大阪市営地下鉄で最も長い駅名となる「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅

大阪市営地下鉄にみられる特徴のひとつに、「長い駅名が多い」という点が挙げられる。日本一長い駅名があるというわけではないが、少なくとも誰もが一見して「長い駅名だなぁ」と感じるものがやたらと多く存在する。

全国初、2つの地名が合体した「西中島南方」

大阪地下鉄のメインラインとなる御堂筋線には、「西中島南方(にしなかじまみなみがた)」駅という、仮名表記で11文字にもなる駅名がある。新幹線・新大阪駅の近くにあり、他府県から来阪した人の中には「西」「南方(なんぽう)」と、2つの方角が混在しているような駅名を奇異に感じる人もいるようだ。

この駅は阪急電車の「南方(みなみかた)」駅と連絡しており、最初はこの御堂筋線の方も「南方」駅となる予定だった。しかし、実際の駅の所在地が西中島町内であったため、「西中島」駅と「南方」駅、2つの駅名候補で論争が起こる。

そして最終的に、どちらの主張も立てる形で両方を合わせた「西中島南方」駅に決定。これは、全国で初めて2つの地名を合体させた駅名と言われている。ちなみに「南方」は、かつてこの辺りが干潟地帯だったので、“南の潟”を意味していると言われており、現在は町名変更により消滅している地名だ。

地下鉄の方は“みなみがた”だが、阪急電車の「南方」駅は“みなみかた”となる

「四天王寺前」と「夕陽ケ丘」の争い

大阪の地下鉄駅名の中で、漢字表記・仮名表記どちらにおいても最も長いのが「四天王寺前夕陽ヶ丘(してんのうじまえゆうひがおか)」駅。谷町線という路線にある駅だ。

この駅は地上で見ると夕陽丘町に接する場所に位置しており、当初はその町名をとって「夕陽ヶ丘」駅と命名される予定であった。しかし、駅からほど近いところに、かの聖徳太子が建立した四天王寺という寺院がある。四天王寺と言えば日本最古の本格的仏教寺院として、日本史の教科書にも必ず登場する歴史的建造物だ。

駅のすぐ近くにある四天王寺だが、南門や西門までは少し歩かなければならない

そこで、全国から参詣者が集まるこの名所を駅名にするべきではないかという意見が浮上し、開業直前に「四天王寺前」駅という名前が最有力候補となった。ところが、「夕陽丘」を駅名に推す地元住民からの強い反発があり、結局「四天王寺前(夕陽ヶ丘)」と表記することに決定。社内アナウンスも「してんのうじまえ・ゆうひがおか」と呼んでいた。

そして年月は流れて平成11年(1999)。同じ大阪市営地下鉄の別路線に「大阪ドーム前千代崎(現在はドーム前千代崎)」という駅が開業し、切符などに文字数の多い駅名が記載できるようシステムが改良される。これを機に「四天王寺前(夕陽ヶ丘)」のカッコが外され、「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅が正式名称となった。28年にも及ぶ地元住民の念願がついにかなったわけだ。

「夕陽ヶ丘」なんて新興住宅地などによくある名前に、なぜそこまでこだわるのか?と疑問に思うかもしれないが、この大阪市天王寺区の夕陽丘はそれらとはちょっとわけが違う。

大江神社の百歳(ももとせ)の階段。上町台地の西側は今も大きな高低差がある

中世の頃までの大阪湾は、現在の天王寺区を含む上町台地のすぐ西側まで海が迫っており、この夕陽丘の辺りは大阪湾に沈む夕日を眺める絶好のビューポイントだった。

大江神社境内に立つ「夕陽岡」の碑。藤原家隆の「夕陽庵」もこの辺りにあったという

新古今和歌集の撰者のひとりでもある鎌倉時代初期の歌人・藤原家隆は晩年をこの地で過ごし、その住居を「夕陽庵(せきようあん)」と呼んだ。これが夕陽丘という地名の由来と言われており、また、幕末の国学者・伊達宗広も、藤原家隆に倣(なら)って住居を構えたこの地を「夕日岡(ゆうひのおか)」と命名している。

いわば日本における元祖“夕日の見える丘”という歴史を持っており、それゆえ「そんな由緒ある地名を外して、少し離れた四天王寺を駅名にするとは何事か!」と地元住民は憤慨したのだ。

2つの地域の言い分を尊重した苦肉の策

大阪市営地下鉄谷町線には、この他にも次に挙げるような漢字四文字以上の長い駅名がいくつも存在する。

関目高殿(せきめたかどの)駅
「関目」駅として開業。しかし、地元自治会の要望によって「関目(高殿)」駅と表記され、車内アナウンスでも「関目・高殿」呼ばれるようになる。そして平成9年(1997)、「関目高殿」駅が正式名称になった。「四天王寺前夕陽ケ丘」駅パターンの前例とも言えるが、同駅のような長期間の論争にはなっていない。

千林大宮(せんばやしおおみや)駅
開業前は駅の東側が森小路町、西側が大宮町であったが、住居標示変更で森小路の一部が千林となったため、「千林大宮」駅として開業。ただし、駅の大部分は森小路に含まれており、駅の所在地も森小路2丁目となっているのだが、不思議と森小路側からの反対はなかったよう。

太子橋今市(たいしばしいまいち)駅
もともと2つあった市電の停留所「太子橋」と「今市」を統合して誕生。

「太子橋今市」「千林大宮」「関目高殿」「野江内代(のえうちんだい)」と、2地名統合駅名が4駅も続く谷町線

駒川中野(こまがわなかの)駅
南海平野線(現在は廃線)の駒川町駅と中野駅の中間地点に位置し、計画時は「駒川」駅の予定だった。しかし、中野側から反対意見が出たため、2つを合体した。

地下鉄は幹線道路の地下に敷かれることが多く、したがって隣接する町や区の境に駅が位置することが多い。大阪市営地下鉄は、先述の「四天王寺前夕陽ケ丘」駅の駅名論争があって以降、2つの地名を合体させて両地域住民を満足させる手法を多く取るようになり、その結果、こうした駅名が多くなっているわけだ。

ただでさえ難読地名の多い大阪において、こうした2つの地名合成の駅名が多いことに、「地下鉄の駅名も分かりづらいものが多い」という声はもちろん多い。しかし、大阪府民の中には、「なんかカッコイイ」「西中島南方とか太子橋今市とかって、つい、声に出して言いたくなる」など、意外と気に入っている人も少なくないようだ。

●information
大阪市HP「歴史の散歩道~上町台地北コース」