東京大学は5月22日、タンパク質「Dll1(Delta-like1)」が成体神経幹細胞を維持するために主要な役割を果たしていることを明らかにし、Dll1を用いた巧妙な維持メカニズムを解明したと発表した。

成果は、東大 分子細胞生物学研究所の後藤由季子教授、同・川口大地助教(現・米国ソーク研究所所属)らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、5月22日付けで英国科学雑誌「Nature Communications」に掲載された。

ほ乳類は成体になっても、少なくとも脳の「脳室下帯」および「海馬」の2箇所に「神経幹細胞」が存在し、毎日ニューロンを新しく生み出している。これらの新生ニューロンは回路に組み込まれ、記憶の形成、本能行動、ストレスからの回復など、重要な役割を果たしているという。このニューロン新生が異常に低下すると、抑うつなどの気分障害につながる可能性があるため、神経幹細胞を維持してニューロンを必要な数だけ作り続けることは重要と考えられるが、それがどのような仕組みで何十年にわたって維持されていくのかについてはわかっていなかった。

また神経幹細胞は胎生期にはたくさん存在しているが、生後は脳室下帯と海馬以外ではニューロンを産まなくなる。脳室下帯と海馬ではなぜ神経幹細胞が成体になっても生き残り、ニューロンを作り続けるのかという点も未解明だ。可能性として、脳室下帯や海馬にだけに神経幹細胞を維持する微小環境(ニッチ)シグナルが存在すると予想されていたが、それが何であるのかは不明だった。

今回の研究では、Dll1を成体脳で人為的になくし、その結果として神経幹細胞がどうなるかがまず調べられた。その結果、神経幹細胞が維持されなくなることが判明。さらに、Dll1を提示して神経幹細胞を維持する「ニッチ」は、神経幹細胞が分裂して産まれた娘細胞であることもわかった。

もし神経幹細胞がそのままニューロンに分化してしまうと、すぐに神経幹細胞が尽きてしまうわけだが、これまでは分裂してできた2つの細胞の内の1つだけをニューロンに分化させるという「非対称分裂」を行って、巧妙に神経幹細胞の数を保っていると考えられてきた。そして今回の研究では、Dll1が分裂中に偏った局在をすることで、分化する側の娘細胞にだけ渡され、神経幹細胞の数が維持されていくということがわかったのである。つまり、神経幹細胞の場合、子供がその親を支えているという構図になることが判明した。

なお、胎生期とは異なり、成体脳の神経幹細胞は非常にまれにしか分裂しない。おそらく神経幹細胞の分裂できる回数に上限があって、素早く分裂し過ぎるとその上限にすぐに達してしまい、分裂できなくなるからだろうと予想された。できるだけ分裂頻度を抑えて、長期間(一生)にわたって分裂できるようにしているというわけだ。

また今回の実験により、Dll1のシグナルは神経幹細胞が分裂後にちゃんと休眠状態に戻るために必要であることも見出された。神経幹細胞がニューロンを作るために分裂した際に、Dll1のシグナルが入るので無事また休眠状態に戻ることが考えられるという。このような「初期化システム」が働いて分裂し過ぎることを防ぎ、長期間の維持につなげているものと推測された。

高齢化社会・ストレス社会を迎え、「成体の神経幹細胞をいかに効率よく維持して、必要なニューロン新生を一生サポートできるようにするか」は重要な社会的課題だ。今回は神経幹細胞の維持に重要なタンパク質を同定し、維持する際のメカニズムを一部明らかにしたことによって、この課題の解決に近づく1歩になったのではないかと研究チームは述べている。

Dll1を用いた成体神経幹細胞が維持される仕組み