東京・高田馬場にある「リトル・ヤンゴン」

世界は今、「ミャンマーブーム」である。世界の要人が次々と同国を訪れている。日本でも、今年に入ってから1月には麻生太郎財務大臣、2月には米倉弘昌会長をはじめとした経団連一団140人が訪問するなど、日本人のミャンマー詣でも勢いを増している。

だが、「ミャンマーブーム」といっても、こうした政界・経済界の要人や、商社、製造業などに関わるビジネスマンらに限った話だと思っていた。ところが、数週間前、『タモリ倶楽部』でミャンマー特集をしているのを見た。しかも、ゲスト出演していたミャンマー人アイドル、黒宮ニイナさんのキュートさには心が"キュン"となった。

実は、東京にも、「リトル・ヤンゴン」と呼ばれている街がある。ヤンゴンとは、ミャンマーの旧首都(以前は「ラングーン」と呼ばれていた)で、今でも最大の都市である。リトル・ヤンゴンがあるのは、高田馬場駅周辺。ミャンマー料理屋、雑貨店などが集まっている。米国のLA(ロス・エンジェルス)にある「リトル東京」のようなものだ。

筆者は早稲田大学出身。同じ早大出身のある先輩は、「馬場を経由しないと落ち着かない」と、いまだに西武新宿線沿線に住んでいるが、特に地方出身の早大生にとって"馬場"は"飲む・打つ"を初めて教えてくれる"聖地"である。早大出身のタモさんも、その"聖地"にある"リトルヤンゴン"に向かったのだった。 

聖地にある"リトルヤンゴン"の店々を訪れるうちに、ミャンマーに大変興味を持った。シェール革命の時同様、ミャンマーに行きたくなった。同国に行くには、ビザの申請が必要。北品川の大使館に行くと、大勢の人が列をなしていたのに驚いた。

パスポートコントロールにはサムスン製の空気清浄機、日本企業の"出遅れ"感じる

ミャンマーに行くには、昨年の秋に全日空(ANA)が成田からヤンゴンへの直行便を就航させた。週3便飛ぶが、試しに3月11日(月)、13日(水)、15(金)をネット調べてみるといずれも「空席待ち」と出ていた。

ミャンマーに行くには、このほか、バンコク、シンガポール、香港、ソウル・仁川を経由する方法があるが、仁川経由が最も安いという話を聞いた。筆者は、バンコク経由で行ったが、ヤンゴン行きの飛行機のなかは、予想通りというか、ほぼ日本、中国、韓国のビジネスマンで埋め尽くされていた。

ヤンゴン・ミンガラドン空港には乗り換えを含めて10時間くらいで到着する。パスポートコントロールには、サムスン製の空気清浄機が置いてあり、早速日本のメーカーは出遅れているのだと実感させられる。少し前までなかったという空港のマネーチェンジャーで両替。2万円替えただけで、ぶ厚い束の札を渡される。ミャンマーの通貨は「チャット」。

3月のヤンゴンは乾季の終わりでとにかく暑い。町を走る自動車の多くは80~90年代前半と思われる日本の中古車だ。たまたま乗ったタクシーには、もちろんエアコンなど付いておらず、そもそも窓が壊れていた。「雨季になったら直すのだろうか?」などといらぬ心配をしながら、暑く乾いた風とアジア特有の濃い臭気を顔に浴びた。

若く、瞳がキラキラしている人々--かつての日本にもあった熱気感じる

ダウンタウン(中心部)には、タクシーで、40分程度で到着する。ダウンタウンの中心部にある20階建ての「サクラタワー」には「HITACHI」の文字が躍るが、日本企業の看板が目立つのはこれくらいで、他は「SAMSUNG」ばかりだ。このサクラタワー周辺には、オーロラビジョンも2つほど設置してあって、意外に発展しているなという印象を持った。

ヤンゴンのダウンタウンにあるスーレイパゴダ。奥に見えるのはヤンゴン川

ヤンゴン中央駅

ちなみに、サクラタワーの中には三菱商事やJICA(国際協力機構)などが入居しているほか、最上階はバーになっていて、外国人がたむろしている。ちなみに賃料はニューヨークのマンハッタンよりも高いらしい。

エアコンが効いた世界とは違う、ビルの下の通りには、人と気温と食べ物の臭いが混ざり合い、何よりも暑い。通りには、うじゃうじゃとしか言いようがないほど人がいて、その多くは若く、そして瞳はキラキラしている。どこということはなく露天の店が並び、人々は、衛生的にどうかな、と疑問符が付きそうな揚げ物などを食べ、地面に並べてある時計、ラジオ、ひげ剃りなどの家電、衣服をみんな"真剣に"品定めしている。これこそ、かつての日本にもあった熱気なのだろうと思った。

通りのいたるところに屋台が並ぶ

果物も豊富

どこから持ってきたのか、家電の部品らしきものが並ぶ

街の建物は汚れでくすんでいるものが多いが、欧風な建築様式はかつての面影を残していて、イギリス統治時代にこの街がラングーンという名前だった頃、「東洋の真珠」と呼ばれていたのも分かる気がした。当時をそのままに残しているのが、ヤンゴン港のイギリス大使館のそばにあるストランドホテル。重厚な石作りだが、内部は木材で装飾されていて、高い天井にはシーリングファンが回っている。いかにもコロニアルだ。汗だくになって到着しただけに、ここのカフェで飲んだアイスコーヒーはなんとも美味しかった。

イギリス植民地時代の名残。洋風の建築物が多く残る

1901年建設のストランドホテルの外観

ストランドホテルのカフェ

そして、ヤンゴンのハイライトといえば、シュエダゴンパゴダ(ミャンマーの仏塔、お寺)。ミャンマーで最も大きく格式高いパゴダだ。日本の寺と同じくミャンマーにはいたるところにパゴダがある。パゴダの周りには「曜日」ごとに神様の像が設置してある。ミャンマーでは、何日に生まれたかではなく、何曜日に生まれたかが重要だそうだ。

シュエダゴンパゴダ


いかがだっただろうか。筆者が感じた「ヤンゴン」の熱気は少しでも伝わっただろうか。次回は、現在の首都である人工都市「ネピドー」を紹介したい。