慶應義塾大学(慶応大)は、脳内で運動に関係した記憶が作られるメカニズムの一端を明らかに、チロシン脱リン酸化酵素「PTPMEG」と「デルタ2グルタミン酸受容体(デルタ2受容体)」の結合が、シナプスの伝達効率が長期にわたって低下する「長期抑圧」に必須であると発表した。

成果は、同大医学部 生理学教室の柚﨑通介 教授、同・幸田和久 講師、同・掛川渉 講師らの研究グループによるもの。研究はJST戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)の一環として行われ、詳細な内容は米国東部時間2月19日付けで米国科学雑誌「米科学アカデミー紀要(PNAS)」オンライン速報版に掲載された。

脳内部に数百億個存在する神経細胞は、細胞の接合部であるシナプスを介して結合することで神経回路網を形成しているが、そのシナプスが脳における「記憶の場」と考えられるようになってきている。

記憶や学習が成立するためには、神経回路網の中の特定のシナプスの伝達効率の変化、つまり信号が伝わりやすくなったり、伝わりにくくなったりすることが起こるということが考えられており、近年の研究からは、その分子的実体は、神経活動に依存してAMPA型グルタミン酸受容体(AMPA受容体)の数が増減することであることが報告されている。

例えば、練習すればするほど上達していくような運動学習は、主に小脳において行われ、小脳神経回路のシナプスに、その伝達効率の変化として、運動の記憶が蓄えられる。特に小脳の「顆粒細胞」と「プルキンエ細胞」の間に作られているシナプスの長期にわたる伝達効率の低下(長期抑圧)=AMPA受容体の数の減少が運動学習に重要な役割を果たしていると考えられていた。

長期抑圧が成立するためには、デルタ2受容体の存在が必須であり、デルタ2受容体が欠損したマウスでは、運動失調や運動学習の障害があり、長期抑圧が起こらないことが知られていたが、どのようにデルタ2受容体が長期抑圧の誘導過程で機能しているのかについては、長らく不明のままであったという。

画像1。神経細胞がシナプスによって結合し、神経回路を形成することを表した模式図

画像2。長期抑圧の模式図。緑色の部分がシナプス

これまでの研究から、長期抑圧が生じる際には、AMPA受容体の細胞内に存在するアミノ酸「セリン」のリン酸化が必要であることが判明していたが、今回の研究からデルタ2受容体欠損マウスでは、セリンの近くに存在するアミノ酸「チロシン」のリン酸化が亢進することで、セリンのリン酸化が起こらないことが判明した。

また、デルタ2受容体は、その細胞内部分でほかの複数のタンパク質と結合していることが知られており、研究グループもチロシンとの結合が長期抑圧に必要であることを報告していたが、今回の研究では、チロシン脱リン酸化酵素「PTPMEG」とデルタ2受容体が結合すると、PTPMEGがAMPA受容体のチロシンのリン酸化を低下させ、長期抑圧の際、AMPA受容体のセリンのリン酸化を可能にすることが確認された。これは、デルタ2受容体がAMPA受容体のセリンのリン酸化によって運動学習を可能にするかどうかの「マスターキー」として機能していることを示唆するものだと研究グループでは説明している。

画像3。デルタ2受容体が長期抑圧のマスターキーであることを表した模式図。デルタ2受容体はPTPMEGを介してAMPA受容体のチロシンを脱リン酸化する(画像中のPが外れる)。これにより、長期抑圧を誘導する刺激が来た際に生じる、PKC(セリン/スレオニン・リン酸化酵素)によるAMPA受容体のセリンのリン酸化(画像中でPがつく)が可能となる。セリンがリン酸化されると、AMPA受容体は、細胞膜に繋留するタンパク質であるGRIPから解離して、PICK1という別のタンパク質に結合し、細胞内への取り込みが行われるという仕組みとなっている

デルタ2受容体は小脳プルキンエ細胞にのみ存在しているが、同じファミリーには「デルタ1受容体」があり、小脳を含むさまざまな脳部位に存在していることが知られている。その主要部分のアミノ酸配列はデルタ2受容体に類似しているため、研究グループでは、その機能もデルタ2受容体と類似していることが予想されることから、今回の研究で得られた知見が小脳のみならず、脳全般での記憶・学習のメカニズムの解明につながるものとの考えを示すほか、デルタ1受容体やデルタ2受容体が、ヒトの遺伝子変異の解析から統合失調症や自閉症などの精神疾患に関連している可能性が示唆されていることから、そうした精神疾患の病態の解明にもつながることが期待できるようになるとコメントしている。