現在東京に住む、武蔵大学社会学部メディア社会学科4年の芳賀真奈実さんは、家族や友人の多くが今も被災地で生活している。

南相馬市鹿島区の仮設住宅にて。芳賀真奈実さん(写真右)

――3月11日の震災当日はどのような状況でしたか?

ちょうど地下鉄に乗っている時に震災が起こり、あまりの出来事に恐怖を感じました。やがて、周囲の会話や街頭テレビから実家のある福島や東北が被災地であることを知り愕然としました。もちろん電話は通じませんし、その日は一緒にいてくれた友人の隣で、ただ怖くて泣いている状態でした。

――実家としばらく連絡がつかなかった?

2日ほどしてようやく無事を確認できたのですが、津波や原発事故の被害をテレビで観て、「私は東京で何をしているんだろう……」と感じました。自分が行かなければという、責任感のような気持ちが膨らんでいきました。

――震災前はどのように毎日を過ごしていましたか?

自分から積極的に行動するタイプではなく、普通の大学生でしたね。何かに挑戦したい気持ちはあるものの一歩を踏み出せず、「大学時代をこのまま過ごすのかな」とぼんやり考えていました。 震災後も気持ちばかり焦って、もどかしい日々を送っていました。そんな折、ゼミの教授が立ち上げた学生による市民メディアプロジェクトの募集が目にとまり、「これだ!」と思ったのです。大学で学んでいるメディアを使うからこそ、私が取り組む意味があると感じました。

――そのプロジェクトについて教えてください。

「学生による被災地支援のための市民メディアプロジェクト」と言い、被災地でのNPOや個人の活動の様子をビデオカメラで取材し、様々なメディアを介して発信するプロジェクトです。取材や編集はすべて学生が主導します。これまで6回ほど被災地へ足を運び、地方のCATVや様々なサイト・ブログで発信したり、イベントで講演を行いました。

――実際に被災地を取材して感じたことは?

震災直後の5月に石巻と南三陸へ行きましたが、言葉を失う本当に恐ろしい光景が広がっていました。「ここに本当に人が住んでいたの?」と思わず疑うほどで、恐ろしくてカメラを向けていいのかわからず、「人助けやボランティアをするべきではないか?」とも感じました。でも、地元の方に心良く取材に応じていただき、私が今やるべきことだと思い直して取材しました。リアルな現状を「伝える」ことはもちろんですが、同時に、自分で考えるためにも取材を続けたのだと思います。

――現在の被災地に住む方の現状は?

今は就職活動で取材をしていませんので仮設住宅の様子などはわかりませんが、私の出身地について言えば、同世代の若者には一種の“諦めムード”が漂っている気がします。地元で生まれ育ち、そこで就職して生計を立てる友人たちにとって、福島を離れるという選択肢は現実的ではないのです。

――“諦めムード”というと……?

私の故郷は、原発から半径40キロ近くの避難区域外に位置します。つまり、強制的な避難勧告の外側にあるため、みんな思い切った行動が取りにくいように思えるのです。生活と仕事の基盤がある故郷を捨てるべきなのか、「どうすればいいのかわからない」のが住民たちの現状です。しかも、すぐに影響が出る問題ではないだけに、“普通の生活”を送らざるを得ない状況だと思います。こうした被災地周辺の雰囲気が、しっかり伝えられていないと感じています。

――歯がゆい思いもあるのでは?

故郷を離れないのは、現実的なお金の問題とともに、心の整理がつかないためでもあります。現在東京に住む私が、偉そうなことは言えないという思いはあります。ただ、私にも中学生の妹がいますし、何より屋外で遊べない子供たちがかわいそうでなりません。私自身、幼い頃は森を駆け回って遊んでいましたから、なおさらそう思いますね。

――地元の人たちは、芳賀さんのように積極的に情報を発信していますか?

私の周囲ではそのような動きはありません。というのも、それが当たり前の生活であり日常ですから、発信するに至らないのだと思います。やはり、何かを伝えるには外からの視点がないと難しいと感じます。その意味で、私は第三者でありながら、同時に家族や友人がいる当事者でもあるので、私にしか伝えられないことがあるのではないかと考えるようになりました。 福島の問題は終わっておらず、むしろこれから始まるのだと思います。これから実際に被害が出てしまったらと思うととても怖いですが、逃げたくても逃げられない状況もあり、ただその時を待つしかない現実がとても辛いです。

――実際に風化を感じていますか?

多くの人が、3.11を忘れてしまうのは仕方がないことです。一方で、福島に縁もゆかりもなくても、原発や放射能被害について考えている人や団体にたくさん会ってきました。日本に原発がある以上、東京でも関西でも、「原発問題に関係ない」ということは決してないと思います。こうした活動を広めることは、日本の未来を考えるうえでとても重要だと感じます。

――様々な活動を経て、今何を一番伝えたいですか?

私が一番起きて欲しくないことは、福島の人に対する偏見です。福島というだけで放射能がついているとか、絶対的に脱原発の考えを持っているとか、偏見が非常に多いと感じます。実際に、私も目の前で聞くに堪えないことを言われたことがあります。もし福島に生まれ育った子供たちが、将来そういう経験をしたらと思うと、とても胸が痛みますね。

――残りの学生生活で、取り組みたいことを教えてください。

ゼミの卒業制作で、身近な人を取材したドキュメンタリーを上映しようと考えています。ただ被害を伝えるのではなく、被災者の心に迫ることで、その人たちが抱える「雰囲気」まで伝えられたらと思います。そうした具体的なことまで落とし込まないと、多くの方には響かないと考えています。

――震災によって、自分の何が変わったと思いますか?

私は、出版業界に憧れてメディア学科を志望しました。今もその思いは変わりませんが、情報を伝える際の意識は、震災という体験を通じて変わったと感じています。伝えたいことがあっても、望むように伝わるとは限りません。今後はより意識的に情報を発信したいですし、個人でもfacebookやtwitterで、帰省した時のことを少しアップするだけでも福島を知ってもらう良い機会と思いますので、今後も続けていきたいと思います。

取材・文●辻本圭介