東京大学(東大)は、スピンアイスと呼ばれる磁性体において、磁気モノポールの量子ダイナミクスを発見したと発表した。今回発表されたのは、熱拡散的なランダム運動を行う従来型スピンアイスのモノポールとは異なり、量子力学のルールに従ってコヒーレントに運動する新しい磁気モノポールであるという。

成果は、日本学術振興会 木村健太 特別研究員(現大阪大学大学院 基礎工学研究科 助教)、東京大学 物性研究所 中辻知准教授らによるもの。名古屋大学、ジョンズ・ホプキンス大学、米国オークリッジ国立研究所と共同で行われた。詳細は英国科学誌「Nature Communications」オンライン版に掲載された。

電子はスピンと呼ばれる微小な磁石としての性質も兼ね備えており、その性質を活かしたスピントロニクスが次世代デバイスのキーテクノロジーとして注目を集めている。スピンが、S極とN極がペア(磁気双極子)を形成していることは古くから知られていたが、近年、パイロクロア構造を持つ「スピンアイス」と呼ばれる磁性体において、スピンの熱励起があたかもN極とS極のみを持つ磁石、すなわち磁気モノポールのように振る舞うことがあることが分かってきた。

この磁気モノポールは、固体における新種の素励起であるだけでなく、高エネルギー物理におけるモノポールとの関連からも、高い関心が寄せられてきたほか、電流を必要とせずにスピンを運ぶという性質から、従来のスピントロニクスで課題となっていたスピン輸送に伴う熱の損失を無視できるようになるため、より低損失なスピントロニクスの構築に繋がるとの期待が持たれていた。

しかし、従来型のスピンアイスでは、磁気モノポールの運動はランダムであり、その制御は困難と考えられてきたことから、モノポールの運動を規定するミクロなルールを内包する新しいスピンアイス物質の発見が求められるようになっていた。

これまで研究グループでは、スピンのナノ立体構造を制御することで現れる新しい量子現象、特にメモリ効果を伴う量子伝導効果の研究を進めてきており、パイロクロア磁性体Pr2Ir2O7の磁性を担う3価のプラセオジウムイオン(Pr3+)がアイスルールに従うスピン配列を示すこと、ならびに従来型スピンアイスには無いスピンの量子的な揺らぎにより、不揮発メモリ効果を持つホール効果を発現することを見出していた。

近年の研究から、量子揺らぎによりモノポールが電子のように量子力学的運動をすることを予言されていたが、同磁性体は、この予言を検証する候補物質と期待されているものの、精密な物性測定に必要な大型単結晶が得難いという問題を抱えていた。そこで、今回の研究では、Pr2Zr2O7という新しいPrベースのパイロクロア磁性体に着目し、2000℃を超える高温環境を作り出すことで大型の人工単結晶の合成に成功。同単結晶を特殊な冷凍機を用いて絶対零度近傍まで冷却し、磁気的な性質の調査を行ったという。

図1 パイロクロア構造

この結果、磁性を担うPrイオンは、従来型スピンアイスと同様に正四面体の内側と外側のいずれかを向くイジング的磁気モーメント(スピン)を持つことが分かった。また、外部振動磁場に対するスピンの振る舞いも従来型スピンアイスと良く似ており、その温度依存性は磁気モノポール密度の温度変化という観点で説明できることが判明したという。

図2 (A)氷(アイス)と(B)スピンアイスの図。氷におけるプロトン変位とスピンアイスにおける磁気モーメントは1対1に対応しており、ともに2-in 2-outのアイスルールを満たす

図3 スピンアイスにおける磁気モノポール。ゆらぎの効果によるスピンフリップによって生成されたモノポールペアが独立に運動し、磁気モノポールとして振る舞う

研究グループでは、これらの結果を踏まえて、さらに詳細かつ直接的なスピンの性質の検出を目指し、米国ジョンズ・ホプキンス大学 ブロホルム教授グループとの共同研究により、スピン集団の時間平均的な配列情報(弾性散乱)と集団運動の様子(非弾性散乱)を得ることができる絶対零度近傍での中性子散乱実験を実施。

その結果、Pr2Zr2O7のスピンは、スピンアイスで期待されるアイスルールと呼ばれる規則に従って配列していることが判明したほか、従来型スピンアイスとは異なり、そのスピンは絶対零度低温近傍であっても凍結せず、量子的に揺らいでいることが確認されたとする。また、励起状態ではアイスルールが破れており、磁気モノポールが存在していることを確認しており、これらのことから、励起状態におけるモノポールは、量子揺らぎを駆動力としたコヒーレントな集団運動を行っていることが示唆されたと研究グループでは説明する。

図4 絶対零度近傍(約-273℃)における(A)弾性中性子散乱および(B)非弾性中性子散乱の波数空間強度マップ。弾性散乱マップの(002)や(111)で見られる特徴的パターンはピンチポイントと呼ばれており、Pr2Zr2O7においてアイスルールが存在する証拠を与える。一方、非弾性散乱マップではピンチポイントが消失しており、励起状態においてアイスルールが破れ、磁気モノポールが出現していることを示している。こうした非弾性散乱成分は量子揺らぎを持たない従来型スピンアイスでは存在せず、Pr2Zr2O7が量子揺らぎを持つ新しいスピンアイスであることを直接的に示している

今回の成果について研究グループは、磁気モノポールの持つN極、S極の情報を無散逸に伝送できることを意味するもので、熱拡散的なランダムな運動を行う従来型スピンアイスのモノポールとは異なり量子力学のルールに従って運動するため、その運動法則を解き明かすことで自在に制御することが可能になると考えられるとコメント。そのため今後は、量子モノポールの解明に向け、伝達距離や伝達速度、磁場などの外部刺激に対する応答を調査し、量子モノポールの形成メカニズムと制御方法の解明を目指したいとしている。また、研究グループが以前発見した姉妹物質Pr2Ir2O7における省エネルギー不揮発メモリ効果を持つホール効果を解明すること、ならびにそれを発展させたスピンのナノ立体構造の制御による新しいホール効果の発現機構の解明においても重要な知見になることが期待されるともコメントしている。