東京大学は9月13日、細胞内でタンパク質のチロシン脱リン酸化を担う酵素の1種であるチロシンホスファーゼ「SHP2」が「Hippo情報伝達経路」の標的である転写共役因子のタンパク質「YAP」ならびに「TAZ」と結合することを発見し、この結合を介してYAP/TAZがSHP2のキャリアー(運搬役)として機能する結果、Hippo経路活性化の有無に応じてSHP2の細胞内局在が変動することを明らかにしたと発表した。

成果は、東大大学院 医学系研究科 病因・病理学専攻 微生物学分野の畠山昌則教授、同・堤良平助教(現・米オンタリオがん研究所 ポストドクター)らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、米科学誌「Developmental Cell」9月30日号に掲載される予定だ。

細胞は外部からのさまざまな刺激を感知し、細胞内情報伝達を介して細胞の分裂・分化・運動など種々の細胞機能を調節する。これら調節機構の破たんが制御不能な細胞増殖などを引き起こし、がんを含む各種病変発症の原因となってしまう。

正常な細胞は互いに接触し合う密度に達すると増殖を停止する「接触阻止」と呼ばれる仕組みを持つ。ただし、この仕組みはがん細胞では失われることが知られており、細胞濃度が増大しても接触阻止を誘導できず、がん細胞は細胞密度を無視して増殖・分裂を繰り返し、積み上がるように分裂を続けてしまう。結果、腫瘍塊を作ると共に周囲に進展・浸潤していくのである(画像1)。

画像1。細胞密度と接触阻止

そうした中、近年になって大きな注目を集めているのが、その細胞密度の変化に応じて細胞の増殖を制限して、器官や組織の成長を制御するHippo情報伝達経路だ。同経路の情報伝達の過程では、YAP/TAZがリン酸化を受けることが知られている。非リン酸化状態では細胞核に局在するYAP/TAZが、リン酸化を受けることによって細胞質に移行する仕組みだ。

一方で、細胞にはその増殖や発がんに重要な「RAS-MAPK情報伝達経路」や「Wnt情報伝達経路」もある。RAS-MAPK情報伝達経路は、細胞増殖の制御スイッチであるタンパク質「RAS」と、RASにより機能調節されるリン酸化酵素群から構成される細胞内情報伝達経路のことをいう。

増殖因子など細胞外からの増殖刺激に応答してRASが活性化することで情報が伝達され、細胞増殖が誘導される仕組みだ。この経路に属するタンパク質の機能異常がRAS情報伝達経路の異常な活性化を惹起し、さまざまな固形がんや血液がんの発症に密接に関わると考えられている。

もう1つのWnt情報伝達経路は、ショウジョウバエの羽の発生異常から発見された細胞情報伝達経路で、RAS-MAPK経路とは異なる細胞外増殖刺激により活性化する経路だ。ヒトでは、発生・発達における組織形成のほか、消化管の維持などにも重要な役割を果たすと共に、その異常が大腸がんなどを初めとするさまざまながんの原因となることが知られている。この2つの経路とHippo経路との関連性、例えば、共通の分子によって情報の受け渡しがなされているのかなどが不明だった。

そうした中、今回の研究で見出されたのが、Hippo情報伝達経路が標的とするYAP/TAZとSHP2が物理的複合体を形成することだ。SHP2は、その機能獲得型変異により「ヌーナン症候群」や「レパード症候群」という遺伝性の小児発達障害を伴う発がんしやすい先天性奇形や小児白血病、固形がんなど、さまざまながんの発症に関わることが知られており、がんタンパク質としての役割が明確に示されているホスファターゼである。

また今回の研究では、細胞密度依存的なHippoシグナルに呼応して細胞質あるいは核へと細胞内局在を変えるYAP/TAZがキャリアーとなり、YAP/TAZと結合したSHP2の細胞内分布を規定することも明らかにされた。なお、細胞密度が高くなると、YAP/TAZが動かなくなることも判明している。

SHP2は核内で細胞の分裂・増殖を促すWnt経路を活性化することが示されているが、今回の研究からSHP2が細胞分裂やアポトーシス阻止に関連した遺伝子の活性化に関わるYAP/TAZの転写共役因子活性を増強することも明らかとなった(画像2・3)。

これらの結果から、細胞増殖に促進的に働くRAS-MAPK経路、Wnt経路ならびに細胞増殖に抑制的に働くHippo経路という3つの異なる細胞内情報伝達経路がSHP2を介してお互いに情報を受け渡し合い、細胞密度に依存した細胞増殖の調節を行っていることが明らかとなったのである。

画像2・画像3:細胞密度に依存したSHP2がんタンパク質の細胞質-核移行。細胞密度が高くなるとHippoシグナルが活性化され、SHP2のキャリアーのYAP/TAZを細胞質に留め置く。その結果、SHP2-YAP/TAZ複合体は核内に移行できず、同複合体に依存した細胞増殖関連遺伝子の誘導が抑えられる。この機構が正常細胞における接触阻止の誘導に重要な役割を果たしていると考えられる

今回の成果は、3つの細胞内情報伝達経路がSHP2により協調的に機能制御されていることを明らかにしたことに加えて、SHP2の異常活性化はヌーナン症候群やレパード症候群を伴う先天性異常や小児白血病に代表されるさまざまながんの発症原因となることがこれまで明らかにしたことから、これらの難病発症やSHP2の制御異常による疾患の理解を大きく進展させるものといえるという。

今回の成果を基に、今後、SHP2異常を背景とするがんやヌーナン症候群、レパード症候群などの先天性発育障害に対する治療への道が拓かれることが期待されるとしている。