京都大学は10月23日、運動学習の基盤メカニズムとして、小脳の抑制性シナプスで起こる情報伝達効率の変化、つまり「シナプス可塑性」が重要であることを明らかにしたと発表した。

成果は、京大 理学研究科の平野丈夫 教授、同・田中進介 博士課程学生らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、10月23日付けで米学術専門誌「The Journal of Neuroscience」オンライン版に掲載された。

運動学習の基盤メカニズムとして、練習または経験により引き起こされる小脳内神経細胞間の情報伝達の変化が重要とされる。神経細胞間での情報伝達はシナプスを介して行われる仕組みだ(画像1)。このシナプスには、神経細胞の活動を高める興奮性と、反対に活動を抑える抑制性の2タイプがある。そして、経験、練習などにより引き起こされる神経活動は、シナプスにおける情報伝達効率を持続的に変化させ、それがシナプス可塑性だ。シナプス可塑性は、学習と記憶の細胞レベルでの基盤現象と考えられている。

画像1。神経細胞とシナプス

小脳は運動制御と運動学習に関わり、そこでのシナプス可塑性が運動学習に重要とされてきた。小脳の主要神経細胞として、「プルキンエ細胞」が知られている(画像2)。プルキンエ細胞は小脳皮質から出力する唯一のタイプの神経細胞であり、「顆粒細胞」と「下オリーブ核細胞」から興奮性のシナプス入力を受け、また「星状細胞」と「籠状細胞」から抑制性シナプス入力を受けている。

ちなみに顆粒細胞と下オリーブ核細胞は小脳皮質にある神経細胞だ。プルキンエ細胞に対し、興奮性シナプスで情報伝達を担う伝達物質として働くアミノ酸の1種「グルタミン酸」を伝達物質とする興奮性シナプスを形成する。また星状細胞と籠状細胞は、小脳皮質で「GABA(γアミノ酪酸)」を伝達物質とする抑制性シナプスを形成する神経細胞だ。

画像2。小脳神経回路とLTD、RP

小脳皮質での主要な情報伝達経路は、顆粒細胞→プルキンエ細胞であり、プルキンエ細胞の出力が運動を制御する。そして、その運動の結果がよくなかった時には、下オリーブ核からプルキンエ細胞に誤差信号が送られて、その影響で運動時に活動した顆粒細胞・プルキンエ細胞間の興奮性シナプス伝達が持続的に抑えられ、よくない結果に関わったシナプス伝達が抑えられるという仕組みだ。

この現象は、「長期抑圧(LTD:Long-Term Depression)」と呼ばれる伝達効率が持続的に減弱するシナプス可塑性のことで、これまではこのLTDにより運動学習が成立すると考えられてきた。しかしながら最近、LTDが起こらない状況でも運動学習ができる例が報告され、ほかのメカニズムも運動学習に寄与すると推定されるようになってきたのである。

一方で、下オリーブ核神経細胞の活動は、星状細胞とプルキンエ細胞間の抑制性シナプス伝達を持続的に増強することも知られており、この現象は「脱分極依存性増強(RP:Rebound Potentiation)」と呼ばれていたが、その役割は不明だった。

研究チームは、RPもLTDと共に運動学習に寄与するのではないかと考察。そして、RPが特異的に阻害される遺伝子改変マウスを作製して、その運動学習能力を調べることにしたというわけだ。星状細胞とプルキンエ細胞間のシナプスでは、GABAが伝達物質として働くことは前述した通りで、RPの発現にはそのGABAの受容体とタンパク質「GABARAP」の結合が必要である。研究チームの以前の研究により、その結合がGABA受容体の一部を切り出した「γ2ペプチド」により抑制されることは確認されていた(画像3)。

そこで研究チームは今回、蛍光分子で標識したγ2ペプチドをプルキンエ細胞で特異的に発現する遺伝子改変マウスを作製(画像3)。このマウスはRPを発現しなかったが、ほかのシナプス入力および小脳神経細胞の形態は通常のマウスと同様であり、RPが選択的に障害されていることがわかった。

画像3。γ2ペプチドと遺伝子改変マウスの小脳

次に調べられたのが、この遺伝子改変マウスの運動学習能力である。運動学習能力は、「前庭動眼反射(VOR)」の適応能力で評価された。VORは頭部回転を内耳の三半規管が検出して、頭部回転と反対方向に眼球を回転させる反射であり、動物が運動する際の頭部回転による視野のブレを防ぐ働きをするものである。

VORの大きさは、状況に応じて柔軟に変化して適応することが知られており、この適応現象は運動学習のモデルとみなせるという。通常のマウスでは、頭部回転と同時に視野回転を与えると、マウスは視野のブレが小さくなるように眼球運動を変化させる(画像4)。

具体的には、頭部回転と同時にマウスの周囲に設置した縦縞スクリーンを逆方向に回転させると、前庭動眼反射の大きさが増大する適応が起こる仕組みだ。また、スクリーンを同方向に回転させると、前庭動眼反射の大きさが小さくなる。RPが障害された遺伝子改変マウスにおけるこの適応現象が調べられた結果、適応の大きさが減少していることが確かめられた。つまり、RPが起こらない遺伝子改変マウスでは、運動学習も障害されていたことになるのである。

画像4。前庭動眼反射(VOR)の適応訓練

今回の成果は、小脳の抑制性シナプスでの可塑性が運動学習に寄与することが初めて示されたもので、小脳による運動学習機構をシナプスと神経回路のレベルで理解する上でカギとなる新情報だ。以前は、小脳の興奮性シナプスにおける可塑性が運動学習の基盤メカニズムと考えられていた。しかし、興奮性シナプス可塑性が起こらない状況でも運動学習が起こる例が報告され、従来の興奮性シナプス可塑性に基づく運動学習メカニズムの仮説に疑問が生じ、さまざまな議論がなされていたのである。今回の成果は、抑制性シナプスの可塑性が興奮性シナプスの可塑性と共に運動学習に寄与することを示したもので、上述の議論に1つの回答を与えるものとなった。

また今回の成果により、小脳による運動学習機構をシナプスと神経回路のレベルで理解する上でカギとなる情報が得られた形である。この成果は、抑制性シナプス可塑性が興奮性シナプス制御異常を補償するメカニズムとして働き得る可能性を示しているという。小脳以外の脳領域でも、抑制性シナプス可塑性が興奮性シナプスの可塑性と共調して働き、一方の障害を他方が補償する可能性が考えられるとする。また今回の成果は、将来的に小脳のシナプスの制御異常を伴う病変への対応の向上にも寄与する研究へと展開できるものと考えているとした。

今後は、運動学習の小脳神経路回路による制御メカニズムの詳細を明らかにし、「脊髄小脳変性症」などの神経疾患への対応および、より効率的に運動学習する方法の開発に寄与できるような知見を得ることを目指すとしている。