理化学研究所(理研)は12月12日、常温有機強誘電体において、加える電圧の極性の向きに応じて電荷の偏りが反転する"電気分極の反転"を阻害している要因を発見し、これを除去することで、反転可能な電気分極量を5倍以上向上させ、本来の材料特性を引き出すことに成功したと発表した。

同成果は、同所 創発物性科学研究センター 動的創発物性研究ユニットの賀川史敬ユニットリーダー、強相関物性研究グループの十倉好紀グループディレクターらによるもの。詳細は米国の科学雑誌「Nano Letters」のオンライン版に掲載された。

強誘電体は、物質内部でプラスとマイナスの電荷に偏り(電気分極)を持ち、外部から電圧を加えると、電場の向きに応じて電気分極の向きが反転するという性質を持っている。電気分極の上向きと下向きは、それぞれ情報の0、1に対応させることができるため、電圧印加による電気分極反転は、強誘電体メモリ(FeRAM)のスイッチングの基本動作原理として用いられている。

強誘電体の中でも、有機強誘電体は有毒な鉛や希少金属を含まず、常温付近で電気分極反転が可能な物質が存在することから、環境負荷の少ない有望な材料として注目を集めている。しかし、電圧を印加した時に、電気分極の反転が不完全なことが多くある。不完全な電気分極反転は、強誘電体デバイスの性能劣化や動作不良の一因になるため、その要因の解明が求められていた。ところが、これまでの強誘電体の一般的な理解では、多くの場合、不完全な電気分極反転は試料の純度や結晶性の問題であるとされていた。一方、常温で動作できる有機強誘電体が近年続々と誕生する中で、試料の純度を原因としない不完全な電気分極の反転が数多くあることが分かり、阻害要因をミクロレベルで解明することが望まれていた。

そこで、研究グループは、常温有機強誘電体「6,6’-ジメチル-2,2’-ビピリジニウムクロラニル酸塩」を開発し、同物質を通じて電気分極反転の阻害要因の解明を目指した。「6,6’-ジメチル-2,2’-ビピリジニウムクロラニル酸塩」は、ジメチルビピリジン分子とクロラニル酸分子が水素結合によって直鎖状に配列している物質である。水素結合中のプロトン(H+)が下側の分子に結合している場合は、結晶全体で正の電荷が下側に偏っているため、下向きの電気分極を持つ。プロトンが上側の分子に結合している場合は、上向きの電気分極を持つ。実際に常温で育成した単結晶試料では、約1.3mC/cm2の電気分極量が電圧の印加によって反転可能であることが分かった。一方、同物質の電気分極反転を計算シミュレーションで評価すると、その値は10mC/cm2と、非常に大きな予測値が得られた。予測値との大きな差は、実験で観測された電気分極反転が非常に不完全であり、改善の余地が大きく残されていることを示唆している。

図1 新しく開発した常温有機強誘電体の結晶構造と電気分極メカニズム。(A)「6,6’-ジメチル-2,2’-ビピリジニウムクロラニル酸塩」の結晶構造。ジメチルビピリジン分子とクロラニル酸分子が水素結合によって直鎖状に配列している。(B)水素結合中のプロトン(H+)が下側の分子に結合している場合。結晶全体で正の電荷が下側に偏っているため、下向きの電気分極を持つ。(C)水素結合中のプロトン(H+)が上側の分子に結合している場合。結晶全体で正の電荷が上側に偏っているため、上向きの電気分極を持つ

研究グループは、電気分極反転を妨げている要因を解明するため、ピエゾ応答力顕微鏡を用いて電圧印加時の分極反転過程の可視化を行った。図2Aは、電圧印加前の強誘電ドメインの分布の様子を観測したもの。互いに反対向きの電気分極を持つドメイン(領域)が実空間で混在していることが分かる(赤領域と青領域)。この初期状態に対して、試料全体に電圧を印加すると、一見、片方のドメインが拡大する振る舞いが観測された(図2Bの赤領域)。ところが、より注意深く像を解析すると、異なる強誘電のドメインを隔てている境界線(強誘電ドメイン壁)のうち、動いているのは、電気分極と平行な向きを持つものであり、それ以外のドメイン壁は電圧印加によってほとんど動いていないことが分かった。また、同様の傾向は他の試料においても確認された。これらの観測結果から、電気分極と平行でない向きの強誘電ドメイン壁(対向分極ドメイン壁)が、電気分極反転を阻害している要因であると予想された。対向分極ドメイン壁は比較的高い生成エネルギーを持つため、熱処理を行うことで、その数が低減すると理論的に予想できた。そこで、研究グループは、この仮説を検証するために、熱処理によって対向分極ドメイン壁を取り除くことを試みた。

図2 電場印加前後における電気分極ドメイン分布。ピエゾ応答力顕微鏡で観測した電気分極ドメイン分布。(A)電場印加前の初期状態。互いに反対向きの電気分極を持つドメイン(赤領域と青領域)が混在していることが分かる。(B)電場印加後。ドメインを隔てている境界線(強誘電ドメイン壁)のうち、動いているのは、電気分極と平行な向きを持つものであり、それ以外のドメイン壁は電圧印加によってほとんど動いていないことが分かった

図3A、Bは、熱処理(最高到達温度117℃)適用前後における強誘電ドメインの分布を、ピエゾ応答力顕微鏡を用いて観測した結果。熱処理前に見られた対向分極ドメイン壁が熱処理後では見られず、電気分極と平行な向きを持つ強誘電ドメイン壁だけで成り立っていることが分かった。この状態に対して電気分極反転測定を行うと、熱処理前では約1.3mC/cm2の電気分極量しか反転を示さなかったのに対し、熱処理後では約7mC/cm2と、5倍以上その値が増大していることが分かった(図3C)。これらの実験から、対向分極ドメイン壁が常温有機強誘電体における電気分極反転を妨げる主要な要因であることが実証された(図3D)。また、一度熱処理した試料は、107℃の高温まで強誘電体としての性質を失わないことも分かった。

図3 熱処理前後における電気分極反転、電気分極ドメイン分布の関係。(A)ピエゾ応答力顕微鏡で観測した熱処理前の電気分極ドメイン分布(図2Aとは異なる試料を用いている)。(B)熱処理後の電気分極ドメイン分布。(C)熱処理前後における電気分極反転測定結果の比較。(D)熱処理前後の試料それぞれにおける電気分極反転の模式図

今回の研究によって、常温有機強誘電体における電気分極反転を妨げている要因が、特定の向きを持った強誘電ドメイン壁(対向分極ドメイン壁)であることが分かった。今後、有機強誘電体材料や、それを用いたデバイス創出を推進する上で、重要な知見になると期待できる。また、これまでに発表されている常温有機強誘電体に対しても、動作不良個所の評価を併用して加熱などの処理工程を最適化すれば、材料が持つ本来のポテンシャルを最大限引き出せる可能性が示されたとコメントしている。