクトル中に吸収線が見られるので、そうしたスペクトル分析することにより、恒星に含まれる元素の組成比を調べることが可能となる。可視光線と比較して(近)赤外線が有利なのは、波長が長いため、その恒星が塵などに覆われていて可視光線では見えづらい場合でも見やすいことなどだ。

2013年5月に同装置の試験観測が実施され、その後は性能評価と装置の改良作業が進められていた。そして2013年11月25日より、同装置を用いた高精度な天体分析のための観測を本格的にスタート。その成果の一部は、2012年12月17日・18日に京都大学で開催された「第3回 可視赤外線観測装置技術ワークショップ」にて発表された。

この観測装置の開発には、京産大の学生や神山天文台のスタッフ、そして東大大学院の学生、ポスドク、スタッフなどが参加している。WINEREDの開発に携わった両大学の学生数は、現在までに延べ14名だそうだ。学生はさまざまな技術を学びながら世界屈指の性能を誇る観測装置を開発しており、自らが開発した装置を用いた観測的研究を目指しているという、とても貴重な実戦を経験できる場となっているのである。

WINEREDはまだ本格的な稼働を開始して2カ月強だが、すでにさまざまな天体の観測的研究がスタートしており、今後、多くの研究成果が得られるものと期待されている。その中には、京産大と縁の深い恒星の「セファイド(ケフェイド)型変光星」も含まれるという。なぜ同大学とセファイド型変光星の縁が深いかというと、同大学の創設者である荒木俊馬博士の研究対象だったのが、何を隠そうセファイド型変光星なのだそうだ。まさに、大学創設者の夢を引き継いだ形といえよう。なお荒木博士は、セファイド型変光星の理論的な研究を行って1929年に学位を取得したという。

セファイド型変光星はどのような変光星かというと、単独の恒星が膨張と収縮を繰り返すことにより明るさが変化する「脈動変光星」だ。おおよそ2~50日の周期で明るくなったり暗くなったりを繰り返す星で、それぞれのセファイド変光星によって周期が異なっている。

周期と星の固有の明るさには関係=「周期光度関係」があり、これによってセファイド変光星までの距離を求めることが可能だ。つまり、地球かららの距離を求めるのに使える宇宙の物差しの1つというわけだ。また、周期が星の年齢とも関係を持つことが知られており(周期の長いセファイド変光星ほど若い)、その星がいつ頃誕生したのかの手がかりにもなる。研究チームはWINEREDを用いてこうしたセファイド型変光星の観測し、我々の天の川銀河の構造と化学進化史の解明を目指すとした。

WINEREDのクライオスタット(真空・低温槽)の設計製作に携わり、開発の中心的役割を果たしている京産大大学院院 理学研究科・博士前期課程1年の中岡哲弥氏は、装置開発に携わることにより短期間で効果的にさまざまな技術を身につけることができたという感想を述べると共に、「自分が関わった装置を使って自分自身で観測を行うことができ、大変、充実した研究生活を送ることができています」とコメント。

近赤外線検出器など電気回路関係とソフトウェア開発を担当し、同じく開発の中核を担っている京産大大学院 理学研究科・博士前期課程2年の川西崇史氏は「自らが開発に携わった観測装置で、新たな天文学の研究を行えることにとても魅力を感じています」とした。

また前述の福江慧氏は、「WINEREDで取得できる豊富な原子や分子のデータを用いることで、近赤外線波長域におけるセファイド型変光星の効果的な組成解析方法を、世界に先駆けて構築したいと思います」と目標を語っている。

そして現在、神山天文台において装置開発および観測を主導している神山天文台専門員の近藤荘平氏は「WINEREDで、新たな観測的・研究分野を開拓できると考えています」と今後の研究の発展に大きな期待を寄せた。

さらに、同装置の基本概念を提唱してこれまで開発を牽引してきた東大の小林准教授は今回の本格稼働開始について、「WINEREDが端緒を開いた近赤外波長の高精度分光が、今後、天文学の主流の1つになるでしょう」と今後の天文学の発展に関するコメントをしている。

また、下の画像は本格観測で得られたデータだ。画像2は2013年11月26日未明に撮影された「ラブジョイ彗星(C/2013 R1)」で、その右上のグラフは同彗星が2013年12月1日未明に観測された際のデータ。そのグラフを拡大したのが画像3である。グラフは、発光スペクトル(上)とCN分子発光モデル計算結果(下)の比較で、横軸は分子科学分野での慣例ということで波数[/cm]単位とされている。なお彗星を撮影したのは、京産大大学院理学研究科・博士前期課程2年の長島雅佳氏。

グラフのスペクトルでは、CN分子の「Red-band system」と呼ばれる多数の輝線がはっきりと分離して観測できていることがわかるはずだ。観測されたラブジョイ彗星のスペクトルは、彗星コマ中の塵による太陽反射光とCN分子による発光との両方が含まれている。図中「OH airglow」とあるのは地球大気による発光を表す。またWINEREDの観測では、彗星の最も明るい中心部付近のみが観測された。

画像2(左):ラブジョイ彗星(C/2013 R1)。オーストラリアの著明なコメット・ハンターのテリー・ラブジョイ氏が2013年9月7日に発見した長期彗星。同じラブジョイ彗星でも、アイソン彗星とは異なり「サングレーザー」として生き延び、長大な尾をたなびかせた「C/2011 W3」とは別の彗星。画像3(右):発光スペクトル(上)とCN分子発光モデル計算結果(下)の比較のグラフ

画像4は、表面温度が異なるさまざまな恒星のスペクトル。上から順に下にかけて温度が低く赤い星に相当している。スペクトル中に見られる吸収線は、前述したように恒星大気中に含まれる多種多様な元素によるものだ。温度が高い星の大気は原子状のガスだが、温度が低くなると次第に分子ガスが存在するようになってくるのがわかる。

同グラフで温度が最も低い(最下段の赤線)の「ケフェウス座μ星(別名:ガーネット・スター)」(画像5・6)では、波長1.1μm(1万1000Å)付近にCN分子「シアン・ラジカル」による吸収が見られる。上から3番目と4番目のスペクトルに対応する天体が、セファイド型変光星と呼ばれる変光星の1種だ。

なおグラフにある7つの恒星は、上から順番にオリオン座の1等星リゲル(主系列のスペクトルでB8labの青色超巨星、脈動変光星)、こいぬ座の1等星プロキオン(同F5IV-V、白色矮星)、ケフェウス座δ星(同F5lb-G2lb、この星がセファイド型変光星の第1号)、ふたご座ζ星(同F7lb-G3lb、セファイド型変光星の1つ)、うしかいい座の1等星アルクトゥルス(同K1.5III)、オリオン座の1等星ベテルギウス(同M2lab、SRC型脈動変光星(半規則変光星の中の赤色超巨星)の代表格)、ケフェウス座μ星(同M2la、SRC型脈動変光星の代表格)だ。

画像4(左):表面温度が異なるさまざまな恒星のスペクトル。画像5(中):ガーネット・スターことケフェウス座μ星の位置(フリー天文ソフト「Clelesta」で撮影)。白丸の中が同恒星の位置。画像6(右):ケフェウス座μ星のCGイメージ(フリー宇宙シミュレータ「Space Engine」で撮影)。実際はもうちょっと赤い感じ

WINEREDは今後、さらなる性能向上のための取り組みを行い、現在は世界最高級クラスだが、最終的には世界最高性能の実現にむけて開発を継続しつつ、さまざまな天体の謎の解明に取り組んでゆくとしている。