山形市の夏の定番、栄屋本店の元祖冷やしラーメン、750円

山形は知る人ぞ知るラーメン王国。山形市は中華そば外食費全国一! 山形県は人口当たりラーメン店数全国一! ご当地ラーメンも山形、米沢、酒田、新庄、赤湯と充実のラインナップ。更に驚くことに、山形には「田んぼや畑にも出前OK」「おもてなしはラーメン」というラーメン伝説まで存在するんだとか。

ラーメン外食費も人口当たりのラーメン店数も日本一

まずは、山形県のラーメン王国ぶりを統計調査から検証してみよう。年間1万2,061円、山形市の1世帯当たり年間中華そば外食費である(総務省『家計調査』平成21~23年分平均)。全国平均5,625円の2倍強で堂々の第1位だ。

69.46軒、こちらは山形県の人口10万人当たりのラーメン店舗数。全国47都道府県でダントツの第1位である(『都道府県別統計とランキングで見る県民性』 平成23年)。

「なぜ、山形人はそれほどまでにラーメンを愛するのだろう?」そんな素朴な疑問を、山形のそば店、ラーメン店の総元締である山形県麺類飲食生活衛生同業組合にぶつけてみた。

「山形のラーメンはおいしいからですよ。おいしいラーメンを提供しようと、業者やお店が努力を重ねているんです」。組合事務長・岡崎さんから返ってきた答えは実にストレートなものだった。確かに、山形のご当地ラーメンは味に定評がある。さらに、個性的、独創的な逸品ぞろいだ。

まずは山形市の「冷やしラーメン」。冷やし中華ではない。普通のラーメンだけれどスープが冷たいラーメン。山形市では誰もが知っている夏の定番メニューであり、地元の人ばかりでなく、最近では観光客にも大人気らしい。元祖「冷やしラーメン」の栄屋本店にその人気ぶりを聞いてみた。

「スープは先代が開発しました。カツオと昆布から取り、植物油を使うことで、冷やしても脂が固まらないよう工夫しています。夏休みシーズンになると観光客も多いので、1日に400食から500食は出ます。もやしだけで40キロ、50キロとゆでるんで店は戦場です」(栄屋本店・阿部徹さん)。

米沢らーめんの縮れ麺。通常の麺に比べて色がやや濃い

「米沢らーめん」も個性的だ。スープは鶏ガラと煮干しのあっさりスープ、ここまでは格別に珍しくはないが、特徴は麺にある。スープによく絡む縮れ細麺で、色は黄土色。この麺の色ゆえにラーメン全体がやや黒ずんでおり、「黒中華」の別名もある。

「一個一個、職人が手もみをかける手作りの麺なんです。麺とスープは車の両輪、ラーメン店と一緒に私ども製麺業者もおいしいラーメンを作るために努力を重ねているんです」。こう語るのは、「米沢らーめん」の店に麺を供給する麺類業者で組織する「伍麺会(ごめんかい)」会長の牧野元さん。なるほど、先の岡崎さんの言葉も納得である。

これが標準的な米沢らーめん

個性と独創を競いあうご当地ラーメンの数々

米沢ラーメンに「伍麺会」があれば、酒田ラーメンには「酒田のラーメンを考える会」なるラーメン店の団体がある。酒田ラーメンは、豚骨、鶏ガラ、煮干し、昆布で出汁を取ったスープが基本だが、各ラーメン店はそのベースの上に個性を競い合っている。「考える会」公式サイト上には、各店自慢のラーメンが一堂に会しており壮観である。

「考える会」会長・佐藤裕司さんの店「三日月軒中の口」のラーメン(600円)

所変わって新庄市。最上地方のこの地では、新庄市が市の公式ホームページで「愛をとりもつラーメン」とご当地ラーメンを宣伝している熱の入れよう。新庄ラーメンを全国に売り出そうと、「愛をとりもつラーメンの会」も結成されている。

「新庄は養鶏が盛んな時代があって、それでとりもつをトッピングするラーメンがご当地ラーメンになったんです。おいしいですよ、他の町に行ってラーメンを食べることもありますが、新庄のラーメンが一番です」(新庄市商工観光課・大泉菜々恵さん)。

新庄名物、梅屋のとりもつラーメン(600円)

このほか、赤湯温泉のある南陽市には「赤湯からみそラーメン」があり、こちらも山形を代表するご当地ラーメンのひとつ。昭和33年(1958)創業の「龍上海」が開発したもので、赤湯地区で江戸時代から生産されていた「石焼南蛮」という秘伝の香辛料を使った辛めのみそラーメンである。

赤湯の龍上海「からみそラーメン」(780円)

ラーメン店は山形のファミリーレストラン?

前記した山形県麺類飲食生活衛生同業組合の岡崎事務長は、山形が日本一のラーメン王国である理由として、実は他にこんなことも言っていた。

「山形には、来客を出前ラーメンでもてなす習慣があったんです。加えて、山形は農業県ですから、田植えや稲刈り、サクランボの収穫時期などは、農家は大変忙しく、昼ご飯を作る余裕がない。それで、ラーメン店が田んぼや畑にまで出前していたことも、ラーメンの消費量の多さと関係しているのでしょう」。

山形のラーメンのルーツは中国人の支那そば屋の屋台にあるという。大正12年(1923)に起こった関東大震災の後、焼け野原となった横浜中華街からたくさんの中国人が全国に散って支那そば屋の屋台を引き始めた。山形にも多くの中国人が現れ、彼らの支那そばの技術が地元に引き継がれてご当地ラーメンに発展していった、というのが通説である。

山形はもともとそば処だったこともあり、同じ麺類であるラーメンはすぐに山形の食文化になじみ、そば店や一般食堂でもメニューに登場するようになった。そんな歴史ゆえに、ラーメン専門店、中華店、食堂、そば店と、外食店のほとんどでラーメンを食べることができるのが山形なのである。

「昔はラーメンと言えばごちそうでしたから、来客のもてなしに出前を取ったり、ハレの日に食べたりすることが多かったですね。私も20年くらい前まではよく出前に行ったもんです。バイクで15分なんて当たり前でしたね」(「酒田のラーメンを考える会」会長でラーメン店「中の口三日月軒」店主の佐藤裕司さん)。

「うちはラーメン専門店ですが、今でも市内なら出前いたします。麺が伸びてしまうのでさすがに市外は無理ですが」(前記「龍上海」佐藤元保さん)。

各店とも口をそろえて「お客さんは家族連れが多い」とも言っていた。休日の一家そろっての外食はラーメン、今でもそんな家庭は多いそう。ラーメン店がファミレスのような役割を果たしているのも山形のお国柄。ラーメン王国山形は盤石のようである。