楊貴妃の像が建つ「楊貴妃の里」

“世界三大美女”のひとり・楊貴妃は、8世紀に生きた中国唐代の皇妃。当時の玄宗皇帝が寵愛(ちょうあい)しすぎたために安史の乱を引き起こした「傾国の美女」として知られている。

楊貴妃は結果的に、反乱の原因となった楊貴妃に恨みを抱いていた武将たちの画策により、自殺を強要されて死んだとされている。ところが山口県長門(ながと)市には、その楊貴妃が戦乱を逃れて息絶え絶えに日本に流れ着いたという伝説が残されているのだ。また、長門市にある「二尊院(にそういん)」には楊貴妃の墓まである。

楊貴妃は亡きがらが見つからなかった

日本へ逃亡したというスケールのでかい話がまことしやかに囁(ささや)かれているのは、反乱の後、楊貴妃の亡きがらが見つからなかったから。そのため「死んだと思わせているだけで、実は替え玉だった」などという説が、今でも根強く残っているらしい。ちなみに二尊院のご本尊は、玄宗皇帝が楊貴妃の死を悼んで贈ったものと伝わっている。

このように紹介すると、世界中にあまたあるいわゆる“眉唾”な話にしか思えないかもしれないが、長門市観光コンベンション協会に尋ねたところ、「前に長門市に研修に来た中国の学生が『中国では楊貴妃は日本で死んだことになっています』と言っていました」とコメント。

また、長門市の人々もそれを疑うことなく、楊貴妃が長門まで流れ付き、この地でしばらく暮らしたのちに息を引き取ったと信じているという。いずれにしても、楊貴妃が漂着したという伝説から、二尊院周辺は、大理石製の楊貴妃像や中国風のあずまやが立つ「楊貴妃の里」として整備されている。

「楊貴妃の墓」と伝えられている五輪塔

土産物屋ではお米も販売

「楊貴妃の里」には中国風の屋根付き休憩所も設けられている

二尊院の本堂前には美しい楊貴妃像も立っている。「この像と同じものは世界に2体しかなく、二尊院以外には中国の陝西(せんせい)省馬嵬坡(ばかいは)に建てられています」(長門市観光コンベンション協会)。里には像以外にも中国風の屋根付き休憩所とトイレ、そして土産屋がある。

こちらでは、「楊貴妃の米」というブランド米が販売されているので、楊貴妃のような美貌をお望みの方は購入してみるのもいいかもしれない。ちなみに、二尊院は楊貴妃に縁があるということで、安産・子宝・縁結びのご利益があり、お参りすると美人になるということで信仰を集めている。

楊貴妃が好きだった「肥城桃(ひじょうもも)」も栽培

楊貴妃の里内では、その他にも、楊貴妃が好んで食べたと伝わる中国山東省原産の「肥城桃(ひじょうもも)」を30本栽培している。その他、「本州最西北端に位置していますから、西の海に沈む素晴らしい夕日も楽しめます」と長門市観光コンベンション協会の方が説明される通り、景勝地でもある。

初夏になると園内にある池にあじさいの花が美しく咲く

一般に南向きに置かれる五輪塔がここでは中国がある西を向いている!

なお、二尊院がある地域は「油谷向津具上(ゆやむかつくかみ)」といい、地元の人は“むかつく”と呼ぶ。そして、寺が立つ地は「久津(くず)」という地名。「冗談みたいですが、楊貴妃の墓は“むかつくくず”の地にあるわけです(笑)」(長門市観光コンベンション協会)。