理化学研究所(理研)は10月1日、細胞分化の運命を左右する新しい分子メカニズムの一端を解明し、「ポリコム複合体間」で起こる重合が遺伝子発現のオン・オフを調節することを発表した。

成果は、理研 統合生命医科学研究センター 免疫器官形成研究チームの古関明彦グループディレクター、同・磯野協一上級研究員(JST戦略的創造研究推進事業さきがけ研究者兼務)らの研究チームによるもの。研究はJST戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)「エピジェネティクスの制御と生命機能」研究領域における研究課題「細胞運命に関わるポリコーム群制御の切り換え機構」の一環として行われ、その詳細な内容は、9月30日付けで米科学誌「Developmental Cell」に掲載された。

未分化状態の幹細胞から特定の細胞へと分化する細胞の運命決定には、どの遺伝子をどこで発現(オン)させるか、あるいは抑制(オフ)するかといった遺伝子発現の切り換えが深く関わっている。幹細胞が分化するための多能性を維持するには、分化に関連する遺伝子が活性化できる性質を保ちながらも、実際には不活性な状態に留まっていることが必要だ。同時に幹細胞は、分化などで減少する分を補うために自己複製を繰り返している。

このような幹細胞の特性を維持するために、重要な役割を果たしているのが「ポリコム」タンパク質群だ。ポリコムタンパク質群は、ショウジョウバエ遺伝学的解析から同定され、体の前後軸に沿った体節パターンに関わる遺伝子産物の総称である。現在、哺乳動物ではおよそ20遺伝子(Phc2、Mel18、Ring1b、Cbx2など)がポリコムタンパク質群に分類されている。ポリコムタンパク質群は、それぞれアミノ酸配列構造が異なるため、独自の機能を持つ。

またポリコムタンパク質群は、細胞の分化や増殖抑制に関わる遺伝子領域に複合体(ポリコム複合体)を形成して、その遺伝子を不活性化することが報告されている。よって、ポリコム複合体は、幹細胞を起点とする細胞の運命決定の主要因子といえるという。しかし、ポリコム複合体がどのように遺伝子を抑制し、またどのようにその抑制を解除するのか、その分子メカニズムはほとんど解明されていなかった。

そこで研究チームは今回、ポリコム複合体による遺伝子制御メカニズムを理解するため、マウス遺伝子改変技術と細胞イメージング技法を併用して研究に臨んだ。まず、ポリコム複合体の核内局在を知るために、ポリコムタンパク質を蛍光で追跡できる遺伝子改変マウスを作製。改変マウス胚由来の細胞が顕微鏡によって観察され、すると不活性化状態の「Hox遺伝子」などの遺伝子領域でポリコム複合体が重合して連なり、斑点状の「ポリコム構造体」を形成することがわかった(画像1~3)。

なおHox遺伝子とは、動物の胚発生初期において体軸に沿った体節パターンの決定に関与する分化関連遺伝子群のことをいう。ヒトやマウスでは、Hoxa、Hoxb、Hoxc、およびHoxdという4つのクラスターが編成されており、それぞれ異なる染色体に存在する。また、各クラスターは10前後のHox遺伝子で構成される。

ポリコム構造体。マウス胚由来細胞(胚性繊維芽細胞)の核内に存在するポリコムタンパク質を蛍光タンパク質(GFP)で表している。画像1(左):不活性化状態にあるHoxa遺伝子領域の位置(2つの赤点)。画像2(中):斑点状のポリコム構造体(緑)。画像3(右):左と中を重ね合わせた画像。一部のポリコム構造体(矢じり)は、Hoxa遺伝子領域上に存在している

ポリコム構造体の役割を適切に理解するためには、構造体形成を阻害する必要があることから、研究チームはポリコム複合体の構成成分の1つ「Phc2タンパク質」が持つ「自己重合活性」がカギになっていると考察。そこで、重合形成不全を引き起こす遺伝子変異マウス「Phc2遺伝子点変異マウス」を作製し、細胞を観察したのである。その結果、予想した通りにポリコム構造体は消失した(画像4・5)。

なお自己重合活性とは、この場合には、Phc2タンパク質の進化的に保存されたアミノ酸配列構造「SAMドメイン」がブロックのおもちゃのように頭尾結合して、重合する(数珠つなぎのように繋がる)特性をいう。またhc2遺伝子点変異とは、Phc2遺伝子におけるDNA配列上の1塩基置換のこと。アミノ酸レベルで、Phc2タンパク質の307番目「ロイシン(CTA)」が「アルギニン(CGA)」に変換するように1塩基が置換された。

Phc2遺伝子点変異マウス由来の細胞におけるポリコム構造体の消失。画像4(左):野生型マウスでは、ポリコム構造体(矢じり)がポリコムタンパク質群のMel18タンパク質(赤)とRing1bタンパク質(緑)の共局在によって検出される。画像5(右):Phc2タンパク質が重合不全となる点変異マウス(点変異型)の細胞では、Mel18タンパク質とRing1bタンパク質の共局在が確認されない。つまり、ポリコム構造体が消失している

また、ポリコム構造体が形成されてない状態では、遺伝子発現のオン・オフに深く関わっているクロマチン構造が緩むと共に、ポリコム複合体の制御下にあるHox遺伝子やがん抑制遺伝子「Cdkn2a」などの遺伝子群の発現が上昇した(画像6~8)。なおCdkn2aは主要がん抑制遺伝子の1つで、細胞増殖停止、老化、細胞死を誘導する。さまざまながん細胞においてCdkn2aの欠損や不活性化が確認済みだ。不活性化の要因としては、ポリコムタンパク質群の過剰発現が示されている。

ポリコム構造体形成不全によるHoxb遺伝子群領域のクロマチン構造の緩み。画像6(左):Hoxb遺伝子クラスターの構造。画像7(中):左の画像は細胞核内におけるHoxb遺伝子クラスターにあるHoxb1とHoxb13の位置。野生型マウスではHoxb1(赤)とHoxb13(緑)は近接しているが、Phc2遺伝子点変異マウス(点変異型)では離れている。つまり、クロマチン構造が緩んでいる。右のグラフはHoxb1とHoxb13の2点間距離。画像8(右):4ポリコム構造体の形成不全によって発現が上昇した遺伝子。点変異マウス(点変異型)の細胞では、野生型マウスと比較してポリコム複合体の制御下にあるHoxb13およびCdkn2aの発現が約10倍に上昇していた

Hox遺伝子の発現上昇は、脊椎の形成パターンに影響を及ぼすことが知られている。またCdkn2a遺伝子の発現上昇は、規定の寿命(細胞分裂回数で表される)に到達することなく、細胞が不可逆的に分裂停止する現象である「早期細胞老化」を引き起こす。そこで実際に、ポリコム構造体不全がこのような現象を誘導するかどうかが調べられた。その結果、Phc2遺伝子点変異マウスでは、本来は頸椎になるべき脊椎が胸椎に、胸椎になるはずの脊椎が腰椎になるという体節の運命変換が起こっていたのである(画像9・10)。

点変異型マウスで起こった体節の運命変換。画像9(左):野生型マウスの脊椎は、上から数えて7番目までが頸椎となる。8番目からは肋骨のある胸椎となる。画像10:点変異マウス(点変異型)では、第7頸椎が第1胸椎へと運命変換し、肋骨を持つようになる(赤矢じり)。また、第1頸椎も第2頸椎の特性を持ってしまっている(赤太線)

加えて、Phc2点変異細胞は早期に老化することも確認された。以上の結果は、Phc2タンパク質の重合活性によって起こるポリコム複合体の重合、言い換えればポリコム構造体の形成が細胞の運命決定に関わる遺伝子の抑制に必要であることを示している(画像11)。

画像6は、Phc2タンパク質自己重合を介したポリコム複合体による遺伝子発現制御モデル。詳細を説明すると、Aはポリコム複合体が標的遺伝子座に存在するだけでは不活性化されない。Bは、Phc2タンパク質自己重合がポリコム複合体の重合を引き起こし、ポリコム構造体を形成する。その結果として、クロマチンが凝集し、遺伝子の発現が抑えられるというわけだ。ポリコム複合体の重合は何らかの刺激によって制御されることで、遺伝子発現のオン・オフが切り換わる可能性があるとしている。

画像11。Phc2タンパク質自己重合を介したポリコム複合体による遺伝子発現制御モデル

今回の成果は、ポリコム複合体の重合の促進と解除が遺伝子発現のオン・オフの切り換えに直結している可能性を示しているという(画像11)。今後、この制御メカニズムを解明できれば、多能性を持つiPS細胞やES細胞の運命コントロールが可能となり、再生医療の進展に役立つと考えられるとする。

また、近年、ポリコム複合体の過剰機能ががん化の主要原因の1つとなっていることが明らかになってきた。ポリコム複合体の重合を制御するメカニズムの解明は、がん化の抑止、あるいはがん細胞を死滅させる抗がん剤開発に役立つ可能性があるとする。

なお、ポリコム構造体はポリコム複合体の機能を反映したものだ。今後、ポリコム構造体の形態変化を詳しく調べることで、再生医療やがん治療に応用できるポリコム複合体の重合による遺伝子発現のオン・オフの切り換えの核心に迫れると期待しているとしている。