京都大学は8月14日、進化的に最もヒトに近縁であるチンパンジーを対象に、彼らが顔を知覚する際に脳の半球優位性が見られるのかを非浸襲的な方法で分析し、その結果、チンパンジーにおいても顔知覚処理が脳の右半球で優位に行われていること、チンパンジーの年齢がこの反応傾向に影響を与えていること、すなわち、特定の種に対する接触経験がこの脳の半球優位性と関連していることを発見したと発表した。

成果は、京大霊長類研究所の足立幾磨助教、同・友永雅己准教授らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、米国東部時間8月14日付けで米国科学誌「Journal of Neuroscience」に掲載された。

ヒトは顔を見れば、当たり前のことだが、それが誰かといったことを瞬時に認識することが可能だ。さらに、顔からその人の感情や心の状態など、非常に多くの情報を読み取ることができる。顔はヒトの社会生活において不可欠な情報源というわけだ。ヒトは、一体どのようにしてこうした顔の認識を行っているのだろうか。ヒトの顔知覚の特徴は、大別して下記の4点にまとめられる。

  1. 目・鼻・口の全体的な配置に高い感受性を持ち、これを元に非常に効率よく顔を見分けている。
  2. この感受性は、顔が上下さかさまになると減少する。
  3. この感受性は、特定の顔(種、人種)に対する接触経験の中でチューニングされる。
  4. ヒトが顔を認識する際には、脳の右半球により依存する。

こうしたヒトの顔知覚の進化的基盤を探るため、これまでにさまざまな霊長類の顔知覚様式が分析されてきた。その中で、上記(1)、(2)については多くの種において共有されていることが報告されているものの、(3)については、やや限定的だった。(4)については、以下の3点のヒトの顔の画像を見比べるとわかりやすい。

画像1(左)・画像2(中)・画像3(右):ヒトのキメラ顔の例。画像2と3では、なんとなく画像2の方が似ている印象を受けるはずだ

画像2と3の内、どちらが画像1と似ていると感じられるかというと、なんとなく画像2の方に似ている印象を持つはずだ。実は、画像2と3は、画像1の左半分のみ(画像2)、右半分のみ(画像3)の情報を持つように加工した「キメラ顔」だ(顔を真ん中で縦半分に切って、左-左の場合は左を垂直反転させて合成している)。左の方がなんとなく似て感じられるのは、ヒトが顔を認識する時に、脳の右半球により依存していることを反映しているというわけだ。

体の左右の半身と脳の左右の半球では神経が交差しており、脳溢血などで脳に障害を負うと、その障害部位がある半球とは逆の半身に麻痺が出たりするのはいることはよく知られた事実だ。視覚も同様で、目に映る情報の内、左視野への入力は右脳に、右視野への入力は左脳に最初に送られる。最初に顔を見た際に、脳の右半球により依存して顔の認識を行うため、左視野からの(つまり写真の左半分)からの情報がより印象に残るのだ。しかし、これが生物種が異なると、変わってくる。それは、画像4~6を見ればわかるはずだ。

画像4(左)・画像5(中)・画像6(右):チンパンジーのキメラ顔の例。画像4がオリジナルで、画像5は画像4の左-左キメラ顔、画像6は同じく右-右キメラ顔

この場合は、おそらく印象の差異はほとんど生まれないことがほとんどだろう。ヒトの顔認識が、(3)の同種であるヒトの顔により特化したチューニングがされているため、チンパンジーの顔に対しては、それほど左視野の情報に対して印象が残るということはないと考えられる。なお、ヒトの顔認識のチューニングは、生後6か月から9か月頃の発達の初期段階の経験がとても重要なことも知られている。

さらに、マカクザル(ヒトとおよそ2500万年前に分岐)を対象に、顔知覚時の脳活動が盛んに分析されてきたが、(4)については、ヒト以外の霊長類ではこれまでのところ認められていない。これは、マカクザルもヒトによく似た顔知覚様式を示すが、その神経基盤は、ヒトとは完全には一致していない可能性を示唆しているという。そこで研究チームは今回、進化的にヒトに最も近縁であるチンパンジーを対象に、彼らの顔認識様式について、(3)、(4)に焦点を当てた研究を実施したのである。

実験はタッチパネルを用いて、遅延見本あわせ課題(画像7)により、チンパンジーに顔を見分けることの訓練がなされた。その際、チンパンジーの顔、ヒトの顔が刺激に用いられている。最初に750ミリ秒間1枚の写真が呈示さ、その写真が消えた後に500ミリ秒経つと、2枚の写真が呈示される仕組みだ。この2枚の写真の内、最初に見た写真と同じ個体の写真を選べば正解というルールである(この時点で、キメラ顔は含まれていない)。

画像7。見本あわせ課題

チンパンジーがこの課題を学習したところでテストが実施され、テストでは訓練した課題に混じって、時折キメラ顔が選択肢として呈示された。顔をまっすぐ見た時、顔写真の左半分は左視野に、右半分は右視野にそれぞれ投影される。つまり、チンパンジーも脳の右半球により依存して顔を認識するならば、左-左キメラ顔の方が、元の顔に似ていると感じられると予想されたわけだ。実験の結果、すべてのチンパンジー、ヒト被験者において、この予測に沿う結果が得られたのである(画像8)。

画像8のAのグラフはチンパンジー被験体の結果(左はチンパンジーの顔、左はヒトの顔)、Bはヒト被験者の結果。横軸は試行回数、縦軸は、左-左キメラ顔選択バイアス(左-左キメラ顔選択数から、右-右キメラ顔選択数を引いたもの)を表している。すなわち、300試行の段階で100という値は、300回の内、200回左-左キメラ顔を、100回右-右キメラ顔を選択したことを意味する。また折れ線グラフのO1、O2はオトナ個体、Y1、Y2はコドモ個体の結果を表す。

また、Cはこのバイアスの強さが、顔の弁別成績とよく相関していることを示したものだ。すなわち、チンパンジーの顔弁別が得意な個体は、チンパンジーの顔に対してより左-左キメラ顔への選択バイアスが、ヒトの顔の弁別が得意な個体は、その逆の傾向を示す。

画像8。チンパンジーおよびヒトの結果

さらに、左-左キメラ顔を選ぶ度合いは、ヒトの場合は、ヒトの顔に対してより強いことも確認された。一方、チンパンジーでも全個体が同様に左-左キメラ顔をより選択したが、その度合いは年齢によって異なっていることが判明。コドモでは、チンパンジーの顔に対してより、オトナではヒトの顔に対してより左-左キメラ顔を選択した。

また、この選択の度合いが、ヒト、チンパンジーの顔の識別成績とよく相関していることも確かめられている。つまり、チンパンジーの顔を見分けるのが得意な個体は、チンパンジーの顔に対して、ヒトの顔の弁別が得意な個体は、ヒトの顔に対して、より左-左キメラ顔を選択したのである。

今回の成果によりは、ヒト以外の霊長類でも脳の右半球が顔認識により用いられることが確認された。ヒトの顔知覚様式の進化的基盤に関わる大きな発見だという。また、チンパンジーにおいては、ヒトの顔知覚様式の特徴4点すべてが確認された。

こうしたチンパンジーをモデルにすることで、逆にヒトの顔知覚様式へも示唆が与えられるとする。例えば、ヒトでは初期経験とその後の長期的な経験が通常同じ対象(自種、自人種など)に向いている。これでは、顔認識様式のチューニングに対して、それぞれの経験がどのように寄与しているのかを切り分けることは難しい。

一方で、飼育下の動物であれば、この経験をある程度正確に記述することが可能だ。例えば、今回の研究の被験体は、群れで生まれ育ち初期経験は同種に強く偏向しているが、長期的経験は同種は13頭と限られている。それに対し、ヒトに対する接触量は実験者、飼育者など、常に増加し続けるというわけだ。こうした経験量を記述することで、初期経験とその後の経験がどのように顔知覚様式のチューニングに寄与するのかを計算論的に記述することが可能となるという。これにより、ヒトの顔知覚様式の包括的な理解が進むと期待されるとしている。

研究チームは今後、顔の知覚様式の進化的基盤を探るため、さらに比較対象種を広げていく予定だ。さらに、脳の機能局在に対し、顔認識以外の側面からもアプローチしていくことで、ヒトの認知能力における進化の道筋を明らかにしていく予定としている。