アイドル評論家の中森明夫、高倉文紀、中野風女シスターズの浦えりからが30日、埼玉・SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザにてトークイベントを行った。

左から岡田康宏、岡島紳士、浦えりか、中森明夫、高倉文紀

同イベントは昨年11月にオープンした企画展「メディア/アイドル ミュージアム」の関連イベントとして行われたもの。企画展のアドバイザーで、今回のイベントのMCを務めた岡島紳士、岡田康宏の共著「グループアイドル進化論」を題材に、"オタク"の生みの親としても知られる中森明夫と数々のアイドルを取材してきた高倉文紀、ジュニアアイドル時代から芸能界を渡り歩いてきた浦えりかが、時代と共に進化を遂げてきたアイドルを振り返った。

中野風女シスターズは、2011年に音楽活動の休止を発表。現在は、男装アイドルユニット・風男塾のメンバーとして活動している浦は、水原鈴花の名で高校時代にグラビアを経験し、初グラビアの記事を中森が執筆したという。「オタクを隠そうと思っていたんですけど、中森さんが"日本一かわいいオタクアイドル"というキャッチフレーズをつけてくださって」とうれしそうに話す浦に、中森は「いやぁ、覚えてないなぁ(笑)」の一言。会場から笑いが起こる中、中森は「10年ぐらい前でしょ? そういえば"オタク"という言葉ができて今年で30年になるんですよね」とアイドルの変遷をたどっていく。

同展は、1950年代から今に至るまでのアイドルの進化を映像メディアの変遷と共に振り返った「メディア / アイドル進化年表」を展示。そこには国産アイドル第1号として南沙織の名前が記されている。そのことについて中森は、「これは複数の人が言ってます。南沙織さんは沖縄出身でハーフなんですが、当時の沖縄はまだ返還されていませんでした」と背景を語り、「洋楽を売っていたCBSソニーが初めて国産の歌手をデビューさせたのが南沙織だったんです」と説明。プロデューサーは酒井政利で、後に彼は山口百恵や松田聖子を世に送り出した。

当時は今のようにインターネットも普及してない時代。「身近なメディアでアイドルが活躍するのが大事なんです」と語る高倉は、「50~60年代は街に小さな映画館があって、そこからスターが生まれました。その後、70年代からテレビが普及しはじめるとドラマなどから、そしてモーニング娘。はテレビ東京のテレビ番組がきっかけとなりブームとなりました」とメディアとアイドルの密接な関係性を紐解いた。

また、中森が「これは僕の私観なんですけど、"アイドルは南からやってくる"。南沙織からはじまり、松田聖子や安室奈美恵も」と語ると、高倉は「その後デビューしたモーニング娘。は北海道出身者が多かったですよね。北海道はアイドル不毛の地だったんです」。その背景として高倉は、「メディアが行き渡ったからでしょうね」と説明し、「昔からの持論なんですが、交通機関が発達するとその何年後かにはスターやアイドルが生まれるんです。広末涼子さんは本四連絡橋(本州四国連絡橋)がつながった後でしたし、東北まで新幹線が開通すると東北にもたくさんのアイドルが生まれました」とアイドルとの意外なつながりを明かした。

映像ミュージアム企画展「メディア/アイドル ミュージアム」は、埼玉県が主催するイベント。2013年4月7日まで開催され、アイドルミュージックビデオの作品群と関連衣装や小道具のほか、ステージ上からのアイドルの視点を体感できる「IDOLS EYES」やボーカロイド・初音ミクの3DCGムービー開発ツール「MikuMikuDance」といった体験型の展示物も用意されている。