北海道大学(北大)は9月12日、量子力学的にもつれあった光を用いて、この限界を超えた感度を有する「量子もつれ顕微鏡」を実現したと発表した。これにより、生体細胞などをより高い精度で観測することが可能となり、生物学や医学などをはじめ幅広い分野への応用が期待されるという。

同成果は、同大 電子科学研究所の竹内繁樹教授(兼 大阪大学 産業科学研究所 招へい教授)、小野貴史博士研究員(同連携推進員)らによるもの。詳細は、「Nature Communications」に掲載された。

光学顕微鏡の中でも、微分干渉顕微鏡は、対象物を染色などすることなく、そのまま非侵襲で観察・計測する手段として、生物学や医学などで広く用いられている。その顕微鏡の深さ方向分解能や計測精度は、標準量子限界と呼ばれる、光の古典理論によって決まっていた。その限界の下で、より高い深さの分解能や計測精度を得るためには、さらに強い光を当てるしか方法がなかった。しかし、強い光を照射すると、対象サンプルの損傷などの影響を与えるため、重大な問題となっていた。

研究グループは、量子力学的な相関を持った光子を用いることで、この標準量子限界を超えた位相測定が可能であるという原理検証実験にすでに成功している。そこで今回、この量子もつれ光子を微分干渉顕微鏡の照明光として利用することで、標準量子限界を突破することを目指したという。研究グループは光量子コンピュータの研究で培った、良質な量子もつれ光子対源などの技術を用い、「量子もつれ顕微鏡」を実現。その顕微鏡を用い、ガラス基盤の表面に、原子100個程度の厚みで浮き彫りされた"Q"という文字の観察を行った結果、通常の光を用いた観察(標準量子限界)に比べ、1.35倍のS/N比を達成したとしいう。

図1 (a)は微分干渉顕微鏡。偏光プリズムによって、光を2つの偏光(赤:垂直偏光、青:水平偏光)の光線に分離、その2つの光がサンプルのわずかに異なる点を通過する。それら2つの光線を、再度偏光プリズムで合波すると、古典的な光の干渉により、その2つの光線の光路長の差を検知することができる。ただし、その精度には、標準量子限界と呼ばれる古典理論による限界が存在する。(b)は量子もつれ顕微鏡。先ほどの普通の光の代わりに、「垂直偏光が2光子存在」と「水平偏光が2光子存在」という量子もつれ光を光源として利用する。すると、偏光プリズムで合波した際に生じる量子干渉信号は、光路長の差に対する信号の変化が、通常の光の場合よりもさらに鋭敏になる。その結果、古典理論による限界を超えた精度を達成することが可能になる。(c)~(e)は微分干渉顕微鏡および量子もつれ顕微鏡での信号取得の様子。2つの光線が同じ厚みを通る(c)と(e)の場合に対し、異なる厚み(d)を通る場合に信号が変化する

図2 (a)は実験装置図。ポンプ光(水色)によって励起された、2枚のホウ酸バリウム結晶(BBO)のそれぞれから、量子もつれ光子対が発生する。発生した量子もつれ光子対は、光ファイバによって微分干渉顕微鏡部に導入される。微分干渉顕微鏡部では、方解石(カルサイト)を用いて偏光成分ごとに2つの光路に分離され、サンプルに入射される。サンプルを透過した量子もつれ光は、方解石によって合波された後、半波長板と偏光ビームスプリッター(PBS)によってその2光子量子干渉が生じる。その結果を2台の光子検出器によって同時係数する。(b)は発生した量子もつれ光の量子トモグラフィー結果。良質なもつれ光子対が生成していることが分かる。(c)は微分干渉顕微鏡部での1光子干渉結果。(d)は微分干渉顕微鏡部での2光子量子干渉結果。

図3 実験結果。(a)は観察に用いたサンプルの原子間力顕微鏡像。ガラス基盤上に、Qの字が17nm厚で浮き彫りにされている。(b)は(a)の赤枠線で囲んだ部分を断面方向について画像化したもの。(c)は量子もつれ光を用いて取得した画像。同じ光量の通常の光を用いて得た(d)と比較して、Qの字の輪郭がはっきりと確認できる。(e)と(f)は図(c)と(d)の赤い枠線で囲んだ部分のデータ強度分布をグラフ化したもの。黒線は、理論的に得られる平均カウント数。(g)と(h)は理論値からのずれをヒストグラム化したもの。量子もつれ顕微鏡(g)のヒストグラムは、通常の光を用いた場合(h)に比べて分散が小さく、より高い信号雑音比が得られていることが分かる

今後、より多数の光子のもつれ状態を実現することで、微分干渉顕微鏡の感度を、標準量子限界を大きく超えていくことが可能であり、将来的には、生体細胞内部のわずかな物質分布の変化や、蛋白質結晶の結晶化過程の解明など、これまで感度が不足し観察・測定できなかった様々な課題への応用が期待される。また、同成果は現在急激に発展している、量子コンピュータに代表される量子情報技術の、より広範な分野への応用のさきがけでもあるとコメントしている。